かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト全集より 宗教音楽21

神奈川県立図書館所蔵CDのモーツァルト全集からの宗教音楽も、今回の第21集が最後となります。フリーメーソン関係の楽曲集です。

フリーメーソンのための曲を宗教音楽と位置付けるべきか否かは議論の分かれるところでしょう。実際、フリーメーソンは宗教結社ではないからです。

フリーメイソン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3

音楽史では「フリーメーソン」という表記が多く、私もそうしていますが、正式には「フリーメイソン」が正しいようです。

フリーメイソンは、実にいろんな結社が存在し、一つの団体として機能しているわけではありません。ただ、相互に交流があることが多いのは確かで、それが近代における様々な進歩にかかわって来たことは事実です。

フリーメイソンを理解することは、近代ヨーロッパを理解するための一助となるので、無下にはできない存在です。陰謀説などもささやかられる団体ですが、そういう結社も実際はあるようですが、それは凡てではありません。

各結社は「ロッジ」と呼ばれ、たいてい一つのロッジに所属することが多いようですが、上記のとおり他ロッジの人とも交流があるようです。実際、モーツァルトもK.483などでそういった他のロッジのための音楽を書いています。

各曲の説明をすると長くなりますので、総論を述べるほうが各曲が分かりやすいのではないかと思います。実際はケッヘル番号から以下のサイトで説明を確認していただく方がいいかと思います。

Mozart con grazia
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/index.html#kno

ただ、このサイトは徹底的にレチタティーヴォがある楽曲はそれをアリアに含めてしまうので、その点だけが要注意なんですよね。たとえば、最初の曲フリーメイスンカンタータ「われらが喜びを高らかに告げよ」K.623はレチタティーヴォがある曲なんですが、それは明らかに様式的は古いんです。しかし、作曲されたのは1791年。3つ後のケッヘル番号がレクイエムである通り、ちょうどレクイエム作曲中に作曲された曲です。つまり、この時期のモーツァルトバロック様式に回帰していることが良くわかる作品です。しかし、音楽的には古典派になっているという、音楽史的にも重要な作品です。

そういった作品はこのフリーメイソンのための音楽は枚挙にいとまなく、それは特に儀式に使われる曲を作曲したという事情があります。当時の人々の考え方がうかがい知れる作品たちです。

フリーメイソンは、当時の知識層、主に支配層に会員が多かったのです。そのため、進歩主義でありながら保守的な側面も持ちます。ヨーゼフ2世もメイソン会員であったことから、政治に介入された歴史も持っています。

モーツァルトフリーメイソンのための音楽を聴き、その様式やメイソンとはどういったものかを調べていきますと、ヨーロッパの歴史が近代社会の成立にいかに関わっているかが分かります。少なくとも、メイソンは利益団体ではありません。友愛団体という、親睦団体です。各々が高い精神を持つことを掲げていることからも明らかなように、宗教とはまた異なる精神性というものを重視する団体です。

それ故、メイソン入会後のモーツァルトの音楽はどれも精神性の高い曲が生み出されています。それほど高くないのは所謂スラングカノンのようなものですが、あれはかなり私的な作品で、もしモーツァルトが作品番号をつけていたとすれば、ベートーヴェン同様WoOをつけている作品です。のちにケッヘルによってまとめられたため作品番号が振られてしまったことが、メイソン会員であったモーツァルトの高い精神性を貶めてしまっている点は否めないと思います。

こういう曲を見てみると、如何に映画「アマデウス」で描かれているモーツァルトが一面的(今風で言えば偏向報道)であることが良くわかります。私はこの全集を評価する点は、このメイソン関係の作品を収録している点です。表面的な様式は古くとも、そこに常に新しい要素を取り入れるモーツァルトの姿勢はもどかしく映りますが、けっしてあきらめないという姿勢のあらわれでもあります。

私たちは改革に即効性を求めてしまいますが、勿論それはものによってはそうでなくてはならないと思いますし、特に動きの速い現代においてはそれは大事な要素だと思います。しかし、だからと言って実現が遅いことに文句をつけることが、果たして進歩と言えるのかということを、モーツァルトのメイソンンのための作品群は、私たちに問いかけてくるように思います。

この作品群が最後に置かれているというのはたんなる編集上の都合でしょうが、しかしとても重い意味を持っているように思うのはわたしだけなんでしょうか。



聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
フリーメイスンカンタータ「われらが喜びを高らかに告げよ」K.623
弦楽のためのアダージョとフーガ ハ短調K.546
リート「ヨハネ分団の儀式のための賛歌『おお、聖なる絆よ』」K.148(125h)
カンタータ「汝、宇宙の魂よ」K.429(468a)
フリーメイスン葬送音楽ハ短調K.477(479a)
フリーメイスン分団の閉会に寄せる合唱付きリート「親しき友よ、今日こそ」K.483
フリーメイスン分団の閉会に寄せる合唱付きリート「汝ら、われらが新しき指導者よ」K.484
カンタータフリーメイスンの喜び」K.471
ドイツ語小カンタータ「無限なる宇宙の創造者を崇拝する汝らが」K619
リート「われら手に手を取って」(623a)
ハンス=ペーター・ブロホヴィッツテノール、K.148、468、623、623a)
アンドレアス・シュミット(バス、K.623)
ラファエル・アルバーマン(オルガン、K.483、484、623a)
ルドルフ・ヤンセン(ピアノ、K.148、468、619)
ライプツィヒ放送合唱団の男声合唱団(合唱指揮:ゲルト・プリシュムート)
ペーター・シュライヤー指揮、テノール(K.429、471、483、484、623)
ドレスデン・シュターツカペルレ

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。