かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト全集から 宗教音楽18

今回の神奈川県立図書館所蔵CDは、モーツァルト全集の宗教音楽の第18集です。第17集で収録しきれていない「第一誡律の責務」と、アリア「来たれ!汝ら恥知らぬ罪人たちよ」K.146(317b)、そして聖墓の音楽K.42です。

「第一誡律の責務」はすでに前回ご紹介しましたので、今回は残りのアリアと聖墓の音楽に焦点を当てたいと思います。

K.146はアーノンクールの全集では外された作品ですが、内容としてはとても宗教的なものを扱っています。アーノンクールは基本的に新全集の編集方針にのっとって演奏しているはずなので新全集ではカンタータに入れられているものを演奏しないのは奇異なんですが、恐らく様式的に旧全集の「アリア」を尊重したためと私はみています。いっぽう、この全集では新全集はカンタータに入れているので入れたということになろうかと思います。

新全集がカンタータに入れたのは、その歌詞からカンタータの中のアリアと判断したからですが、まあ、唐突な感は否めません。カンタータの中のアリアなんですね、はい、そうですかって感じです、私は。

というのは、ではどのカンタータなんですか?というのが明確ではないからなんですね。たとえば、モーツァルトカンタータを作曲していたが、それがこの1曲で終わってしまった、つまりキリエのみ残っているのと同じであるというのであれば、納得なんですが、その説明はモーツァルト事典を紐解きましても出ていません。

確かにどちらとも取れるなあと思いますね。このあたりは、アーノンクールをむげに批判できません。ただ、こういったことがあるために、モーツァルトの宗教音楽は全集としてはアーノンクールのものとこのモーツァルト全集のものとは持っておいた方がいいだろうと思います。少しかさばりますが^^;

いや、だからこそ、神奈川県立図書館の役割は大きいわけです。パソコンを持っている人であれば、リッピングすることで場所をとらずに済みます。ついでに言いますと、神奈川県立図書館にはアーノンクールの全集もあります。気合いの入った人はどちらも借りて、ブックレットもコピーを取って、ということをやってもいいかもしれません。モーツァルトの宗教音楽を理解するためには決して無駄な作業ではありません。場所取りませんしね。コピー用紙がかさむのであれば、スキャナーでPDFにしてしまうという手もあります。

まあ、私はどちらかは買い求めることをお奨めしますけれどね。アーノンクールの全集は、実は12枚あるのにとてもコンパクトなので、そのブックレットと「モーツァルト事典」を基本にしてしまえば、モーツァルト全集のものはリッピングするだけでほとんど事足ります。場所もそれほど取りませんし。

次に、聖墓の音楽ですが、これはアーノンクールの全集を取り上げた時にも触れています。

マイ・コレクション:モーツァルト宗教音楽全集9
http://yaplog.jp/yk6974/archive/772

この時には収録されている作品が多かったので説明をしませんでしたが、実はモーツァルトが作曲したカンタータなのです。

K.42 (35a) 聖墓の音楽
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op0/k42.html

上記サイトで説明はほとんどされ尽くしていると思いますので、ここでは私独自の視点を入れてみたいと思います。注目点は、聖霊の一人をバスが担当しているという点です。

確かに、この作品はバロック的です。本当はアリアだけではなくレチタティーヴォも説明で入れてほしいなあと思います。この点は「第一誡律の責務」と一緒ですねえ。アリアだけを挙げてしまうと、まるでベートーヴェンの「オリーヴ山上のキリスト」とおなじようにとられかねません。

一応、私がパソコン内で保存してあるトラック割のアタッチメントからコピペをして、どのような構成になっているかご紹介しましょう。

1.レチタティーヴォ「わが思い、わが慰め」
2.アリア「悲しむがよい、岩よ月よ草よ」
3.レチタティーヴォ「魂よ、何を嘆くか」
4.アリア「この傷は誰によって受けたのか?それは私によって私のために」
5.レチタティーヴォ「この血は私の行為なのか?」
6.二重唱「イエスよ、私は何をしたのでしょう?」
7.レチタティーヴォ「おお!御心を賞賛せよ!」
8.合唱「イエス、まことの神の子」

ご覧のとおり、聖墓の音楽の場合は明らかに構成面でバロック的です。旋律が前古典派的であるだけで、基本的には古めかしい作品です。だからこそ、男声の聖霊をバスが担当しているというのは、非常に重要になるのです。

以前、BCJのバッハ教会カンタータをご紹介している時に、バスはキリストを表わすと述べたことがありますが、当然ですがその慣習をうけついでいると考えていいと思います。つまり、バスは復活したキリストであり、その魂と天使との会話であると考えるのが自然です。

そもそも、上記サイトの説明文でも、

「ドイツ語による受難カンタータであるこの作品は、少なくとも中世以降広く行われていた慣行である「セポルクロ sepolchro」の一例といえる。 セポルクロとは、聖週間(復活前の1週間)に、絵画または立体の形に作られた「聖墓」(復活するまでキリストが横たわっていた墓を表す)を教会の付属礼拝堂か主祭壇の脇にしつらえ、その前で捧げられた祈祷のことをいう。 セポルクロは元々はキリストの生・死・復活を扱った神秘劇という形で行われていたが、やがてバロック期には「サクラ・ラップレゼンタツィオーネ」と呼ばれる神秘劇となり、もっと後には非舞台的な音楽であるオラトリオやカンタータとなっていった。」

というCDのブックレットからの説明が引用されています。つまり、この作品が復活祭の時期に演奏されたことを示すものであり、上記サイトではであろうとされている初演年月日である1767年4月17日の聖金曜日は、「モーツァルト事典」では確実な日にちとして紹介されています。初演がその日であったかはわからないものの、その日のためであることは確実というのが、事典の見解です。

私もそれを支持します。なぜならばもう述べていますが、バスは明らかにキリストを意味しているからです。つまり、キリストが復活して、天使の聖霊と会話をしているという図式になっているからです。これはバッハの時代のカンタータを知らないと導き出せない結論なのです。

勿論、初演がその日であったかどうかというのは私も疑問です。しかし、少なくとも復活祭のために作曲されたことは明らかで、それが史料において1767年4月17日の聖金曜日に当たるのであれば、現段階ではその日しか考えられないというのが私の見解です。これは実証史学の立場から言いましても、少なくとも事典のほうが正しいアプローチであろうと思います(そうでないと、たとえば日本古代史において、古事記と照らし合わせた史料批判の結果として、推古天皇以降日本書紀が史料として参照できないことになってしまうからです)。

そして、この作品はカトリックの地域であるザルツブルクにおいても、プロテスタントの音楽であるカンタータが影響を及ぼしていることを教えてくれるものでもあります。その裏には、大バッハの息子達の存在は抜きにしては語れないように思います。事典も上記サイトもそれには触れていませんが、恐らくそれは常識として、あえて触れるものでもないという判断なのだと思います。そこまで触れていますと説明が長くなりますので・・・・・いや、事典ではしっかりといろんなジャンルにおいて、ヨハン・クリシチャンであったりとか、カール・フィリップ・エマニュエルだとかには触れています。そういった作曲家たちがカンタータにおいては直接モーツァルトに教えてはいないでしょうが、大バッハの作品をうけつぐ事でその音楽や様式といったものがその時代に残っていることでモーツァルトへ伝えているわけで、その史観があってこその、結論でもあるわけです。

それはそののち、モーツァルト自身の作品としてはレクイエムなどに結実しますし、その後ではベートーヴェンの第九や弦楽四重奏曲、さらにメンデルスゾーンの再評価によって、後期ロマン派や新古典主義の作曲家にも深い影響を与えていくのです(その一人に、ヴィラ=ロボスがいるわけです)。

モーツァルトのこういった作品は、音楽史に於ける影の立役者たちが、モーツァルトの時代に大勢いたことを私たちに教えてくれているのです。そして、私としてはそれは、やがて「大バッハの息子達」の作品へと目を向けさせる、たしかな一歩を与えてくれたものとなったのです。それにつきましては、またその時に。

演奏は、割愛しましょう!前回第17集のエントリをご参照ください!兎に角、ソリストが素晴らしい!ビブラートが少ない、素直な発声とそれが生み出す伸びやかで柔らかくかつ力強い演奏は、少なくとも聖墓の音楽においてはアーノンクールのものと比肩するかそれ以上の演奏と言っていいでしょう!



聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
宗教的ジングシュピール「第一誡律の責務」K.35
アリア「来たれ!汝ら恥知らぬ罪人たちよ」K.146(317b)※借りてきた音源の記載に準拠しています。
聖墓の音楽K.42(35a)
マーガレット・マーシャル(ソプラノ、K.35)
アン・マリー(ソプラノ)
インガ・ニールセン(ソプラノ、K.35)
ハンス=ペーター・ブロホヴィッツテノール、K.35)
アルド・バルディン(テノール、K.35)
ティーヴン・ヴァーコー(バス、K.42)
南ドイツ放送合唱団(K.42)
サー・ネヴィル・マリナー指揮
シュトゥッツガルト放送交響楽団(コンティヌオ&ミュジカル・アシスタンス:ジョン・コンスタブル)



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