今回の神奈川県立図書館所蔵CDは、モーツァルト全集の宗教音楽の第17集です。宗教的ジングシュピール「第一誡律の責務」K.35を取り上げます。
この曲はそれほど有名な曲ではありませんが、当時のザルツブルクの宗教的な慣習や、モーツァルトの置かれた立場というものが見える点で、私としては重要な曲であると考えています。特に当時のモーツァルトの立場というものがよくわかる作品であると思います。
まず、宗教的ジングシュピール「第一誡律の責務」K.35がどんな曲なのかご紹介しましょう。
K.35 オラトリオ「第一戒律の責務」
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op0/k35.html
オラトリオとありますが、ジングシュピールといういい方の方が適切ではないかと思います。当時のオペラの様式に近いからです。サイトでアリアとある中にはレチタティーヴォも含まれており、サイトのこの説明は少しばかり正確性を欠きます。
借りてきたときに、実は私は東京書籍の「モーツァルト事典」のほうを参照して、リッピングした時にデータをつけています。
�@シンフォニア
�Aレチタティーヴォ
�B第1番アリア
�Cレチタティーヴォ
�D第2番アリアとレチタティーヴォ
�E第3番アリア
�Fレチタティーヴォ〜伴奏つきレチタティーヴォ
�G第4番アリア
�H伴奏つきレチタティーヴォ
�I第5番アリア
�Jレチタティーヴォ
�K第6番アリア
�Lレチタティーヴォ
�M第7番アリア
�N二つのレチタティーヴォ
�E第8番三重唱
これに、上記サイトのアリアを重ねますと、以下になります。
�@シンフォニア
�Aレチタティーヴォ
�B第1番アリア「悲しみつつ私は眺めねばならぬ」 Allegro ハ長調
�Cレチタティーヴォ
�D第2番アリア「怒り狂った獅子は咆咾し」 Allegro 変ホ長調とレチタティーヴォ
�E第3番アリア「目覚めよ、怠け者の奴隷よ」 Andante イ長調
�Fレチタティーヴォ〜伴奏つきレチタティーヴォ
�G第4番アリア「創造主がこの命を」 Allegro grazioso ヘ長調
�H伴奏つきレチタティーヴォ
�I第5番アリア「あの雷のような叱咤の言葉の力が」 Andante un poco adagio 変ホ長調
�Jレチタティーヴォ
�K第6番アリア「哲人をひとり、描いてみたまえ」 Allegro ト長調
�Lレチタティーヴォ
�M第7番アリア「病の多くは、時おりは」 Allegro 変ロ長調
�N二つのレチタティーヴォ
�E第8番三重唱「あなた方の恩寵の輝きが」 Un poco andante ニ長調
この方が正確ですね。実はかなり大きな作品でして、次の第18集の前半も同じ曲となっていまして、第17集では第5番アリアまでとなっていますが、まとめて説明することとします。
歌詞が分かると本当はもっといいのですが・・・・・当時そこまでは借りてこなかったんですよね〜。別冊になっているためで、その分CDが借りられなくなるためです(別冊は1点に数えるためです)。ちなみに、演奏はサイトであげられている参照してほしい「解説書」のCDと一緒です。
こういったものは今分売していないことが多いので、いつか別冊を借りて来まして、歌詞を写そうかと計画しています。
この曲が成立したのは、当時のザルツブルクの社会状況があります。サイトでいう「復活祭前40日間の四旬節には、オペラの上演が禁じられ、その代りに宗教音楽や宗教劇が演奏されていた」というのがそれです。実はこれ、プロテスタントでも一緒でして、カンタータを演奏する代わりに、受難曲を演奏したのがプロテスタント、特にルター派でした。
これは明らかにカトリック、プロテスタントで関連があることを想わせます。こういった点から音楽史を紐解こうとして、聴くというのもアリです。音楽というのはいろんな影響を受けて成立していますから、別におかしなことではないわけです。
そして、私がこの作品で注目するのは、この作品は全体の一部でしかないという点です。それは、サイトのこの部分を引用しましょう。
「全体は3部に分かれる。 当時のザルツブルクの習慣にしたがって、3人の音楽家がそれぞれ1部づつ担当し、そのうち第1部をモーツァルト(11歳)が作曲した。 第2部はミハエル・ハイドン(30歳)、第3部は宮廷オルガン奏者アードルガッサー(38歳)。」
綺麗に年代順ですねえ。なんと、ミヒャエル・ハイドンですら前座。私たちはほとんど知らない、アードルガッサーが第3部という、一番おいしい部分を作曲したわけです。その年齢、38歳。
ここに、現代人がイメージする偉大な天才モーツァルト像というものと当時との乖離があります。どんなに作品が素晴らしくても、年齢で区別され、その枠内でしか評価されなかったわけで、ここになぜモーツァルトがザルツブルクを出てウィーンに行こうとしたのかの一端が見えてきます。そして、この点を押さえておかないと、なぜモーツァルトがウィーンへ出たのか、そしてそこで音楽家として自立しようとしたのかが理解できないわけです。
音楽家が芸術家として自立をしたのはベートーヴェンからだといわれますが、私はそれは本当だろうかと思います。確かに、はっきりとそのスタンスを表明したのはベートーヴェンだったと思います。しかし、それではモーツァルトがウィーンへ出たのはなぜ?という問いにはあいまいな回答しかできなくなります。どちらも人の意思であるにも関わらず、一方は断言できて、一方は断言できないというのは少しおかしな話です。
これは日本史において、中世は何時から始まったのかという論争に似ています。通常は鎌倉幕府開府の1192年とされますが、その直前の問注所がおかれた1180年だという意見もあれば、もっと早く保元・平治の乱から始まったという意見もあり、未だ決着はついていませんが、だんだん保元・平治の乱からというのが定説になりつつあります。
音楽家の自立というものも、そろそろこの「日本において中世はいつ始まったのか」というのと同じ議論をすべき時に来ているように思います。いや、もうヨーロッパでは結論が出ていて、それを日本が認めたくないだけかもしれません。いずれにしても、こういった作品が真のモーツァルト像というものを表わしているので、重要なのです。
演奏面では、特に声楽家の伸びのある声が素晴らしいですねえ。ビブラートも少なくて、私好みです^^オケのサポートも端正で素晴らしく、此れが11歳の少年が作曲したものなの?と驚きを隠せません。交響曲や協奏曲、オペラだけがモーツァルトじゃないよとさりげなく主張しています。こういった演奏、史学科出身の私としては外せませんね。
聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
宗教的ジングシュピール「第一誡律の責務」K.35マーガレット・マーシャル(ソプラノ)
アン・マリー(ソプラノ)
インガ・ニールセン(ソプラノ)
ハンス=ペーター・ブロホヴィッツ(テノール)
アルド・バルディン(テノール)
サー・ネヴィル・マリナー指揮
シュトゥットガルト放送交響楽団(コンティヌオ&ミュジカル・アシスタンス:ジョン・コンスタブル)
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