かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:BCJバッハ教会カンタータ全曲演奏シリーズ19

今回のマイ・コレは、BCJのバッハ教会カンタータ全曲演奏シリーズの第19集です。第86番、第37番、第104番、そして第166番が収録されています。

この4曲は1724年4月〜5月に初演された作品でして、忙しい時期が少し落ち着いた時期の作品になります。とはいえ、忙しさがなくなったかといえばそういうわけではないのでありまして、4曲とも比較的演奏時間が短く、平均するとほぼ15分前後になります。

いかにこの時期のバッハが忙しかったが、こういった点からも見えるのですね。演奏時間というのは見落とされがちなんですが(演奏者によって異なるため)、実際に仕事をしてみますと時間配分というのがいかに大切かというのは社会人であればわかる話です。バッハもトーマスカントルという役職であれば同じであるわけなのです。

さて、BCJは第86番、第37番、第104番、そして第166番の順番で演奏していますが、実際の初演順は第104番、第166番、第86番、そして第37番です。これを比較してみてもとても面白いと思います。BCJがいかにキリスト教の精神を大事に演奏しているかが分かってきます。BCJは基本的に聖書のテクスト順なんですね。翻って当時の演奏順は、必ずしもそれにこだわらずその時々で適宜抜き出しています。ここでは詳しくは述べませんが、調べてみますと興味深いと思います。

そんな点に注目しての聴き方もアリなんです。特に、バッハの教会カンタータの場合、やはり聖書との関係は無視できません。先日とりあげたパレストリーナではありませんが、カトリックでのミサがプロテスタントではカンタータに当たるのですから(まあ、ルター派ではそう単純でもありませんが。いっぽうカルヴァン派なら単純なのかといえば、カルヴァン派は「歌を認めない」のでさらに複雑です)。いずれにしても、キリスト教において「歌」というものが基本的には重要視され、それは聖書と結びつくことが多いことは言えるかと思います。

だからこそ、聖書とどう関連させているかは、こういったアルバムを聴くときには非常に重要なのですね。神道でいえば、祭が相当するでしょう。その時に歌われる歌は大抵、八百万の神に奉納されますね?それがプロテスタントであればカンタータであると考えれば、特段おかしな聴き方ではないわけなのです。

BCJのアルバムは、そういった点を気づかせてくれる点でも、私は非常に優れていると思っています。

第86番「誠に、誠に、あなたがたに告げる」は1724年5月14日に初演された作品で、実は第166番「あなたはどこへ行くのか」(1724年5月7日初演)と関連が深い作品です。この二つとも聴き手に告げているのはバス、つまりイエスなんですね。なぜBCJがその2曲を最初と最後に持ってきたのか・・・・・その点にヒントがあるわけなんです。2つとも同じようにバスのアリア(第886番はアリオーソ)で始まるのも、まさしくイエスの言葉を会衆に告げる効果を狙っているにほかなりません。そしていずれもヨハネ伝第16章(イエスとの別れ)からの引用であるという点も重要です。この2つで他の2つをはさむという構成にしているんですね。

ちょうど復活祭が終わった後の時期として、適した内容を持っているこの二つに着目しているという鈴木氏の視点が、こういった構成から読めるわけで、キリスト教を知りますとさらに面白いのは間違いありません。

だからと言って、必ずしもキリスト教に詳しくなくてもいいんです。それを相対化して、自らの信じる宗教になぞらえて聴くというのも、私はアリだと思っていますし、少なくとも私はそう聴いてきました。そこから教えられたことは山ほどあります。丁度この4つの作品は復活祭の後の作品ですが、そのテクストから見えてくる時代や、宗教を超えた人間の性というものは、けっして色あせません。

例えば、第37番「信じて洗礼(バプテスマ)を受けるものは」は、キリスト教のコアな部分の信仰を描いた作品ですが、そのうちの、信仰が「イエスがご自分の民に与えられるその愛を」の証しと歌われる部分は、自分は自ら信じているものをどれくらい本気で信じているのかとつき付けざるを得ません。自らが信じるのが神道でも仏教でも一緒です。

また、第104番「イスラエルの牧者よ、お聞きなさい」(1724年4月23日初演)では、聖なるものへの信頼を歌っていますが、これも仏教、神道いずれであっても仏や神への祈りへと繋がります。なぜ神社で柏手を打つのでしょう?なぜ寺院で仏に手を合わすのですか?それと同じことです。単にここではそのテクストが聖書であり、その神が歌われているだけです。

そう考えますと、BCJのアルバムを聴くことは翻って、私たち自身の信仰というものを考え直す一つのきっかけになっていくと思います。そしてそれこそが、インターナショナルの中で生きるということでもあるのです。その点を強烈に常に、BCJのアルバムは私たちに問いかけ続けるのです。

このアルバムが発売されたのが2001年。私が買ったのが多分それから2年ほどしてだと思います。しかし、今聴きましてもそのテクスト、そして演奏は全く色あせません。むしろ今だからこそ、重い意味を持つようにも思えてなりません。政治的な混乱、原発事故、経済の不調・・・・・それによる社会の混乱。バッハが作曲した意図をなるべく生かそうというBCJだからこそ、バッハが当時言いたかったことを私たちに伝えているのではないかという気がしてくるのです。



聴いているCD
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第86番「誠に、誠に、あなたがたに告げる」BWV86
カンタータ第37番「信じて洗礼(バプテスマ)を受けるものは」BWV37
カンタータ第104番「イスラエルの牧者よ、お聞きなさい」BWV104
カンタータ第166番「あなたはどこへ行くのか」BWV166
野々下由香里(ソプラノ)
ロビン・ブレイズ(アルト)
桜田亮(テノール
シュテファン・マクラウド(バス)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(キングレコード KKCC-2344)※BIS-CD-1261

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