かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト全集より 宗教音楽19

今回の神奈川県立図書館所蔵CDは、モーツァルト全集の宗教音楽の第19集です。オラトリオ「救われたべトゥーリア」を取り上げます。全集では2枚に分かれていますがここではひとまとめで取り上げます。

オラトリオは、宗教的なものを題材としたオペラのようなものと考えていただいていいのですが、主にバロック期に作曲されたジャンルで、ヘンデル以降あまり作曲されなくなります。それをモーツァルトも作曲しているというのはあまり知られていません(ベートーヴェンのは意外と知られているのですが)。

この「救われたべトゥーリア」は、1771年に作曲された作品ですが、どうやらきちんとした形で演奏されたことはないようです。

オラトリオ「救われたベトゥーリア」 K.118 (74c)
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op1/k118.html

ただ、12歳の少年が、2時間以上のヴォリュームがあるこれだけの曲を作曲したのは素晴らしいことだと思います。これ以前にすでに4つのオペラおよびそれに相当する作品を作曲しているモーツァルトにとっては朝飯前だったかもしれませんが・・・・・

にしてもです。この曲は構成的に素晴らしいものを持っていまして、今回聴きなおしてみましてつくづく借りてきたときに解説まで借りてくればと悔やんだ作品はありません。歌詞がどうしても知りたいという思ったからです。

オラトリオは当然ですが、「言葉」があるわけです。レチタティーヴォだろうがアリアだろうが合唱だろうが、そこには歌詞が存在します。その歌詞が知りたいとこれほど思った作品はありません。

というのも、この作品は実にバッハやヘンデルの伝統を受け継いだ作品なのです。様式的にレチタティーヴォがあってアリアがあるという点もそうですが、もっと言えば、あることを直接言わずに、別なものを使ってレトリックで表現するという伝統に即しているからです。

この作品の原典は旧約聖書です。史実ではないようなので外典とされプロテスタントでは使われていない説話ですが、所謂「神風」のような女傑ユディトの行動に感動して敵国人であったアキオルがイスラエルの信仰の道に入るというエピソードを通して、信仰の大切さを説くのがこの曲の主眼です。

旧約聖書『ユディト記』を読む
http://plaza.rakuten.co.jp/penclub/diary/201204100000/

しかし、オペラではありませんから、幾つかのスペクタクルは排除されています。一つは、ユディットが敵陣深く忍び込み、敵大将ホロフェルネスの首を取るまでと、最後のイスラエル軍アッシリア軍を破る戦闘シーンです。

けんけんブログ
Mozart:「救われたベトゥーリア」K.118(74c)
http://ken-hongou.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/_mozartk11874c_33c7.html

こういいますと、「なんだ、戦闘シーンを描かないなんて、モーツァルトも左翼なんだな。靖国の英霊に対して失礼な奴だ!弾圧せよ!」なんて声が聞こえてきそうですが、ちょっと待ってください。

直接描いていないだけで、実に巧妙に描いてみせているのです。ホロフェルネスの首を取るシーンはユディットが凱旋して敵の首をとったと歌うアリアで表現していますし、またイスラエルの勝利も最終合唱できちんと表現しているのです。それが、バッハがカンタータで、そしてヘンデルがオラトリオで使って見せたレトリックなのです。

特に、ヘンデルはオラトリオ「メサイア」ではイエスを登場させずに、聖書の世界を描いてみせました。それはでは左翼なんでしょうか?それは左翼だと言っている人たちの意見に迎合する行為ですが・・・・・モーツァルトはその伝統をうけついで「救われたべトゥーリア」を作曲したのです。

モーツァルトは当時の決められた規則に則って作曲したにすぎません。その規則を作った人たちはがちがちの保守層ですが・・・・・

是非そういった批判をする人たちにこの曲を真摯に聴いてほしいと思います。ただ、確かにわかりずらい部分があるのは事実です。しかし、バロックから古典派の音楽史を学べば、そういった批判は出て来る余地がないということだけは、はっきり言っておきたいと思います。伝統に即している点において、モーツァルトは保守です。その一方、当時の市民革命の動きにも影響を受けていったのが、彼の音楽の変遷です。

それを理解できる格好の教材が宗教曲であると、私はここに高らかに宣言したいと思います。

レチタティーヴォをまるでオペラのアリアのように扱っているのは驚きますが、それはまた古典派の作品への扉を開く画期的な事でもあり、恐らく歌詞さえわかってしまえば理解しやすいと思います。

だからこそ、私は今になって、歌詞が分からないのは・・・・・と悔やんでいるわけなのです。

この演奏のオケはモーツァルテウムですが、実に真摯な演奏です。さすがとしか言いようがありません。素晴らしいアンサンブルと、曲を伝えようとする情熱。バロック的な作品ですが、もっと評価されてもいいように思いますが、それは演奏者の想いであるかも知れませんね。



聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
2部の宗教劇「救われたべトゥーリア」K.118(74c)
ペーター・シュライヤー(テノール
ハンナ・シュヴァルツ(アルト)
イレアナ・コトルバス(ソプラノ)
ヴァルター・ベリー(バス)
ガブリエレ・フックス(ソプラノ)
マルガリータ・ツィンマーマン(ソプラノ)
ザルツブルク室内合唱団(合唱指揮:ルーベルト・フーバー)
コンティヌオ:コルネリウス・ヘルマン(チェロ)、ジャン=ピエール・ファーバー(チェンバロ
オポルト・ハーガー指揮
ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団



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