かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト全集より 宗教音楽20

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、モーツァルト全集から宗教音楽を取り上げていますが、今回はその第20集め。カンタータ「悔悟するダビデ」を取り上げます。

この曲はモーツァルト作曲のカンタータですが、そういうことも有ったのかはわかりませんが、モーツァルトもバッハ同様の「使いまわし」をしているという証拠の曲なのです。

実はこの曲、ミサ曲ハ短調のキリエとグローリアなんです。

K.469 カンタータ 「悔悟するダヴィデ」
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op4/k469.html

歌詞は新たに付け替え、さらに第6曲目と第8曲目のアリアを加えて完成させたのがこの曲です。

今でも、借りてきたときの衝撃を覚えています。あれ、どこかで聴いた曲だよねえ・・・・・何だったかな・・・・・

あ”−(あに点々)!ミサ曲ハ短調!ここまでやっておったのか〜

1785年の作曲ですが、この時期のモーツァルトはものすごく忙しく、新作も目白押しの上、その演奏にもしなければならない立場でした。そんな時にウィーン音楽芸術家協会から依頼が舞い込みます。その設立に寄与したのがスヴィーテン伯爵。どこかで聴いた名前ですね〜。そう、「メサイア」の編曲です。

ヘンデルの「メサイア」の編曲 K.572
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op5/k572.html

マイ・コレクション:モーツァルトメサイア
http://yaplog.jp/yk6974/archive/857

この作品は「メサイア」の編曲よりも前の作品ですが、バロックからの伝統言うか、「忙しい時の切り抜け方」を教えてくれます。余りにも忙しすぎて、モーツァルトはウィーンで作曲していながらまだ演奏していない、ミサ曲ハ短調を使いまわすことにしたのです。

その使いまわしの完成度は学者にいわれているよりは素晴らしいものです。違和感があるのは歌詞だけであり、その歌詞とリズムの関係は抜群です。

とは言え、私は歌詞も本当に違和感があるものなのかは、歌詞を知らないのでわからないのです。これも先日の「救われたべトゥーリア」だけでなく、今では解説を借りて歌詞が見たいと思ったものの一つです。

それほど無関係なものを音楽と結び付けるだろうかという疑念が、私の中にはあるからなのです。むしろ、これは当時のウィーンにおける流行だったのではないかという気がするのです。あまりシリアスではなくもう少し明るめなもので暗いものを表現する、という。

もし、そんな流行がなかったならば、モーツァルトの音楽はもっと違っていたのではという気がするからです。

そもそも、原曲のミサ曲ハ短調は、実に個人的な理由で作曲されました。もちろん、ザルツブルクでの演奏は念頭に置いていましたが、あくまでもモーツァルトの個人的な感情の発露です。しかし、この「悔悟するダヴィデ」はそうではありません。その上、私はカンタータとなっている点に注目しています。

カンタータということは、この曲はバロック以来の伝統に立脚することをも意味します。しかし、レチタティーヴォは存在しません(そりゃあそうです、もともとミサ曲なのですから)。けれどもこの曲はカンタータなのです。そもそも、この演奏会用には新作のオラトリオを考えていたようです。その点から考えますと、この作品のどこかに、バロックからの伝統が隠されていないと奇異に感じます。

それは何かと考えてみれば、一つにミサ曲ハ短調からの使いまわしですが、これはウィーンの聴衆は知り得なかったろうと思います。あくまでもその「伝統」が聴衆にわからないといけないのです。レトリックなのですから。では、そのレトリックはどこに隠されているかといえば、「暗いことを直接暗いように表現しない」という点にこそ見いだすことができます。

さらに、この曲ではダヴィデが出て来ません。その点も正にレトリックであって、バロック以来の伝統です。だからこそ「カンタータ」としたというように、私は推測しています。その点から言えば、まさしくいい仕事をモーツァルトはしています。

ザスローは立派な学者だと私は思いますが、その当時の文化を理解したうえで述べられているのかという疑念は私の中にあります。古典派の音楽の枠内だけでもしかすると語ってしまっていないかなと思います。学者だって間違いってこともありますから・・・・・だから、必ず史学科の論文では原典に当たり、しかも史料批判を行ってから自分の論を展開するのです。

演奏面では、ソプラノが少し力任せかな〜と思いますが、全体的にはとても引き締まった、バランスのとれた演奏となっています。それがむしろ熱いものになっているのが、私としては嬉しいものです。

出来れば、これがミサ通常文、つまり「ミサ曲ハ短調」だったらなあと、感じています。なぜって、オケがモダンだからです・・・・・



聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
カンタータ「悔悟するダビデ」K.469
マーガレット・マーシャル(ソプラノ)
アイリス・ヴァーミリオン(メッゾ・ソプラノ)
ハンス=ペーター・ブロホヴィッツテノール
南ドイツ放送合唱団(合唱指揮:ラースロー・ヘルタイ)
サー・ネヴィル・マリナー指揮
シュトゥットガルト放送交響楽団



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