かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ヒナステラ ピアノ協奏曲第1番・第2番

今月のお買いもの、7月に購入したものをご紹介しています。今回はヒナステラのピアノ協奏曲第1番と第2番。ナクソスから出ているアルバムです。ディスクユニオン新宿クラシック館での購入です。

山野でヒナステラ弦楽四重奏曲を買ったばかりで、またディスクユニオンで買えるとは思いませんでしたね〜。

さて、ヒナステラといえばエスタンシアが有名な作曲家ですが、ピアノ協奏曲も有名なのです。それは、第1番をキース・ジャレットが編曲してプログレッシヴ・ロックにしている(トッカータ)からです。

アルベルト・ヒナステラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A9

恐怖の頭脳改革
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%90%E6%80%96%E3%81%AE%E9%A0%AD%E8%84%B3%E6%94%B9%E9%9D%A9

youtubeで「Brain Salad Surgery Toccata」で検索しますと、編曲された曲が聴けますが、良くできた編曲だと思います。確かに、これはヒナステラがうなるわけだなあと思います。

しかし、彼の二つのピアノ協奏曲はそういった表面的な面だけではなく、もっと味わいたい部分があります。ピアノを打楽器のように使うことは当時の潮流ですが、それが実に民俗的な味わいを出すのに役立っています。

その上、第1番の「トッカータ」というのに、この曲が明らかにバッハを意識しているのを感じます。そう、新古典主義音楽のなれの果てです。ヒナステラ新古典主義音楽の作曲家とは必ずしも言えませんが、その影響を受けた作曲家であることは間違いないと思います。

ヒナステラの音楽はバルトーク的だとも言われますし、私もそう思いますが、それはヒナステラも実は新古典主義音楽の影響を受けている故であるといえるでしょう。

第2番ではさらにそれを高らかに宣言しています。第1楽章がベートーヴェンの音楽による変奏曲となっているからです。しかし、その主題がまたすぐにはベートーヴェンとわからないところがミソです。

主題は、実は第九から採られています。第4楽章の第208小節。合唱団が座っている場合たいてい立つところですね。そのコード進行から採られています。ですから、すぐにそれが第九とわかる人はプロ以外いません。それほど分解され、別なものに仕立て上げられています。それをバロック以来のクラシックの伝統である変奏曲に仕立て上げたのです。

音楽は相変わらず無調ですが、これこそヒナステラ新古典主義であることの宣言でなくてなんでしょうか。ピアノ協奏曲でありながら、二つとも4楽章の交響曲と同じ楽章構成を取り、無調とは言えカデンツァがあったりなど、古典的な部分も散見されますし。

私はこれに気が付いた時、ヒナステラはもっと深く聴いて行かないといけない作曲家なのではないかという気がするのです。確かに、キース・ジャレットは第1番の第4楽章に素晴らしい編曲をしましたが、第2番を聴きますとそれだけでヒナステラを語ってはいけないのではないかという気がしています。それは第2番で第九を主題に使っていて、しかもそれは一見すると分からないという点においても、そんな気がしています。

当時のアルゼンチンは軍政下にありました。その中で自由を唱えることは命を危険にさらすことだったでしょう。ですから、自由の象徴である第九の旋律を表だって使えないという事情があったと想像されます。そのため、第九の旋律をコード化し、それを使って主題を構成し、変奏曲にしたと考えられます。この点は本当はきちんと調べたかったのですが、残念ながらネットでもまたブックレットでも触れているものはありませんでした。

これはバロックで使われたレトリックの手法によく似ていますし、また近代ではショスタコーヴィチもやっています。こういった手法を使うということは、当時ヒナステラは自由に表現ができなかった状況にあったということを教えてくれます。

演奏は他のブログではあまり良くないとされていますが、ブックレットにまだ第九との関係が記載されている分いいのではないかと思います。多分、欧米の人はその程度の記載でヒナステラの当時の境遇がどんなものであるのかが常識なのだろうと思います。他のCDではどんな解説があるのかが知りたいですね。できれば、県立図書館にあれば借りて来たいという気持ちが湧き上がっています。というのも、こういった解説をしてくれているブログやサイトが皆無だからなのです。

恐らくご存じなのではないか、知っていてあえて言及されていないのではないかというのが一つありますが・・・・・

ボクノオンガク
ヒナステラ ピアノ協奏曲第1番:南米の断末魔
http://bokunoongaku.blog39.fc2.com/blog-category-121.html

これくらいです。「南米の断末魔」とはいい表現なのではと思います。当時のアルゼンチンの状況を考えれば、確かに「断末魔」というのは言い得て妙です。

私は演奏だけでなく、編集面などにも目を向けて評しますので、私はこのナクソスのものはいいと思います。もし、他のCDで作曲当時(第1番:1961年、第2番:1972年)のアルゼンチンの社会状況や、ヒナステラ音楽史上どんな位置になるのかの説明がないのだとすれば、それはどんなにいい演奏だと言っても、私はあまりお勧めできないです。それは、ヒナステラが「言いたかったこと」をどれだけ聴衆に伝わるかが、わからないからです。

勿論、ある種のフィルターがかかるのも危険なのですが、その点でいえば、ナクソスは突き離しているようで、実は調べれば行きつくという点で、優れた解説をしているのではないかという気がしています。

ヒナステラのイメージは、ピアソラと共に再考を迫られています。そのきっかけになっている一枚です。



聴いているCD
アルベルト・ヒナステラ作曲
ピアノ協奏曲第1番作品28
ピアノ協奏曲第2番作品39
ドラ・デ・マリニス(ピアノ)
フリオ・マラヴァル指揮
スロヴァキア放送交響楽団
(Naxos 8.555283)



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