かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ヒナステラ 弦楽四重奏曲全集

今月のお買いもの、7月に購入したものを取り上げています。今回はナクソスから出ているヒナステラ弦楽四重奏曲全集です。銀座山野楽器本店で買い求めました。1200円。演奏はエンソ四重奏団他。

実は当日、ヒナステラは別のものを予定していました。ラテン・アメリカ四重奏団演奏のブリリアント・クラシックスのもので、630円。ところが、ナクソスでいいのがないかなあと移動した途端、他の方に買われてしまいました〜ToT

それほど、実は今ヒナステラはジワリと人気が出てきています。私がしったきっかけは、某SNSのイベントでしたが、その時からこの作曲家は!と思う点がありました。ただ、現代音楽であることには変わりありません。

アルベルト・ヒナステラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A9

ですから、私は出来れば室内楽から入りたいと思っていたのです。そのため、ブリリアントクラシックスのは迷うことなく手に取ったのですが、もしほかにいいのがあったらという意識で棚に戻しましたら、それは買われてしまったということだったのです。

そのため、値段が高くなることで躊躇はしたものの、買ったのがこのナクソスのものです。どちらも一枚に3曲収録されており、その3曲がヒナステラが作曲した弦楽四重奏曲の全てです。

ヒナステラはアルゼンチンの作曲家で、弟子にピアソラがいます。ただ、この弦楽四重奏曲は弟子ピアソラがタンゴで現出させた音楽とは異なっています。新古典主義というよりはバリバリの現代音楽です。しかし、ヒナステラの音楽の出発点は、新古典主義音楽です。それはアメリカでコープランドに師事していることから見ても明らかです。一方で、ヒナステラが作曲をはじめて時期は新古典主義音楽が終焉を迎える時期にあり、純粋なクラシックの作曲家であったヒナステラは、その時代の波にのまれていくのは仕方がなかったと思います。

第1番が1948年、第2番が1958年、そして第3番が1973年に作曲されていますから、新古典主義音楽であるはずがないのです。その精神だけをうけついだ、現代音楽に仕上がっています。不協和音が鳴り響きますが、その基礎は民俗音楽であり、音楽的には少し古いバルトークに近いと言えるかと思います。

その傾向を一番現わしているのが、第3番だと思います。この第3番、弦楽四重奏曲でありながら声楽が付くのです。すべて作曲家の弦四の作品を知っているわけではありませんが、声楽が入るなんて私は初めてです。でも、多分それはベートーヴェンの第九をはじめて聴いた人たちと、同じ衝撃なのでしょう。不協和音が鳴り響くだけであれば、時代を考えればそれほど珍しいことではありません(でも、音楽は衝撃なんですけれど。結構アクが強いんですよ、これが)。その上で声楽が乗っていることが珍しく、その上でアクが強いことが衝撃です。

歌詞のもととなったのがアルゼンチンの文学者なのか、スペインなのかはわかりませんが、いずれにしてもスペイン語であることから、彼の自然なナショナリズムを見ることができます。第3番はシェーンベルクの12音階を通り越し無調へと向かう音楽ですが、その基礎はあくまでも愛国心であり、その点では明らかに新古典主義音楽から出発した彼の大元があると私は思います。

そもそも、新古典主義音楽は国民楽派とはスタンスが異なるナショナリズム音楽です。国民楽派があくまでもロマンティシズムを追求することでナショナリズムを表現したのと異なり、新古典主義はむしろロマンティシズムとは決別してナショナリズムを表わそうというものです。ですから、新古典主義音楽の作曲者たちには祖国の旋律だとか様式を大事にする人が多いのが特徴です。たとえば、「パシフィック231」で有名なオネゲルは、交響曲は全て3楽章のものを書いています。これはバロックから前古典派の時代において、交響曲は特にフランスでは3楽章であったため(ですから、モーツァルト交響曲第31番「パリ」は3楽章ですし、彼の交響曲に3楽章が多いのはそのせいもあるのです)で、それは明らかにナショナリズムの発露の結果なのです。

それをレトリックとして使ったのがマルチヌーで、交響曲第3番が3楽章であるのは、明らかにノルマンディー上陸をきっかけに、かつて自分が活動の拠点にしていたパリが解放されることに思いをはせたものであることを、様式で見せるためなのです。

第3交響曲 H.299 (1944/5-6)
http://www.martinu.jp/sym_the3rd.html

こういった動きと、ヒナステラの弦四第3番とは無関係ではないと思います。音楽的には新古典主義が範としたバッハから古典派の音楽とは異なりますが、精神はしっかりと受け継いだうえで、新たな音楽の流れに挑戦しています。

私はこの3曲をききまして、ヒナステラは現代音楽の作曲家だとは言い切れません。むしろ、基本は新古典主義音楽に立脚しつつ、旋律などは12音階や無調など、当時の流行を取り入れたと思います。弟子であるピアソラはむしろ師匠ヒナステラのこういった姿勢に疑問を感じたことでしょう。なぜなら、彼は純粋な民俗音楽であるタンゴの音楽家だったからです。であれば、師匠が捨てた純粋な新古典主義音楽をタンゴで継承するという道を選らび、その結果の一つが、たとえば「ブエノスアイレスの夏」であるとか、「リベルタンゴ」、或いは「ブエノスアイレスのマリア」であるとするならば、納得できるわけです。

ヒナステラの作品は、その意味で音楽史上とても大きな意味を持つのでないかと私は考えています。そして、少なくともピアソラの作品をも聴いた今、それは確信に変わりつつあります。

最後に、このCDの特徴を一つ。実は、この3曲を聴くというのは、私は気が付いていませんでしたが、ヒナステラの作品の変遷を見るのにふさわしいということです。つまりは、入門編であるということです。第1番は1期目の「客観的愛国心」、第2番は第2期の「主観的愛国心」、そして第3番は第3期の「新表現主義」に書かれた作品です。それぞれを代表する作品が弦楽四重奏曲に存在するという点も、私はどこかベートーヴェンを彷彿とさせ、そこにやはり新古典主義の気風を見るのです。こういった編集は、さすがナクソスです。

また、演奏もしっかりとしたもので、けっしてごちゃごちゃしません。それ故、ヒナステラの音楽性を、きちんと表現しているように思います。



聴いているCD
アルベルト・ヒナステラ作曲
弦楽四重奏曲第1番作品20
弦楽四重奏曲第2番作品26
弦楽四重奏曲第3番作品40
ルーシー・シェルトン(ソプラノ)
エンソ四重奏団
(Naxos 8.570780)



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