かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:ミューザ川崎における口語体の第九

今回のマイ・コレは久しぶりに第九を取り上げます。スダーン指揮、東京交響楽団他の演奏です。

このCDを買いましたのはミューザが開館してまもなくの頃です。もちろん、ロケーションがミューザだからこそ買い求めたものです。

この演奏は携帯にも入れておりまして、中大オケがミューザで第九を演奏したのを聴きに行った時に、行くときの電車の中で聴いています。

音楽雑記帳:実力をつけた中大オケ
http://yaplog.jp/yk6974/archive/477

この演奏と比較をされる中大生もきつかったと思うのですが、彼らは本当に素晴らしい演奏をしたと今でも思います。

さて、このCDは他に特徴がありまして、歌詞のドイツ語の発音が口語体であるということです。以前にも、口語体については取り上げているかと思います。

友人提供音源:アメリカ人が演奏する口語体の「第九」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/413

マイ・コレクション:ブリュッヘン「第九」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/416

音楽雑記帳:なぜ増えない?口語体発音の「第九」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/442

この演奏を評価するためには、一番最後に取り上げているエントリ「なぜ増えない?口語体発音の「第九」」を参照しながらのほうがいいと思います。

このCDは、兎に角第4楽章に突っ込みどころと言いますか、特徴が満載なのです。他は第2楽章で低い音を弱く高い音を強く「一部」演奏している点があるだけで、それほど特徴があるわけではありません。ただ、全体的にピリオドに近い演奏をしているのが特徴といえば特徴でしょうか。もちろん、東響はモダンオケです。その点は、ナイスチャレンジと言えるでしょう。第九と言えば重厚なイメージがあるのを引き締まった筋肉質の演奏へと変えているのですから。それはさらに、残響がうまく残ることにもつながっており、豊潤な演奏を実現しています。

第4楽章はそれを踏まえたうえでさらに特徴が満載なのです。その口語体ですが、徹底されているのです。「アメリカ人が演奏する口語体の「第九」」のエントリで語りましたが、なかなか統一するという徹底ができない場合が多いのです。ここでは、それがなされているというのが嬉しい点です。

以下のエントリを一部再掲しましょう。

音楽雑記帳:なぜ増えない?口語体発音の「第九」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/442



「さて、このブログでも何度か触れてきました、ドイツ語の口語体発音。いわゆる最後のerをエルと発音せずアーと発音する現代ドイツ語の発音ですが、それをなかなか合唱団員は受け入れようとしません。しかし、それには何度か触れていますが理由があります。それは、合唱団員がその発音に慣れているということがありますが、慣れているいう理由だけではありません。それは、もともとベートーヴェンが文語体発音でリズムを作っていることが理由なのです。

ただ、それをerの発音部分で見てみますと、面白いことがわかります。たとえば、練習番号M、543小節めを見てみましょう。ここはerが頻繁に出てきますが、実は付点四分音符なんですね。通常、文語体でということを理由とするとき、erの部分で音の動きがないとそれを言うことはできません。明らかにそこにリズムが設定されているからです。ところが、この部分はerの音だけで付点四分音符です。つまり、それだけ伸ばしてくださいという指示にベートーヴェンはしているわけです。

ならば、口語体でも別段問題はありません。先日アップしましたブリュッヘンの第九ですが、解説にこんなことが書いてありました。

「口語体にするとリズムがおかしくなるので、バリトンソロは変えているが」

確かに録音ではそうなのですが、私は聴いたときにすぐ楽譜を見まして、その解説はおかしいと思いました。なぜならば、バリトンソロの部分はほとんど同じ四分音符です。eとrにそれぞれ音符がついているわけではありません。ですから、本来は全くおかしくありません。ただ、歌いにくい場合があることは確かです。それは、オーケストラが文語体のリズムに合わせているからなんです。

まず、バリトンソロの部分のオケを見てみます。実はここはオケも同じリズムを刻んでいます(220小節以降)。ところが、練習番号M、543小節からはオーケストラは八部音符でリズムを刻んでいます。そして、完全にerの部分では音に高低がついており、リズムに変化がついているわけなんです。ここに本来解決しなければいけない問題があります。ですから、わたしは即座にブリュッヘンの演奏を聴いたときに「これはおかしい」と思ったわけです。そして、なぜ合唱団が文語体のままで歌ったのか、そこで理解できました。

つまり、オケを重視した、ということです。ある意味では、ブリュッヘンはきちんと第九を交響曲と位置付けて振っているということでもあります。しかし、主旋律は確かに合唱団がおもに担当します。ここに、第九のむずかしさがあるのです。

逆に言えば、合唱団は口語体だからいやだと文句をいう筋合いはない、ということなのです。むしろ、本来はオーケストラのほうから文句がでないとおかしいということができます。

ところが、現実は逆にオーケストラは歓迎なのです。よし、それに挑戦してみようというオケが結構あります。特にアマチュアオーケストラが自分たちの定期演奏会でやる場合は、口語体でという団員が結構いるとききます。でも、たいてい合唱団の抵抗にあって文語体になるのだ、と。」


で、それにオケ、ソリスト、合唱団共に挑戦したのが、この演奏なのです。2004年の録音です。しかし、その後口語体での演奏頻度は伸び悩んでいます。やはり、日本の団体は保守的だなあと思います。

さらに、第4楽章で私が常に問題にするvor Gott!の部分。vor一拍に対し、Gott!は4拍しか振っていないんですよね〜。しかも、次のアラ・マルシアへはアタッカ。あらら〜、そのまま突っ込むのね〜、と。完全に変態演奏です。多分に、ガーディナーの演奏が頭にありますね。

マイ・コレクション:ガーディナーの第九
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1007

まあ、それで違和感がないので良しとしましょう!

それにしても、このような演奏が可能であるのは、私は川崎という土地柄だと思っています。労働者の町であり、既存の思考に囚われないその気風が、この演奏を生んだのだろうと思います。

実際、川崎ほど市民が主体になってイベントが行われる自治体も珍しく、合唱祭も連盟や市民が中心となって盛り上げます。だからこそこの演奏は受け入れられ、可能であったといえます。

ただ、それでもまだ口語体での演奏は川崎ですらなかなか増えてはいません。それは日本全体の状況をも反映していると言っていいでしょう。

もう一度言いましょう。

「でも、合唱団の方に考えてほしいのです。口語体では合唱は全く問題ありませんよ。単に付点四分音符を「アー」と伸ばすだけです。わたしもためしに歌ったことがありますが、全く問題ないです。もし、それがちがうとおっしゃるなら、お会いして歌って見せましょう。」

そして、その絶妙なバランスの素晴らしい演奏が、このCDなのですから。



聴いているCD
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」
佐藤しのぶ(ソプラノ)
坂本朱(メゾ・ソプラノ)
福井敬(テノール
アイン・アンゲル(バス)
東響コーラス
ユベール・スターン指揮
東京交響楽団
(東京交響楽団 TSOCD001)



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