かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ピアソラ リベルタンゴ

今月のお買いもの、7月に購入したものを取り上げています。今回はナクソスから出ているピアソラ作曲のアルバムです。その名も、「リベルタンゴ」。

私が初めて買いました、タンゴの曲のアルバムです。銀座山野楽器本店での購入です。

このCDを買うきっかけになったのが、5月に聴きに行きました、神谷さんのコンサートでした。

コンサート雑感:神谷 勝&内藤 晃 デュオ・サロンコンサートを聴いて
http://yaplog.jp/yk6974/archive/956

この時に聴いたのが、ピアソラの「タンガーゾ」でしたが、もともと、私はピアソラリベルタンゴに親近感というか、親しみを持っていました。CMでヨーヨー・マがチェロで弾いた演奏を知っている人もいらっしゃるかと思います。

ところが、そもそも私はほとんどタンゴを聴いていないせいか、その曲がリベルタンゴというのだということを知りませんでした。それを教えてくれたのが、このアルバムになりました。

そもそも、このナクソスをチョイスした理由は、ピアソラ楽団の雰囲気をよく伝えて居そうな編成になっていることで、ピアソラ入門編として最適ではないかと判断したためでした。どうしても、たとえばリベルタンゴにしても、チェロというイメージが強いのですが、必ずしも編成としてはチェロ一つだけとは限りません。バンドネオンアコーディオンに似た楽器のこと)も使われることが多い作品です。

リベルタンゴ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%B4

そもそも、ピアソラバンドネオン奏者です。その楽器からして、クラシックではなく当然ですがタンゴを専門としますが、実はクラシックへも傾倒した人で、そのことによってさらに自らのタンゴに磨きをかけた人でした。

アストル・ピアソラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%82%BD%E3%83%A9

彼の音楽は、私はヒナステラの影響が強いと思っています。ヒナステラの様式というか、新古典主義につらなるヒナステラ音楽理論を学んだということに、私は注目します。新古典主義とは、後期ロマン派を否定して、その上で民俗的な音楽を追求することでした。それはタンゴのバンドネオン奏者であったピアソラに、刺激を与えないわけがないだろうと考えるからです。

アルベルト・ヒナステラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A9

ヒナステラ自身は明確な新古典主義の作曲家ではありませんが、コープランドに師事したという点から新古典主義の影響下にあると言っていいでしょう。その彼に師事したのが、ピアソラだったのです。

タンゴとは元々、アルゼンチンの民俗音楽です。特に舞曲であり、その点で新古典主義と結びつきやすいといえるでしょう。新古典主義がバッハの音楽に範を求めたことを思い起こして見ましょう。バッハは巧みに舞曲を様々な作品に取り入れた作曲家でした。というより、バロックという時代がそうであったとも言えます。その20世紀版を目指したのが、「新古典主義」の運動でした。

新古典主義音楽
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%8F%A4%E5%85%B8%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%9F%B3%E6%A5%BD

そのテクストで聴きますと、ピアソラの音楽は様々な顔をのぞかせます。

まず、第1曲目「天使のミロンガ」ですが、ミロンガがダンスの一形式です。タンゴがダンス音楽であることを考えますと、ごく普通の事ですが、だからこそピアソラがクラシックの音楽理論の先生として、ヒナステラを選んだのは単にヒナステラがアルゼンチンを代表する音楽家であっただけではないだろうと思います。ピアソラが目指す音楽に近い思想を持っていたからこそだと思います。

ミロンガ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%AC

リズムにはシンコペーションがあることは、古典派におけるモーツァルトも彷彿とさせます。ピアソラが作曲を始めた頃、すでに新古典主義音楽はすたれ始め、音楽は無調へと移っていましたが、ピアソラはあくまでも旋律にこだわった作品にしています。それは彼なりの新古典主義音楽の継承を意味するものなのではと思います。少なくともモーツァルトであればロマン派ではないので、シンコペーションを取り入れることに躊躇はなかったことでしょう。

2曲目がブエノスアイレスの夏。実はこれ、四季になっていまして、他に春、秋、冬も存在します。

Aires Buenos - 気分は良好
ブエノスアイレスの夏、秋、冬、春
http://airesbuenos-delkumi.blogspot.jp/2009/08/blog-post_23.html

以上のサイトでは、ヴィヴァルディを意識したものではないでしょうと述べられていますが、私は4つにして、それぞれに季節をつけるときに意識をしていたように思います。彼が音楽理論を学んだ先生が、ヒナステラであったということを考えますと、意識していたように思います。ヴィヴァルディの「四季」も、4つに様々な舞曲が出て来ることを考えれば、けっして意識にないとは言えないでしょう。

3曲目は「バチンの少年」。切ない歌曲ですが、ここでピアソラはタンゴらしからぬことをやっています。タンゴで歌曲といえば男女の恋が多いといわれるのですが、ここでは知恵遅れの花売りの少年の悲哀を描いているからです。

Piazzollatime裏ブログ
Chiquilin de Bachin チキリン・デ・バチン(バチンの少年)
http://blogs.yahoo.co.jp/piazzollamusica/7198930.html

チキリン〜♪と歌われるのを聴くと、私は某ブロガーをつい想像してしまいますが、「少年よ」と呼びかけているんですね。そして、注目なのが、この曲が3拍子のワルツであるということです。ワルツと言えば、後期ロマン派においては、まさしく世紀末ウィーンの社交界における音楽であり、またウィーンを代表する音楽であるわけですが、それを使いながら、ピアソラはウィンナ・ワルツでは決して取り上げないテーマを持ってきたという訳です。その背景はわかりませんが、ただ、貧困を扱っていることを顧みますと、ヨーロッパとの関係がないとは言えないように思います。

この曲はタンゴとしても、そしてワルツとしても異色の作品であるのは、私はまさしくピアソラ自身が、自分は新古典主義音楽に立脚したタンゴの作曲家であるという意識を強く持っている故であると思います。実際、ワルツでありながら、旋律は民俗的です。そこに、ピアソラが「言いたいこと」が詰まっているように思えます。

4曲目が最初に取り上げましたリベルタンゴ。もう一度、ウィキのURLを再掲しておきましょう。ここにも、彼が新古典主義の延長線上にある証拠があります。

リベルタンゴ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%B4

そもそも、リベルタンゴとは、「自由なタンゴ」という意味です。その意味するもの、それは当時のアルゼンチン大統領、フアン・ペロンへの批判であるということです。

フアン・ペロン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AD%E3%83%B3

日本では、こういった背景があまり語れることがないと思いますが、私はこのエピソードを知って、ピアソラの音楽は表面的な悲哀だけで聴くべきではないと感じています。彼の音楽はあくまでも新古典主義の延長線上であり、ある意味健全なナショナリズムに基づいた、自立した芸術家の姿であると思うからです。その上で、3曲目の「バチンの少年」のように庶民の貧困に目を向けるなど、少なからずペロンの政策とは相いれない思想を持っていたことを顧みれば、なぜこの曲が「リベルタンゴ」と名付けられたのかを、深く考える必要があるように思います。

3曲目で取り上げたサイトの方が、私のその考えに応えてくれているように思います。

http://blogs.yahoo.co.jp/piazzollamusica/13852244.html

5曲目が「オブリヴィオン」。忘却という意味です。以下のサイトによりますと、バンドネオン版とオケ版とが存在するようですが、このナクソスのでは小アンサンブルで演奏され、どちらかといえばオケ版の編成となっています。そもそもが映画音楽ですからフルオケでもいいわけですが、実際にライヴで演奏するとなると、まさしくアルバムのまるでバロック〜古典派の時代のオケのような、小編成がぴったりという気がします。

ルゼルの情報日記
☆オブリヴィオン(忘却)♪アストル・ピアソラ!(OBLIVION / ASTOR・PIAZZOLLA)
http://plaza.rakuten.co.jp/ruzerukabu/diary/201104180004/

フルオケが小編成でも演奏できるという点も、私としてはどこかバロックに範をとったように思えます。そしてその点も、ピアソラ新古典主義音楽の、いわゆる最後の作曲家と言ってもいいように思うのです。この作品が書かれたのは、1984年。クラシックではすでに新古典主義音楽などヨーロッパでは古い潮流とされ、無調音楽が支配している時代です。その時代に、愚直に旋律にこだわって、そこに民俗色を入れていったその姿勢は、どう見ても新古典主義そのものです。

6曲目が「ロコへのバラード」。これも、所謂「男が女に振られる」という曲とは言い難いテーマを扱っています。歌詞を取り上げているサイトがありましたので、あげておきます。

エイ爺の“らいく A 老人グ すと〜ん”♪
「ロコへのバラード」の訳詩がしりたいよ♪
http://blogs.yahoo.co.jp/eijiisann/29750495.html

いやあ、これは・・・・・振られるって言うか、これは「男が女を求める」曲です。忌野清志郎の「雨上がりの夜空に」と同じテクストを持つように思います。例えば、「さあおいで、一緒に踊ろう 飛ぼう」という歌詞は、男女の愛としては濃すぎる内容です。どう考えてもスラングすれすれですが、しかし上質な内容をもってもいます。それは、モーツァルトのあのカノンの作品群を思い出さざるを得ません。

マイ・コレクション:未検閲モーツァルト
http://yaplog.jp/yk6974/archive/972

こんな点も、私としてはピアソラ新古典主義音楽の作曲家だと思う点でもあります。

最後の曲が、組曲ブエノスアイレスのマリア」です。1968年初演の舞台作品を後に組曲にしたものです。

http://www6.ocn.ne.jp/~colosop/music-Piazzolla-1-3b.html

組曲は以下の5曲からなります。

�@カエリーゴのミロンガ
�Aフーガと神秘
�B私はマリア
�Cアレグロカンタービレ
�D受胎告知のミロンガ

上記サイトの説明、そしてこの組曲の題名を見るだけで、ピアソラがどんなジャンルの音楽をうけついでいるのかが明確です。2つ目はまさしくタンゴを使ったフーガであり、その点からもピアソラ新古典主義であることが明らかなのです。その上で、3つ目の「私はマリア」は、6曲目の「ロコへのバラード」同様かそれ以上の歌詞となっています。上記サイトの歌詞をよく読んでいただければ、その過激さが良く分かろうものです。

例えば、

歌うとき、愛するとき、私はもっと魔女!
バンドネオンがわたしを挑発すれば・・ティアラ、タタ!
わたしは口を咬んでやる・・ティアラ、タタ!
わたしの中に花咲く10のエクスタシーで

口を咬むという表現は、激しいキスを想像させます。しかも、単なるキスではありません。今回はピアソラの音楽を理解していただくために憚りなく言いますが、これはセックスが前提のキスです。よく、性行為の指南書で「セックスはキスから始まる」とありますがそれを地で行く歌詞です。その後に、「受胎告知のミロンガ」が来るという構成は、単に男女の情愛とその結果を描くだけでなく、それを借りてアルゼンチンそのものを描くというものです(だからこそ、1つ目に民俗的な「カエリーゴのミロンガ」が来る)。これもバッハがカンタータで使うレトリックと同じものです。その点で、やはりピアソラ新古典主義音楽の延長線上と言える証拠です。

こう見てきますと、このアルバムにはしっかりと、一つの編集の柱が見えます。リベルタンゴヨーヨー・マのチェロで広まったことでその演奏のイメージがあるのを払しょくし、タンゴらしさを追求するとともに、タンゴの作曲家であるピアソラ音楽史上タンゴという一ジャンルで収まるものではなく、むしろクラシックのジャンルから言えば新古典主義音楽の作曲家であり、それ故タンゴの作曲家であるのだという大きな柱が見えてきます。アリア以外の小編成など、徹底的にピアソラ楽団に近いものとしている点も、素晴らしいように思います。

それにしても、これでもピアソラを説明するのはいろんなものを端折っています。それだけ、ピアソラという作曲家がタンゴという枠だけに収まりきらないのだということを証明しているように思います。様々なピアソラのアルバムが出ていますが、入門編としては大変良くできたアルバムではないかと思います。そして、私はこのアルバムに出会って良かったと思っています。恐らく、今後新古典主義音楽が残っているもう一つの国、わが日本の作曲家をとりあげることがあるかと思いますが、その理解をより深めるアルバムでもあると思うからです。それがなぜなのかは、またその時にお話ししたいと思います。



聴いているCD
アストル・ピアソラ作曲
天使のミロンガ
ブエノスアイレスの夏
バチンの少年
リベルタンゴ
オブリヴィオ
ロコへのバラード
組曲ブエノスアイレスのマリア」
�@カエリーゴのミロンガ
�Aフーガと神秘
�B私はマリア
�Cアレグロカンタービレ
�D受胎告知のミロンガ
マリア・レイ・ジョリー(ソプラノ)
エンリケ・モラタッラ(ヴォーカル)
オラシオ・フェレール(朗唱)
ヴァーサス・アンサンブル
(Naxos 8.570523)



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