今月のお買いもの、今回はヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのカンタータ集の第2回目です。2枚組の2枚目を取り上げます。
まず、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハがどういった人だったのか、ウィキの説明を再掲します。
ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F
音楽は事実を雄弁に語りますね。私がこのCDを聴いたとき、真っ先に思ったのは、まるでフリーデマンの音楽が陳腐なものであるというような印象を与えるこの書き方は正しいのだろうか?というものでした。そして、多くのレヴュアーが同様の印象を持っているようです。
例えば、この第2集のもとのレーベルから出ているものを聴いた人の感想ですが・・・・・
〉みずみずしくはつらつとして、ちまたのうわさとはどうしても相いれない。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/B000001WPJ/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1
私もこのレヴュアーと全く同様の感想を持っています。バロック的な部分とそうではない部分とが同居しつつ、音楽は父から受け継いだものが脈々と受け継がれている事実を、私たちはこの演奏で目の当たりにします。
まず、第1曲目がそれを感じる題材として適当だと思います。カンタータ「今ぞこの日」 Fk. 85は作曲年代がブックレットには記載がないですが、様式的にはやはり1750年前後だろうと思います。聖霊降臨節用の曲で、そのためか祝祭的なものになっています。その最たるものが、構成的には冒頭にシンフォニアが使われている点です。
このシンフォニアは作品番号としてはFk. 64が与えられている作品ですが、このCDではFk.85の冒頭楽曲として使われています。詳しい経緯などはブックレットには載っていませんが、父の作品にもシンフォニアで始まる作品があることから、別段珍しいことではないだろうと思います。むしろ、注目なのは、シンフォニアが3楽章形式を取り、しかも急〜緩〜急の構成を取る点です。
父大バッハの場合は、シンフォニアと言っても1楽章しかないのが通常だったのが、この息子の代では3楽章備え、それがフランス風の構成を構え、その形式でカンタータに使われているという点です。
これは、何かに似ていると思いませんか?そう、モーツァルトの番号がついていない交響曲に多く見られたものです。まるでオペラの序曲に転用したような、です。
このカンタータは、まさしく交響曲の歴史を語るうえでも重要な作品なのではないかと思います。正直言って、シンフォニアの第1楽章だけで終わらせ、合唱を次に持ってきて、その後レチタティーヴォでもいいはずですが、ここでは前古典派の交響曲を使い、その後にレチタティーヴォを持ってきています。その点は、時代を感じる点です。
そして、私はこの点にこそ、フリーデマンの苦悩が見て取れるのです。長男は往々にして、父を背負うものです。偉大であろうがなかろうが背負うわけです。で、フリーデマンが背負ったものは父だけでなく、その音楽もだったわけですから、まずその父の音楽を継承することを第一としつつも、時代の流れには乗らなければ生活は成り立ちません。
つまり、長男の苦悩が、ここに見て取れるわけなのです。その点、ウィキは抜け落ちているように思います。
次は、「震え、堕ち」 F. 83です。1750年代には完成されたと言われていますがこれも詳しいことが分かっていない作品です。用途は復活祭用で、そのためか明るい楽曲となっています。その上、この曲ほど父ヨハン・セバスティアンを意識している楽曲もないように思います。まるで父の作品を聴いているような感覚に陥ります。それでふと考えるのが、やはりウィキのこの記述です。
「フリーデマンは、不安定な生活基盤とだらしない性格から、父親や成功した弟たちとは違って、一生の間に着実に創作様式を発展させるということがなく、後期バロック音楽の様式を継承した(より厳格な)対位法的な初期の作品と、前古典派音楽の典型的な音楽様式を示す和声的で自由な晩年の作品というように、時期によって作風に大きな隔たりが認められる。」
不安定だったのは、その音楽が時代に即していなかったからなのでは?という気がします。それは、フリーデマンの宿命であったのではという気がしてならないのです。そこでもがいているフリーデマンの様子が、同じ長男である私には切々と伝わってきます。そして、様式の変化も、父と子の関係や芸術の継承、それと音楽の趣向の変化というものが複雑に絡み合っているためで、単にフリーデマンの人間性だけにそれを帰結させるのは無理があろうと思います。
それは、ウィキですらこう認めています。
「いっぽう、1733年に作曲した《2台のチェンバロのための協奏曲 Concerto a duoi cembali concertati 》は、ヨハネス・ブラームスはこの作品を校訂して出版した際フリーデマンの作品としたにも拘わらず、大バッハの浄書譜によって伝承されたため、後に誤って父親の作品として発表されてしまったといういきさつがある。また、バッハの《管弦楽組曲第5番》と呼ばれてきた、管弦楽のためのト短調のフランス風序曲(BWV.1070)は、突然の感情の高まりと中絶という特色から、フリーデマンが真の作者ではなかったかと類推されている(ただし確証があるわけではない)。」
つまり、父大バッハの作品と錯覚するくらいの作品を生み出す才能は確かにあったわけです。ただ、長男としての重圧と、英才教育を受けた故自らに甘かったなどの点が、その後の彼の運命を決めていったように思います。それを、ただ単に一人の人格だけに帰結していいのでしょうか?
むしろ、カール・フィリップはその兄に感謝していたくらいなのではという気がします。兄が音楽的なものを背負ってくれるおかげで、弟は父の伝統をうけつぎつつ、新しいものに思いっきりチャレンジすることが出来たことでしょう。
カンタータだけではなく、本来は鍵盤楽器も聴いてみたい作曲家の一人が、フリーデマンなのです。モーツァルトのクラヴィーア曲に影響を与えたのは、二人の息子、フリーデマンとカール・フィリップ・エマニュエルだからです。それを鑑みると、その二人に人格だけで作品の評価に差を付けることは如何なものかと思います。
実際、ピリオドで演奏されるこのCDを聴きますと、聴きやすくそれでいて随所に工夫の跡がみられるのを発見できるのがとても楽しい作品ばかりです。それにしても、ここでもヨーロッパの文化の厚さを見せつけられます。ほとんど日本で知られていない団体であるにも関わらず、本当に素晴らしいアンサンブルを聴かせてくれます。合唱も高音部部がとても自然ですし、モダンかと思わんばかりの実力を有しています。
この時代の作曲家たちは、今後も追いかけていきたいと思います。
聴いているCD
ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ作曲
カンタータ「今ぞこの日」(シンフォニアニ長調を含む)
カンタータ「震え、堕ち」
バーバラ・シュリック(ソプラノ)
クラウディア・シューベルト(アルト)
ヴィルフリート・ヨッヘンス(テノール)
シュテファン・シュレッケンベルガ―(バス)
ライニッシェ・カントライ
ヘルマン・マックス指揮
クライネ・コンツェルト
(Brilliant Classics 94256/2)
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