かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト交響曲全集 ピノック/イングリッシュ・コンサート編1

神奈川県立図書館の所蔵CDを紹介するこのコーナー、今回から今度は12回にわたって再びモーツァルト交響曲を取り上げます。今度の演奏はトレヴァー・ピノック指揮、イングリッシュ・コンサートです。

この演奏はピリオドになります。ピアノ協奏曲の時と同様、モーツァルトに関してはモダン、ピリオドどちらも持っておこうと言うことで借りています。本来なら棚を占領するこういった全集も、パソコンの外付けハードディスクにデータで取っておけば場所を取りません。

その点では図書館は本当にありがたい存在です。

さて、この全集には特長があります。それは、作曲順に並んでいるという点です。モーツァルト交響曲のばあい、番号潤でもほぼ作曲準になるので番号順でも一向に構わないのですが、この全集はまず新モーツァルト全集に従って録音をしているというのが特徴となっています。

つまり、これはマリナー/聖マーティン・イン・ザ・フィールズの時にも触れましたが、番号がついていない作品も含んでいます。今ではモーツァルト交響曲という場合、番号なしのものも考えていうようになっていますから、それも当然でしょう。そうなると、番号順という編集そのものが成り立たないわけです。

そこで、基本的に作曲順としてしまえば、それが結果番号がついているものが番号順になったとしても、モーツァルト交響曲の変遷をたどるのに支障はないということになります。

この第1集では、番号がついたものは第1番と第4番〜第6番まで、そして番号がついていないものはK.Anh.223とK.Anh.221(いわゆる旧ランバッハ)が収録されています。第2番と第3番がないのは、かなり昔に偽作と判定されたためです(ですので、マリナー/聖マーティン・イン・ザ・フィールズの時にも抜けています)。

そういう編集だと、たとえばこの第1集では、第4番以外はすべて3楽章制であるということに気が付きます。この時代ならそれは当り前ではないかという方もいらっしゃると思いますが、さてそれはどうなのかと思います。まず、以下のサイトを見てみましょう。

18世紀の交響曲:作曲時期の比較
http://www.kanzaki.com/music/mw/sym/yc?s=18c

これは先週まで特集していました、ハイドンの時に参照したサイトの別ページになります。何度かモーツァルトとの比較の時にも出していますが、これで比較しますと、ハイドンはすでに4楽章制の交響曲しかかかない時期にこの第1集に収められた作品は書かれているということに注目したいのです。

3楽章が古いという考えはどうなのかと思います。すでにハイドンが4楽章をさんざん試しているわけで、4楽章の曲はさほど珍しいものではありません。モーツァルト交響曲の特徴は、いきなり形式的にある程度きちんとしたものがたたき出されているという点なのです。これはハイドンとはまったく違う構成です。

それはあきらかに、先人たちの素晴らしい作品にモーツァルトが触れていたからに相違ありません。実際、モーツァルトザルツブルクでも多くの作曲家の作品に触れています。そういった点を見落としてしまうと、この時期のモーツァルト交響曲の特徴を見誤る可能性があると思います。

私は以前から述べていますが、番号なしを加えると、3楽章形式の交響曲はウィーン時代にも書かれていることから、通説の「ウィーン時代は4楽章形式」とはならず、むしろ3楽章形式というのは「前座」の作品であるという証であると考えています。となると、この第1集に収められている作品のうち、3楽章制で書かれている交響曲は基本的になにかの序曲としての性格が強い作品であると考えていいと思っています。

そういった点も、こういった編集は浮かび上がらせてくれます。

演奏は、戴冠ミサとは打って変わって快速ぶりが目立つものとなっています。それはこの作品たちが初期のものという意識があるのかもしれませんが・・・・・

マイ・コレクション:モーツァルト 戴冠ミサ ピノック/イングリッシュ・コンサート
http://yaplog.jp/yk6974/archive/493

さて、これがいわゆる当時らしい演奏なのかと言えば、テンポはそうかもしれません。しかし細部を聴きますと必ずしもそうとは言い切れません。それはドラティやフィッシャーのハイドンの時にも言及しましたが、低い音では弱く、高い音では強くということが必ずしも徹底されてないという点です。されにリフレインでは弱くというのも徹底されていません。

その視点では、まったく当時、つまり古典派の時代を反映した演奏とは言い難いものです。これも編成が大きすぎるのかもしれません。ただ、ピアノ協奏曲の時に感じたバランスの悪さというものは一切感じられません。この交響曲の演奏があのピアノ協奏曲の演奏が不自然であるということを証明してしまっているのですね。

アンサンブルやアインザッツなどの点では申し分ない素晴らしい演奏なのですが、この演奏が「当時を反映している」と考えるべきではないと思います。あくまでも、当時に近い楽器を使った「当時の音色に近い演奏」ととらえるべきだと思います。当時のスタイルに近いものであれば、モダンのほうがたくさん出ています(アカデミーなどがそう)。ただ、最後リタルダンドがきわめて少ない点は高評価していいと思います。

ですので、このシリーズでも二つの視点「作曲順」と「強弱のつけかた」にこだわって述べていきたいと思います。



聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
交響曲第1番変ホ長調K.16
交響曲ヘ長調K.Anh.223(19a)
交響曲第4番ニ長調K.19
交響曲第5番変ロ長調K.22
交響曲ト長調K.Anh.221(45a)(旧ランバッハ)
交響曲第6番ヘ長調K.43
トレヴァー・ピノック指揮、チェンバロ
イングリッシュ・コンサート



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