今月のお買いもの、2枚目はナクソスのサン=サーンスヴァイオリン協奏曲全集です。ヴァイオリンはファニー・クラマジラン、パトリック・ガロワ指揮シンフォニア・フィンランディア・ユバスキュラの演奏です。
このCDを買ったきっかけは、まず図書館でサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲を借りたことに端を発しています。その時は1番だけで(チョン・キョンファのヴァイオリン)、2番と3番が抜けているんですね。そこで、今回第1番は重複しますが、すべてが収録されているこの一枚を買い求めたのです。
帯には、こう書かれてあります。
「その作品があまりにも美し過ぎるので 人々は敢えて彼を忘れようとしているのかもしれない」
もしかするとそうなのかもなと、実は図書館で借りた時にも感じました。サン=サーンスは玄人筋の方にはとても評価が高い作曲家ですが、私たち一般のクラシックファンにはあまり人気がないように思えます。いくつかの作品だけが突出して有名で、下手すれば「華麗なる一発屋」の称号すら与えてしまいそうですが・・・・・
実は、彼はとても多くの作品を残しているのです。
カミーユ・サン=サーンス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A6%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9
彼の交響曲を買ってきました時にもご紹介したと思いますが、彼はウィキにありますように、数多くのジャンルに数多くの作品を残しています。キャリアから言っても彼は天才と言うべき人で、その上で長生きした人ですから、その作品が多いのは当り前でしょうが、さらに素晴らしいのはその作品のジャンルが多岐にわたる点なのです。
何をかくそう、私の初サン=サーンスは実はミサ曲でして、作品4と言われているものです。それが初購入で、しかしそれ以降まったく更新が止まっていたものが、あるきっかけでサン=サーンスの「クリスマス・オラトリオ」や交響曲第3番「オルガン付」に触れた途端、堰を切ったようにサン=サーンスを聴き始めました。今では、好きな作曲家のひとりに連なっています。
さて、まずヴァイオリン協奏曲第3番です。1880年に完成し、初演したパブロ・デ・サラサーテに献呈された曲です。サラサーテが初演ということだけも、サン=サーンスが目指したものが高い証拠でもありますが、しかし音楽はとにかく美しいの一言で、当時はやりのヴィルトォーソを前面に押し出したものではありません。バランスから言えば古典派に限りなく近いですが、しかし古典派の真似でもありません。サン=サーンスが目指した「時代を反映した古典的アカデミズム」が現出されています。形式的には循環形式ではなくソナタ形式とロンド形式に終始していて、真新しいものがないのですがしかし美しさはまるで天上世界のようです。
次に第1番ですが、ここで彼は1楽章形式というものをやってのけています。このやり方はリストによって提唱されたもので、後期ロマン派から国民楽派にかけてよく作曲され、それは現代音楽へも受け継がれていますが、あくまでもサン=サーンスはそれを絶対音楽(旋律と形式がしっかりしている音楽のこと)の枠内でやっています。面白いのは、第3番では循環形式が見られないのに、ここでは思いっきり循環形式を採用した上で一楽章に仕上げています。つまりかなり肩に力の入った作品ということが言えるかと思います。サン=サーンスが印象主義音楽に否定的だったのは有名な話ですが、かといって彼はそれを全く排斥しようとしていたわけではなく、むしろ絵画における自然主義の立場に近いと私は判断しています。新しいものをあくまでも絶対音楽の枠内でやる・・・・・それはそれで私は素晴らしい才能であると思っています。それにしても、この作品も美しいです。その上で形式的に真新しいことをやる・・・・・どお?僕の作曲能力は?なんてニヤリとしているサン=サーンスが目に浮かびます。
最後の第2番は実はサン=サーンスの最初のヴァイオリン協奏曲で、出版の関係で第2番とされています。第1番が作曲された1858年に書かれていますが、出版が1879年になってしまったためです。ここで注目したいのは、献呈が画家で音楽家のアチーユ・ディエンに献呈されているという点です。彼はバルビゾン派の画家ですが、面白いのはそのバルビゾン派は自然主義であり、その自然主義はジヴェルニーへモネにリスペクトしてやって来たアメリカ印象主義グループにつながるという点です。その歴史から俯瞰しますと、印象派を批判しながら、実は嫌ってはいないという、サン=サーンスの美意識がここに集約されているように思います。その点では、すべからく彼のヴァイオリン協奏曲の説明はそうなのですが、ウィキの解説はお粗末すぎます。
ヴァイオリン協奏曲第2番 (サン=サーンス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9)
つまり、当時の芸術、特に絵画と音楽の関係を俯瞰してみないと、サン=サーンスの美しさとその源泉である美意識を理解することは出来ないからなのではないかと思います。これこそ日本人が一番不得手とする部分であり、その点でどうしてもお粗末な解説にならざるを得ないのでしょう。実際、私はこれだけ書くためだけに、ナクソスの解説から英語単語を入力して検索し、それを検索エンジンの翻訳機能で翻訳して、ようやくここまでたどり着きました。恐らく、そこには日本独特のナショナリズムも反映していると思っています。つまり、印象派が始まるきっかけの一つになったのは浮世絵です。その点から印象派ばかりとりあげられることになったのでしょうが、実はサン=サーンスはフランス国民楽派を目指そうとその名も「フランス国民音楽協会http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%8D%94%E4%BC%9A」というものを設立しているほど実はナショナリズムを持っていた人でもあります。その点は明らかにスルーされる傾向にあると私は思っています。
しかし、それはまた母国フランスでの低評価が長らく続いたという点にもあるでしょう。彼はその孤高の態度(才能と博識にそれは由来するものですが)から晩年低評価されることとなり、それが最近まで続いていたのです。そういった点が大きく左右しているのでしょう。兎に角、外国の評価に左右されやすい国民性ですから・・・・・
ナクソスはその点を勘案してか、ヴァイオリニストにファニー・クラマジラン、指揮にパトリック・ガロワという二人のフランス人を起用しています。特にファニー・クラマジランは数々のコンクールを総なめしたうえ、最近ではともに高度な技巧と表現力が必要とされるイザイのアルバムを発表している女流ヴァイオリニストです。まず驚きますのは、その表現力。力強くかつ優しいそのヴァイオリンは、彼女が楽器を自家薬篭中のものにしていることが一目瞭然です。単なる表面的な美しさではなく、もっと内面的な美しさまで追求しているその演奏は、なるほどコンクールを総なめするに値すると思います。ナクソスの解説をつたない英語力で読んでみますと、あまり日本では馴染みのないコンクール名が並んでいます。よく、コンクール出身の・・・・・という声をききますが、本当にそれは正しいのかと、考えさせられる演奏です。
さらに指揮のガロワも、オーケストラにもソリスト同様の表現を要求しています。ナクソスの演奏にもピンからキリまでありますが、このアルバムはかなり高いレヴェルを保っているのではないかと思います。アンサンブル、アインザッツを含めた総合的な技量と表現力は、聴いていて全くあきがきません。この点も、私としてはとても評価をしたいと思います。
聴いているCD
カミーユ・サン=サーンス作曲
ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61
ヴァイオリン協奏曲第1番イ長調作品20
ヴァイオリン協奏曲第2番ハ長調作品58
ファニー・クラマジラン(ヴァイオリン)
パトリック・ガロワ指揮
シンフォニア・フィンランディア・ユバスキュラ
(Naxos 80.572037)
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