今月のお買いもののまず一枚目は、毎度おなじみのバッハ・コレギウム・ジャパンのバッハカンタータ全曲演奏シリーズの第41集です。収録曲は第56番、第82番、第158番、そして第84番です。
まず第56番「われは喜びて十字架を負わん」です。1726年10月27日(三位一体節後第19日曜日)ライプツィヒで初演されたこの曲は、バス独唱用のカンタータです。私たちの人生は苦しいものですが、死という「神による救済」が待っている。だからあきらめずに生きようというが基本的なテクストです。だからと言っていまどきのストレートな歌詞や激しい音楽が存在するのではありません。もっと魂を救済するような、穏やかさを保っています。演奏はとても温かい雰囲気を保ち、バスのペーター・コーイも特段に声を荒げることもせず、やわらかい発声を維持し、オーケストラもやわらかい音に終始しています。それがなおさら、この曲のテクストを浮きだたせています。
つづく第82番「われは満ち足れり」は、1727年2月2日と年をまたぎます。この日はマリアの潔めの祝日で、バッハはいくつかこの日のためにカンタータを書いていますが、その中でも傑作と言われているのがこの第82番です。いくつかブログ等を当たってみましたら、バッハは幼年期に母を亡くしていまして、その影響があったのではないかと言われています。もともとバリトン独唱用ですが、このアルバムでは第2稿であるソプラノ独唱で演奏されています。
さて、この第82番はいきなりどこかで聞いたことのあるような曲で開始されます。実はマタイにも同じような旋律が使われていまして、バッハが「死」というものに常に向き合っていたということがよくわかります。というのも、この旋律は実はマタイでも使われていまして、キリストがとらわれの身となって、哀しみにくれる場面で使われているのです。しかしキリスト教から言えばそれは哀しいだけでなく、人類の罪を背負って死んでいったというテクストになりますから、実は甘美な死というものへの憧れを含んでいるんですね。そして、この曲も実はそれが根本でして、キリストに出会った老人シメオンが、その出会いの喜びを抱いて死へとおもむくということを私たちの人生になぞらえているんですね。このカンタータを聴きますと、マタイでなぜこの旋律が使われたのかがはっきりとしてきます。私が下手な映画を見るよりもいいと感じたのにはその点が絡んでいそうです。
しかし、演奏は一見するとそれほど甘美という感じを受けないでしょう。むしろ憧れという部分に重点を置き、淡々としかしふんわりとした表現を、独唱およびオーケストラともに心がけています。それがこの曲のテクストをまた浮きだたせてもいるのです。
3曲目の第158番「平安、汝にあれ」は1735年以前に初演であろうと言われています。しかしいきなりそこまで行きますか〜。ほぼ年代順に演奏してきているBCJがここでいきなり年代が飛ぶんですね〜。なぜかな〜と思ったら、どうやらこの曲はもともとはマリアの祝日用ではないかと言われているのですね。現在わかっているのは復活節第3日用ですが、第2曲と第3曲がもともとマリア祝日用で、それに復活節用に付け足したのではないかというが学者の意見で、BCJもそれに倣ったということが言えましょう。となると、ここでマリア祝日用のカンタータが並んだということであり、なるほど、このアルバムはその点が編集方針なのだなということが分かります。時々、このような選曲があります。
もともと、この第158番は資料が不完全で、成立過程がほとんどわかっていません。つまり鈴木氏は、この曲は1727年ころ、マリア祝日用として成立したのではないかと考えているということでもあります。そうでなければ、ここに持ってこないだろうなと思います。年代に従えば、1735年ごろとなるわけですから、本来年代順に持ってくるこのシリーズのそもそもの編集方針と相いれません。
それにしても聴きまして感じますのは、曲同士の橋渡しかたが少し不自然な点です。バッハにしては珍しいやっつけ仕事だなあという気がしないわけでもありません。もしかすると、第2曲と第3曲だけでなく、全曲の成立が1727年だとすると、符合することが一つだけあります。それは第82番でマタイとおなじ旋律が使われていることが証明しています。つまり、この時期バッハは大曲マタイ受難曲を完成させるのに精一杯だったということです。だから、カンタータはコンパクトかつやっつけにならざるを得なかった・・・・・ということです。1735年くらいであればかなりカンタータが完成しており、それを使いまわしてもいる時期に当たりますので、ここまでやっつけ仕事をする必要もないのです。単に旋律だけ他を流用して歌詞だけ変えるという方法もあり、実際バッハはコラールを使うときにはかなり初期からそれをやっています。となりますと、部分ではなく全体が1727年ごろの完成ではないかという意見も、成立するわけではあります。ただ、これはあくまでも推論にすぎませんし、今後の科学的な分析を待たなければならないでしょう。
それをとにかく淡々と自然に演奏するBCJの実力は素晴らしいですね。こういう曲を手を抜かずに演奏する点に、私はかつての日本の製造業が持っていた精神、つまり設計品質と製造品質両方の向上という点を感じます。この第158番でいえば、設計品質はそれほど良くないかもしれないが、それを工場での製造品質で補う、ということです。
最後の第84番「われはわが幸に満ち足れり」も1727年2月9日が初演ですから、これも復活節用になるわけですが、時期からしますとやはりマタイ作曲の時期に当たります。やはり、このアルバムはマタイ作曲時期および同内容のテクストを編集方針にしているということがわかる1曲です。そして、もう一つの編集方針は、すでにお気づきかと思いますがすべて独唱用なのです。この曲はソプラノ独唱用で、おや、バリトンとソプラノが交互に出てきていますね!こういった点も注目点です。この曲ではちょっとだけ張り切って歌う部分もあり、復活というまさしくキリスト教のコアな部分に触れているという意識が表面に出てきています。
このアルバムの全体の時間が62分。4つもあれば70分は超えることが多いバッハのカンタータですが、それだけ各曲が短いということでもあるかと思います。確かに、これくらいの演奏時間はワイマール時代を彷彿とさせます。それだけ、バッハが大曲マタイに真剣に取り組んでいた証拠でもあるのでしょうね。
聴いているCD
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第56番「われは喜びて十字架を負わん」BWV56
カンタータ第82番「われは満ち足れり」BWV82
カンタータ第158番「平安、汝にあれ」BWV158
カンタータ第84番「われはわが幸に満ち足れり」BWV84
キャロライン・サンプソン(ソプラノ)
ペーター・コーイ(バス)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(BIS SACD-1691)
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