今月のお買いもの、今回はまず毎度おなじみのバッハ・コレギウム・ジャパンのバッハ・カンタータ全曲演奏シリーズの第38集です。
集録されているカンタータは、集録順に、第52番、第82番、第55番、第58番の4曲です。今回は1726年秋から1727年正月あたりに初演された作品が並び、なおかつ合唱がとても少ない、ソロのための作品が並んでいます。
まず、第52番「偽りの世よ、われは汝に頼まじ」BWV52です。ソプラノソロのためのカンタータで、その美しい旋律が魅力的です。
さて、その内容ですが、これはとてつもないものを最初に持ってきたなと思います。事典によりますと、このカンタータは初演時の説話が、いわゆる「カイザルのものはカイザルに」に基づいているというのです。
カイザルのものはカイザルに
http://www.pba-net.com/bible/yoku.html#カイザルのものはカイザルに
ここで印象的なのは、そのイエスの言葉です。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」(マルコの福音書12章13〜17節)
カイザルとは、実はかのジュリアス・シーザーであるわけなのですが、その権力者の肖像が彫ってある貨幣を前にしてこれだけのことを言えるのは、素晴らしいと思います。
構造的には、第1曲目にブランデンブルク第1番の第1曲目(旧稿)を持ってきているということです。その牧歌的な音楽は突如、第2曲目で打ち破られ、「偽りの世」を表現する音楽へと変わります。その後、第4曲目で再び音楽は穏やかなものへと変化し、「神の真実」を表現していきます。
権力者に対して、真実を護るためにはいったいどのようなスタンスがいいのか、巧妙に説くとともに、力あるものはどうあるべきかということを考えさせられます。まるで我が国古来の「実るほど 首を垂れる 稲穂かな」にそっくりです。おそらくこちらは朱子学に基づいていると思いますが、なんという一致でしょうか。
次の第82番「われは満ち足れり」BWV82は、このアルバムのタイトルにもなっている曲で、4曲の中でも一番長い曲です。これはバス独唱用の曲で、ここでは一切合唱が出てきません。内容は穏やかな死への甘美なる憧憬を歌い上げたもので、幼子のイエスにあった老人シメオンの説話をもとにしています。
何回か改定がなされたようで、第4稿までが残されています。そのうち、第2稿はソプラノ、第3稿はアルト用となっています。
まず、冒頭はまるでマタイ受難曲のようです。マタイ受難曲の初演を控えている時期であるということを勘案しますと、事典では触れられていませんが、この曲はマタイの一部のその後の原曲になっているような気がします。音楽は何回か転調を繰り返し、途中長調にもなりますが、基本的には最初のハ短調に回帰して音楽が終わります。その最後の音楽は狂おしいほど喜びをもって死を待望するもの。この選曲には、なにか鈴木氏のメッセージを感じてしまいますね。
第3曲目の第55番「われ哀れなる人、われ罪のしもべ」BWV55は、現存する唯一の独唱テノールのためのカンタータです。特に受難曲でレチタティーヴォの大部分を担当する「福音記者(エヴァンゲリスト)」をうたう歌手のレパートリーになっている曲です。
人間はすべからく自らが持っている罪を告白し、神の前で襟を正せと歌います。これも、上記「実るほど 首を垂れる 稲穂かな」に直結しますね。
第4曲の第58番「ああ神よ、いかに多き胸の悩み」BWV58は、ソプラノとバスの二重唱のカンタータです。直筆譜には「対話曲」とあって、神との魂の対話を表現していまして、迫害を受けているキリスト者に、神が癒しを与えているというテクストで音楽は進みます。最後にはパラダイスが指示されて、明るく音楽は終わります。
こう4曲を見てきますと、このアルバムはかなり直接的に世の中の矛盾に対して、鈴木氏がナチュラルシュートしているストレートを投げ込んだな、という気がします。
さて、あなたはその球を打てますか?それとも、空振り?バント、という手もあるかもしれませんね。それがセーフティか、それとも犠牲(送り)バントかは・・・・・あなた次第です。
聴いているCD
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第52番「偽りの世よ、われは汝に頼まじ」BWV52
カンタータ第82番「われは満ち足れり」BWV82
カンタータ第55番「われ哀れなる人、われ罪のしもべ」BWV55
カンタータ第58番「ああ神よ、いかに多き胸の悩み」BWV58
キャロライン・サンプソン(ソプラノ)
ゲルト・テュルク(テノール)
ペーター・コーイ(バス)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(BIS SACD-1631)