かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:BCJ バッハ カンタータ全曲演奏シリーズ4

今回のマイ・コレは、BCJのバッハカンタータ全曲演奏シリーズの第4集です。ヴァイマール時代のカンタータを取り上げています。1715年前後の時期になります。

まず第1曲目は第199番「わが心は血の海に漂う」です。1713年8月27日に初演されたカンタータで、このアルバムの中でも一番演奏時間が長い、この時期のカンタータとしては比較的演奏時間の長いものになります。8つの曲から成るソプラノ独唱用のカンタータです。

編集順では199番となっていることから教会カンタータの最後の方、というより完成されたカンタータの中では一番最後に集録されているカンタータです。その割には総譜の発見が1911年、出版が1913年と比較的最近知られたカンタータです。

この時期のカンタータは偶数曲が多く、この曲も8曲から成っているのですが、そのためか内容重視のものが多いです。これも内容はかなりストレートかつ重いもので、自らを義と説くパリサイ人と、義を神に帰した取税人とを比較するというものです。これは現在でも十分通用するテーマですね〜。

私たち日本人は平成23(2011)年3月11日以後、そのような対立をそこかしこで見ていませんか?

それにしても、ソプラノの鈴木美登里さん、肩に力入りすぎですって!入らなければ本当に素晴らしいのに〜。これで損していますね。こういった初期の演奏が、このシリーズの評価を下げてしまっている点は否めないと思います。アーノンクールなどのものがいいのは「当たり前」なんですけどね。

BCJは逆風が吹く中、それなりの演奏レヴェルをたたき出しているわけで、私は逆にその点でアーノンクールよりもかなり高く評価しています。しかもその逆風の原因は、日本人自身に起因するものなのに・・・・・

こういった点にも、このカンタータが持つ普遍的な点があるわけです。

次に第165番「霊と水の聖なる洗礼よ」です。1715年6月16日にヴァイマルで初演されたと「されて」います。「されて」という理由は、資料がライプツィヒでの再演時のしかも写ししか残っていないからなのです。

さて、このカンタータも第199番同様の形式と内容をもちます。偶数曲で構成され、かつテーマは重い・・・・・青年バッハの力の入りようが想像できますね!

その内容というのは、洗礼が意味するものとは何ぞや?ということなのですが、それを語るために、聖書の以下の項目を引き合いに出しているのです。

新しい誕生

ヨハネ3:1-15
http://www.penguinclub.net/sermons/j/j3-1.html

これをキリスト教の独善と切って捨てることもできるでしょう。確かに「私たちの内面を変え、私たちを永遠の命で生かすことができるのは、キリストの救いの他ないのです。」という文言からはそういったことが感じられます。しかしキリスト教を仏教、あるいは神道と言い換えてみたらどうでしょう?

日本でも十分通用する話なのではないでしょうか。洗礼の意味を通じて、私たちがなにかを改めるために何が必要なのかを、この曲は美しい旋律で考えさせてくれます。

演奏面では、ソプラノの柳沢亜紀さんが秀逸です。この人は安心して聴いていられます^^;まあ、鈴木美登里さんを悪く言わない人が多いのは想像できるんですけどね・・・・・

3曲目は第185番「永遠(とこしえ)の愛の憐れみ満てる心」です。1715年7月14日にヴァイマルで初演された曲です。これも偶数曲でストレートなテーマというこの時期の作品の特色が前面に出ている作品です。6曲からなり、テーマは人を裁かず憐れみの心を持つということ。これ、なかなか難しいですよね〜。でも、「憐れみの心を持つ」ということで無意味な対立が避けられたりしますから、実はとても大切なことなのですが・・・・・

私もまだまだだと思います。

演奏面では、ここで初めてバスで新入りが登場!ペーター・コーイがほとんどである中、シュテファン・シュレッケンベルガ―が担当。これがまたいい声で味が出ていますね〜。落ち着いたとうとうと響くその低音は、粋としか言いようがありません。

最後4曲目は第163番「各々に各々のものを」です。1715年11月24日にヴァイマルで初演された曲です。これもこのアルバムで収録されているほかの曲同様の構造をもつ曲で、偶数曲でテーマは重いというものです。6曲からなり、テーマは「カイザルのものはカイザルに」なのです。

これは以前もご紹介していますね。

今月のお買いもの:バッハ カンタータ全曲演奏シリーズ38
http://yaplog.jp/yk6974/archive/457

この時の第52番「偽りの世よ、われは汝に頼まじ」BWV52の内容が、同じ「カイザルのものはカイザルに」なのです。

カイザルのものはカイザルに
http://www.pba-net.com/bible/yoku.html#カイザルのものはカイザルに

ここでは権力者との対峙とかではなく、自らの本分とは何で、それを磨きなさいと説くのですね。この聖書の文言が深いことをこの二つのカンタータから知ることが出来ます。そして、ある一点からのみキリスト教を批判することの危険性をも、このことから語っています。

はい、1曲目の第199番が語る内容をもう一度振り返ってみましょう・・・・・3月11日以降の、福島です。どうですか、あれは、神道に照らし合わせて、どう思いますか?

それをバッハはキリスト者らしく、聖書でかたっているにすぎません。

だからこそ、BCJの演奏には毎回考えさせられる点が多いのです。買った時にもその精神性は感じていましたが、今再びこうやって深く聴きこみますと、バッハの音楽が持つ普遍性を改めて感じます。



聴いているCD
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第199番「わが心は血の海に漂う」BWV199
カンタータ第165番「霊と水の聖なる洗礼よ」BWV165
カンタータ第185番「永遠(とこしえ)の愛の憐れみ満てる心」BWV185
カンタータ第163番「各々に各々のものを」BWV163
鈴木美登里(ソプラノ、第199番、第185番)
柳沢亜紀(ソプラノ、第165番、第163番)
太刀川昭(カウンターテナー
桜田亮(テノール
シュテファン・シュレッケンベルガ―(バス)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(BIS CD-801)



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