今回の友人提供音源もFMで放送されたもので、エサ・ペッカ・サロネン指揮、ロス・フィルの第九です。合唱団及びソリストは明らかになっていません。
これはサロネンがいいよということでいただいたものでしたが、実際にはアメリカという国の文化の厚さを見せ付けられたものとなりました。
私たちはクラシックの演奏といいますと、どうしてもヨーロッパを向いてしまいます。しかしどうして、アメリカだっていいのですよ、これが。
すでにそれについては「マイ・コレクション」のコーナーで、ショルティ/シカゴ響の一枚で語っていますが、これも同様にアメリカという国の文化の厚さを感じざるを得ないものです。
シカゴは東部、そしてロスは西部と同じアメリカでも気候もソサエティも違いますが、やはり市民が支える国、アメリカというものを見せ付けられます。
アメリカという国は、けっして国が文化にしゃしゃり出ません。その代わり、国が文化に介入する場合は全て国益が絡む場合だけです。それに関しましてはいずれ「神奈川県立図書館所蔵CD」のコーナーで語りますが、それがアメリカという国ははっきりしています。
少なくとも、第1楽章から第3楽章までの演奏は、ヨーロッパのオケに引けをとりません。アンサンブル、アインザッツ、どれも秀逸です。
第4楽章は合唱団の発音に変化が認められます。それは、「口語体」であるということ。これは以前もお話したと思いますが、語尾のerを「エル」と発音せず、「アー」と発音することです。英語では当たり前のこの発音、ドイツ語では日常会話ではあたりまえになってきていますが、演奏ではまだまだです。それをいとも簡単にやり遂げています。
以前はソリストは口語体でも、合唱団は文語体ということは良くあったのですが、この演奏ではソリスト合唱団ともに口語体で統一しています。これは衝撃でした。と同時に、さすがアメリカであると感心しました。日本であればまず合唱団の抵抗にあいます。それは理解できるのです。ベートーヴェンは口語体でリズムを作っていますから。しかし、一般的には発音は口語体であるにも関わらず、いつまでも文語体だけというのも、広く音楽に親しんでいただくという精神から言えば、おかしな話になります。
ただ、アメリカでは口語体での演奏が普通なのかといえばそうではありませんが、日本ではそれが実現できたのはもう少し後だったということを考えますと、やはりフロンティアスピリット溢れるアメリカならではだと思います。それはもしかするとロサンゼルスという土地柄ゆえ、実現できたものなのかもしれませんが。
聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱つき」
エサ・ペッカ・サロネン指揮
ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団