今日の県立図書館所蔵CDもハイドンのミサ曲全集からです。指揮はサイモン・プレストンとジョージ・ゲスト、オケはエンシェント室内とアカデミー室内という、昨日と同じ組み合わせです。合唱団の組み合わせも同じです。
この音源はミサ曲が二つ収録されているんですが、時間配分がほぼ一緒で、ハイドンのミサ曲のひとつのスタンダードと考えてもいいように思います。時間配分って、その全体の形に関わる実は非常に重要な部分です。プロの楽譜が読める方であれば、それはすぐご理解いただけるのではないかと思います。
私のように耳はいいが決して楽譜が読めるとはいえないような人間でも、その所要時間から全体を把握することは充分可能です。音楽を深く切り込んでゆくとなると、さすがにもっと勉強が必要だと私も理解していますが、そんな私でも視点を変えることによって、意外な方面からその作品の理解へのアプローチはできるものだと思います。
ハイドンのように、宮廷音楽家というような方たちは、ある程度自分のスタイルというものを実は決めています。だたそれが厳格ではないから、一見するとくだらないように見えてしまうだけであるということは、音楽を一旦聴けばわかります。特に、ハイドンはまず自分の耳で確めるべしと、私は思います。
それを認識させられたのがこの音源で、時間配分がこれほどそろっている2作品というものもなかなかないのではと思います。ミサ曲がある程度残されている作曲家であるからこそ、それがわかるというものです。
マーラーの時にも述べましたが、やはりあるジャンルをたくさん残している作曲家というのは、そのジャンルを全部聴くべきだなあと思います。そのことをマーラーだけでなくこのハイドンでもはっきりと認識されられた一枚といえます。
そういう意味では、モーツァルトの宗教音楽をそろえた後、ハイドンが欲しいと考えたのは決して間違いではなかったと思っています。
第2番の「大オルガンミサ」は、冒頭がオルガン独奏で始まりますのでモーツァルトの作品を彷彿とさせます。「モーツァルト事典」(東京書籍)にはその関連性は特に記述がないですが、モーツァルトがこの曲をモティーフにして書いた可能性は充分あると思っています。実際にはそれこそ楽譜を見なくてはいけませんからそのあたりは専門家に任せるとして、それでも二人の関係を考えますと、モーツァルトのハイドンに対するリスペクトをこの曲から逆に感じざるを得ません。
この二つの曲のうちどちらかは合唱団に入っていたら歌いたいですね〜。とても美しい・・・・・
それは、モーツァルトとは違った美しさです。モーツァルトのような個性的な世界を持ってはいませんが、まるでロダンの彫刻のような健全な美しさは充分持っています。
このあたりから、私ははっきりと彼の交響曲が聴きたいと思うようになりました。そんなの無駄だよという意見もありましたが、やはりハイドンといえばむしろ交響曲。それを聴かずしてモーツァルトは聴けないという意識が芽生えていました。ハイドンの音楽を受け継いだのはベートーヴェンだけでなくモーツァルトでもあったということを考えたとき、彼の作品を好むなら、やはり私はハイドンを聴くべきだと悟ったのです。
それに、図書館にはハイドン、モーツァルトは全集がところ狭しと並んでいまして、この音源を聴きましたら、それに対する興味は、もう抑えようがなくなっていました。まるで私が聴くのを待ってくれていたような、そんな気がします。
ひとつ注目点は、第2番のオルガン奏者はクリストファー・ホグウッドであるということです。そう、エンシェント室内の後の指揮者なんですね。そう考えますと、ホグウッド/エンシェントというコンビは、やはり注目だと思います。実は、そのコンビを譲っていただいた奇特なすばらしい方がいらっしゃいまして・・・・・
この場を借りまして、感謝と御礼を申し上げます。
聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
ミサ曲第2番変ホ長調「大オルガンミサ」Hob.XX�U.4
ミサ曲第8番変ロ長調「聖なるかなのミサ」Hob.XX�U.10
ユディス・ネルソン(ソプラノ)
エイプリル・カンテロ(ソプラノ、第8番)
キャロライン・ワトキンソン(コントラルト、第2番)
シェーリイ・ミンティ(コントラルト、第8番)
マーティン・ヒル(テノール、第2番)
イアン・パートリッジ(テノール、第8番)
デイヴィッド・トーマス(バス、第2番)
クリストファー・ケイト(バス、第8番)
クリストファー・ホグウッド(オルガン、第2番)
オックスフォード大聖堂聖歌隊(第2番)
ケンブリッジセント・ジョンズカレッジ聖歌隊(第8番)
サイモン・プレストン指揮
エンシェント室内管弦楽団(第2番)
ジョージ・ゲスト指揮
アカデミー室内管弦楽団(第8番)
(元CD:ロンドン 448 521-2)