今回の県立図書館所蔵CDは、ハイドンのミサ曲全集の第5集です。この音源ではゲスト/アカデミーで統一されました。
演奏が1960年代から70年代ですから、当時の古楽演奏に対する信頼というものも透けて見えるようです。ですが、このモダンの演奏も全く遜色ありません。
前に、モーツァルトのピアノ協奏曲で述べたと思いますが、モダンの演奏を私はハイドンでも全く否定しません。むしろ、もっと演奏すべきだとおもっているくらいです。
ミサ・ブレヴィスとミサ曲とが収録されていますが、ミサ・ブレヴィスはやたらべネディクトゥスが長いです。これは相手の要望によるものだと思いますが、このあたりはまだ不勉強。ネットではほとんどハイドンのミサ曲に関するサイトがないんですよね。ですから、著作を読むしか方法はないでしょう。
収録されているミサ・ブレヴィスは通称「小オルガン・ミサ」とも言われ、実際その長いべネディクトゥスではオルガンソロをしっかりと聴かせてくれます。
確かに、モーツァルトのような転調が激しい展開のすばらしさというものはないものの、特にハルモニー・ミサは堂々とした音楽で、合唱団では人気の曲目です。ただ、ハイドンをうたえる団体というのはかなり上手な合唱団であるということだけは付け加えておきます。表面的な音楽以上に、ハイドンは難しいのです。
やさしい音楽だからこそ、アンサンブルが一度崩れればそれはすぐ表面化します。つまりアラがでやすい。合唱団がどれだけ練習したか、アンサンブルはすばらしいか、周りの音を団員一人一人が聴けているかが問われるのです。それはモーツァルトでも同様で、ハイドンやモーツァルトが歌える合唱団はセミプロといっても差し支えないと私は思います。
仮に、アンサンブルが崩壊しかけたときに、どのようにしてそれを立て直すのか。その経験はどれくらいあるか。それが合唱団員全員に問われる作曲家なのです。それが、ハイドンとモーツァルトのミサ曲なのです。それは、私もモーツァルトを歌いましたから、はっきりと申し上げることができます。
図書館には、ハイドンのミサ曲全集だけでなく、私がすでに持っているモーツァルトの宗教音楽全集がそろっているということは、カミング・アウトしてもいいでしょう。モーツァルトの宗教音楽全集につきましては「マイ・コレ」のコーナーでいずれ取上げますが、いづれも持っているということは、神奈川県立図書館の趣味の良さを私は感じます。
かつて、元巨人の桑田選手をコラムで取上げましたが、彼並みの鍛錬がハイドンを歌うには絶対に必要です。それくらい、実はハイドンは演奏が難しい作曲家です。ミサ曲でさえそうなのですから、もっと構成が複雑な交響曲は推して知るべし、です。
だからこそ、私はこの後弦四を借り、さらには交響曲まで借りることにしたのです。それを借りない限り、どんなに知識を得たところで、モーツァルトへの理解はありえない、とかんがえたのです。
それは考えすぎだろう、あるいはそれは楽典等の知識がないだけでは?という意見もありましょうが、それでも私はそれを決行しました。それはとてもいいことだったと今では思います。そのことで私も楽典等の学習の重要性を知りましたし、またハイドンの音楽が言われているほどくだらないものではなく、むしろその真反対であるということを学習することができました。
全く持って、白紙の状態で聴くということは重要だなあと思います。私はハイドンを聴いて、むしろ後期ロマン派の作曲家、ブルックナーやワインガルトナー、シベリウスやラフマニノフ、そしてスクリャービンやプーランクといった作曲家にも興味が向き始めたのですから。
聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
ミサ曲第5番変ロ長調「神なる聖ヨハネのミサ・ブレヴィス(小オルガン・ミサ)」Hob.XX�U.7
ミサ曲第12番変ロ長調「ハルモニー・ミサ」Hob.XX�U.14
ジェニファー・スミス(ソプラノ)
エルナ・スプーレンバーグ(ソプラノ、第12番)
ヘレン・ワッツ(コントラルト、第12番)
アレクサンダー・ヤング(テノール、第12番)
ヨゼフ・ロウリュー(バス、第12番)
ジョン・スコット(オルガン)
ブライアン・ランネット(オルガン、第12番)
ケンブリッジセント・ジョンズカレッジ聖歌隊
ジョージ・ゲスト指揮
聖マーティン=イン=ザ=フィールズ教会アカデミー(アカデミー室内管弦楽団)
(元CD:ロンドン 448 523-2)