かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

想い:白紙で「聴く」ことの重要性

先日、このブログを公開しているとあるSNSで、あなたは書く資格がない、なぜなら、楽譜も読めないし聴いている曲も偏向しているからだ、とのご指摘がありました。

それは、素直に認めたいと思いますが、それはこのブログの主旨から外れることなのです。ご指摘は承り、勉強したいと思いますが、だからといって書く資格がないというのはいいすぎであると考えております。

なぜなら、私の姿勢は常に「白紙で聴く」ことなのです。これは高校時代から決して曲げてはこなかった、私のスタイルです。ある種の信念でもあります。

それを曲げるわけには行きません。それこそが、私のこのブログの個性であり、特徴であると考えるからです。楽典等を勉強することはこれからそれだけ世界が広がることでありますが、それをどうこのブログに反映させるかは、勉強が終わってから考えたいと思います。

私は白紙で聴く理由は、それこそある意見に左右されて偏向しないためです。少なくとも、自分が聴いている曲が偏っていることぐらい、自分が一番良く知っています。その中であまりにも偏向しないためには、「白紙で聴く」という作業は絶対的に必要です。

それに、私はクラシックばかりを聴いてきたわけではありません。人並みにいろんなジャンルを聴いてきました、中学時代の私を知っている人であれば、演歌を歌っていたことはよくご存知なのではないかと思います。もちろん、その合間にクラシックを聴いていましたが・・・・・

クラシックは私の聴く音楽の「柱」です。しかし全てではありません。特にその重要性を教えてくれたのは、高校時代の同級生です。

かれは当時吹奏楽部で、私もコンサートへは高校時代毎回足を運びました。母校の吹奏楽部は実力もありましたし。確か、東京都のコンクールで賞もとっているはずです。

地元でも人気の吹奏楽部でした。そんな彼は確かチューバを吹いていたと記憶しています。その彼は私がクラシックが好きなことを知っていましたし、よく話もした間柄です。その彼は常に「いろんな音楽を聴いたほうがいいよ。特に、クラシック以外の曲は常にチェックしておいたほうがいいよ。」

実はティファニーもそんな関係からたどり着きましたし、また当時の歌謡曲も随分聴きました。松田聖子のアルバムも借りて聴くなど、当時はむしろクラシックの話題よりははるかに歌謡曲の話題がほとんどでした。

現代音楽も聴いたほうがいいよと言われても、あのメロディがない音楽を聴くというのはなかなか苦痛を伴います。しかし、大河ドラマの主題曲って、吹奏楽ではどうなのとか、今度の聖子ちゃんのあの曲、今までとは違うねなんていう話題をするほうが、実は現代音楽へのアプローチは近道だったりするのです。その証拠に、私は当時高校生でありながらホルストの「惑星」を買っています。その彼も吹奏楽ですから、その時代の音楽というのは興味があるわけです。そこで、いろんな意見や話をきくことができます。

そうしますと、それだけ視野が広がることになります。クラシックの現代音楽だけですと、現代音楽のすばらしさがわかっているようで、実は上手に人に伝えることができないというジレンマに陥るのです。

その友人の言葉が今でも頭を離れません。だからこそ、私は「白紙」で今でも聴くのです。解説書は単なる知識の入り口に過ぎません。自分が聴くという作業を助けてくれるに過ぎません。それを認識させてくれる出会いが、その後たくさんありました。

今、そのクラスメイトと合ったら、まず感謝の言葉を述べたいと思います。

楽譜は読める人にとっては音楽を理解する助けになると思いますが、楽譜も記号に過ぎません。実際は、それ以外の知識もたくさん必要です。それにいたるためには、やはり一旦「白紙」で聴くという作業をするほうがより近道なのではないのかと思うのです。

知識が先でもかまいませんが、いずれにしても、まず「聴く」という作業をすることの重要性は、何ものにも替え難いのではないでしょうか。そのためにはどうすればいいのか、考えるほうが喜びは倍以上なのではと思います。その途中で、いろんな曲に出会えて、人生を変える一曲に出会えるかもしれないのですから。