かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:ワーグナー 管弦楽曲集�U「タンホイザー」

今週のマイ・コレは、かなり偏向した内容となっています。ある意味、私の青春の熱き一ページを回想することになりますから。

まあ、この「マイ・コレクション」というコーナー自体が、ある意味かなり自分の人生を回想するような内容になっていますから、仕方ないといえばそうなのですが・・・・・・

それにしても、今週取上げる2枚は、それを自分でも恥ずかしくなるくらい意識せざるを得ません。

まず、今日取上げますのは、ワーグナーのオペラ管弦楽曲集の第2集になります。第1集が「ニーベルングの指環」からだったのに対し、この第2集はそれ以外の楽劇からということになります。

実は、これ以外にはワーグナーは他一枚しかCDを持っていません。つまり、合計3枚だけです。しかし、ヴィデオはたくさん録画してあります。それは、やはりワーグナーの音楽は画像といっしょに見るべきだと、このCDを聴いて悟ったからに他ありません。それは、やはり彼の音楽が「総合芸術」といわれるように、音楽、演劇、絵画などが一体になっているからに他なりません。

それに触れますと、紙面が長くなりますので、それは別の機会に譲るとしまして(ただでさえ、このブログは長いのですから!)・・・・・・

このCDには、珍しい演奏が収録されています。それは後で映像を見て、あるいは文献を読んで知ったわけなのですが、標題にもなっている「タンホイザー」序曲、これはいわゆる「ミュンヘン版」、つまり、最初に作曲された形で演奏されているのです。

最近は、パリ版で演奏されることが多く、序曲にバレエがついて、そのまま切れ目なく第一幕へと移ってゆきますが(つまり、後の「第一幕への前奏曲」の形)、実は最初はきちんと序曲で一旦切れて、その後第一幕が始まる、という形になっていました。勿論、バレエなどついていません。

ただ、現在ではその形で演奏されることは、序曲だけを取上げるときだけになりつつあります。少なくとも、映像になっているものではなかなかミュンヘン版を見ることができません。それはやはりCDでないと無理かもしれません。ただ、それだと音楽だけになってしまう・・・・・

やはり、ワーグナーの音楽ほど、映像で見たほうが全体を把握できるものはありません。それはやはり彼の音楽が基本的に「ライト・モティーフ」になっていることと無関係ではありません。

ただ、タンホイザーが作曲された時期に、ライト・モティーフが完成されていたかといえばそうではないのですが、それでも、完成されつつある段階ではあるので、やはり映像で見るほうがすばらしいと思います。勿論、音楽だけでもすばらしいのですが・・・・・・

それが物足りなくなる分水嶺の作品が、「ローエングリン」です。この作品では、序曲ではなく「第一幕への前奏曲」という形になりますので、それがどう全体とつながるのかを知るには、やはり全曲聴きませんといけませんし、それを理解するには、やはり映像を見なければ理解しにくい部分がたくさんあります。

音楽のすばらしさに酔ってしまうだけでなく、当時の私もワグネリアンとしてやはり映像が見たいと、ローエングリンも録画してあります。このCDに収録されている作品のうち、「リエンチ」以外は全てヴィデオに録画し、それを見ています。ローエングリンは幻想的な世界が広がっており、それがまた魅力ですが、それを理解するには音楽だけではやはり不足でした。当時まさか楽譜を見るなんてこともできませんし、やはり一番手っ取り早いのは映像を見ることでした。当時大学一年生。

すばらしいことに、当時我が家にはケーブルテレビが入り、衛星放送が見れるようになっていました。バイロイトNHKFMで放送もしていましたが、やはり衛星放送でそれを放送してくださるのは本当にありがたいことでした。大学には実はニーベルングの指環はあっても、そのほかの作品はあまりなかったのです。視聴覚資料の特に映像は閉架だったのにも関わらず、です。

まあ、ワーグナーを借りる学生も少ない時代でした。仕方がないといえばそうでしょう。司書もおかしな学生だなあと思ったでしょうね。なんといっても、文学部史学科国史学専攻の学生が、ワーグナーを借りるのですから。同じ史学科で、西洋史学専攻ならまだ話もわかりますが・・・・・でも、私はいたってまじめでした。それを、自分の所属サークルの班での研究と絡めていました。当時研究していたのは、日本庭園。

庭園も、総合芸術の極地です。それとの関係性を、私は敏感に感じ取っていました。主に小堀遠州でしたから、全くワーグナーとは関係ありませんでしたが・・・・・

それでも、遠州のいろんなものを取上げるバイタリティに触れるにつけ、ワーグナーを聴きたい、いや、見たいという気持ちを抑えきることはできませんでした。それはやはり所属サークルの信条が「現地主義、実証主義」という、ある意味大学の史学科の方針通りのサークルだったということと無関係ではありません。

そのことから、私は当時歴史の勉強だけでなく、ワーグナーの楽劇は可能な限り録画しておこうと思い立ち、一応「リエンティ」と「さまよえるオランダ人」、そして「パルジファル」以外は全て録画に成功しました(もしかすると、パルジファルも録画しているかもしれませんが、整理がついていないので確実とはいえません)。

実際は、このCDには名曲なのに抜けているものがたくさんあり、その中の一つに「トリスタンとイゾルデ」がありますが、これはかなりへヴィーで、最近やっと私も理解できるようになったくらいです。きちんとした学習をしていないと、これは難しいように思います。そのためでしょうか、このCDでは残念ながら時間的に余裕があるにも関わらず、収録されていません。

最後の曲である「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、とても楽しい曲ですが、実はかなり国家主義的な内容も含む楽劇です。それを理解しないと、かなり偏向するかもしれませんね。実際私もかなり偏向している時期がありました。ワーグナーの音楽には美しい毒があるといわれますが、そういう点があまりないこの楽劇は、実はかなりワーグナー自身の国家像を反映しています。最後のバスによるアリアで神聖ローマ帝国であるドイツに関した内容が歌われますが、かなり祖国防衛を意識した内容になっていますので、その点だけは留意してください。

でも、私はタンホイザーとこのマイスタージンガーが好きなんですけどね〜。特に、マイスタージンガーは私の祖国愛をかなりくすぐる曲であることは、確かです。それが、国史学という学問へと私を向かわせた、ひとつの理由でもあったのですから。



聴いているCD
リヒャルト・ワーグナー作曲
管弦楽曲集第2集「タンホイザー
・歌劇「タンホイザー」序曲
・歌劇「リエンチ」序曲
・歌劇「ローエングリン」第一幕への前奏曲
・歌劇「ローエングリン」第三幕への前奏曲
・楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲
クラウス・テンシュテット指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(東芝EMI CC30-9006)
※本来、音楽史的には「ローエングリン」は楽劇となりますが、ここではCDの記載をそのままうつさせていただきました。