かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

想い:高校生よ、モーツァルトもバッハも歌おう!

先日、今年度のNHK全国学校音楽コンクールの課題曲が発表されました。

数年前から、中学校の部では有名アーティストが楽曲を提供するようになり、その楽曲がヒットにつながっています。一昨年はアンジェラ・アキ、昨年はいきものがかりでした。

今年は大塚愛ということですが、どう中学生が表現するのか、今から楽しみです。

しかし、私の興味は中学生ではありません。かつて一緒に歌った事もある、高校生なのです。

私がアマチュア合唱団員だったころ、川崎で入っていた合唱団の地元の高校生と一緒に歌ったことがあります。川崎は年に2回合唱祭を行っており、その常連に神奈川県立多摩高等学校合唱部があります。

川崎の合唱を支えているのは、まさしく多摩高校であると言っても過言ではありません。卒業生は自分たちでいろんな団体を作り、また市内のさまざまな団体に所属もしています。

その多摩高校は、一昨年全国大会へ出場を果たしました。惜しくも上位は逃しましたが、全国大会へ出ただけでもすばらしいと思います。

ただ、私としてはこのコンクール、実は評価していない部分もありまして、それは混声合唱に対する偏見です。女声への偏向が著しいのです。

確かに、最近の楽曲は合唱人口の男女構成を考えて女声が多いですし、それに女声のハーモニーは美しいのです。それは認めます。

しかしながら、男声のびしっ!と決まったハーモニーもすばらしいですし、また混声のアンサンブルも捨てたものではありません。それに、ヨーロッパでは女声よりも圧倒的に男声もしくは混声が主です。

ですから、クラシックで女声の曲というのはほとんどありません。かろうじてそういう曲を作曲しているのがコダーイで、彼の曲は自由曲でも取上げられることがあります。

ただ、これはやはり私が指導を受けた音楽監督の影響かもしれませんが、やはり高校生にはモーツァルトかバッハを歌って欲しいのです。日本語の曲を大事にするというコンクールの主旨から日本の合唱曲を取上げるのはいいのですが、それゆえに女声偏向がはなはだしいのです。

和声学の基礎はモーツァルトといっても過言ではありません。また、楽曲構成上多くの作曲家に影響を与えたのが、ヨハン・セバスティアン・バッハです。この両名の作品はできるだけ取上げて欲しいのです。

ところが、そこに壁があります。演奏時間という名の壁です。全国学校音楽コンクール(以下、公式略称の「Nコン」を使います)ではその演奏時間内に終えられるかも審査の対象で、それを超えてしまうと審査の対象からはずされてしまいます。つまり、得点なし。

ルールを守らない学校には、得点をつけないという、とても教育的な観点からの厳しい側面をこのコンクールは持っています。確かに、それは社会人としては当たり前のことですから、当然といえば当然なのですが、この演奏時間が自由曲で5分を超えてはいけないというものなのです(中学校の部以下の部門ではもっと少ないのです)。

これは、高校生の表現力や会場の使用の都合によるものでしょうが、私の経験からしますと、もう2、3分長くても高校生は充分表現できます。Nコンのこの基準では、モーツァルトはかなり難しいといわざるを得ません。まあ、全くないわけではありませんが。彼のミサ・ブレヴィスを探せば確かに時間内に終わる曲もあります。

ただ、それが課題曲とバランスが取れるものなのかを考えた場合、やはりミサ曲からはクレドかアニュス・デイを選ぶことになるでしょう。そうしますと、ほとんどの曲が対象外になってしまいます。彼の作品で完全にその基準を満たすものはモテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」だけです。

となりますと、やはりバッハということになります。ただ、バッハの場合に壁になるのは今度は練習時間です。バッハの楽曲はそうそうたやすいものではありません。かなりの練習時間を費やさないといけません。その上、Nコンに出てくるうような学校は単に練習だけは済ましません。その楽曲に対する研究までやってきます。歌詞の読み込みは当然として、その歌詞がどのような背景を持つかということまで勉強した上で、コンクールに望んできます。

合唱団としてはごく当たり前のことですが、ただバッハとなりますとさすがにキリスト教、特にプロテスタントの知識が絶対的に必要です。聴くだけであればそれほどいりませんが、やはり表現するということになりますとそうはいきません。ところが、バッハの特にカンタータはこの時間基準を満たすものが数多く、時間を優先するのであればバッハのカンタータから選ばざるを得ません。受難曲でもかまいませんが、それも結局中心はコラールになるのでカンタータとさして変わりありません。

ただ、二つの受難曲の冒頭合唱と終末合唱は本当に美しく、毎回課題曲に合うのになあと思っています。特に、マタイ受難曲は冒頭合唱が6分ほど。時間としてはさして長くはありません。一方のヨハネは9分かかりますから、いくらなんでもかかりすぎですね。

そうなると、このNコンの時間制限は、クラシックから、特にモーツァルトとバッハから選ぶとなると、帯に短したすきに長しという結果となり、結果的には日本の合唱曲か、海外の現代作曲家、あるいはルネサンスの作品から選らばざるをえません。ただ、ルネサンスも時間制限に引っかかる曲が結構あり、実際には日本の合唱曲か、海外現代作曲家の作品から選ぶことになります。

この時間制限がもう少し長くなりますと、もっと日本の合唱界は活気付くのになあと、毎回思わずにはいられません。ただ、この時間に本当にぴったり来るのが日本の、特に女声合唱の作品で、結局それを歌わせたいがためその規定になっているのでは?と考えざるを得ません。

そういう意味では、全日本合唱コンクールの方がまだ広い曲が歌える、そんな気すらします。

まあ、各コンクールに特長がなければいけませんし、Nコンがその規定で果たしてきた役割も高いのですから、それは検討していただきたいということで、これ以上文句を言うのはやめましょう。ただ、高校生には積極的にバッハやモーツァルトを歌って欲しいと思います。自分たちの定期演奏会では、それはやれるはずです。Nコンだけが音楽活動ではありませんし。

また、この両名が難しいのであれば、ベートーヴェン「第九」に参加する、という方法もあります。第九は本当に奥が深く、何度歌いましても歌いきることはありません。実際、多摩高校の生徒は、私が口説き落として川崎市民第九に参加していただいたことがあります。それが今や川崎市民第九では欠かせない存在になっています。今はもう私がいないのにもかかわらず、です。

先輩から引き継いで、参加している生徒もいると聞きます。非常にうれしいことだなあと思います。また、高校時代に歌えなくても、バッハやモーツァルトベートーヴェンが歌いたくて卒業してから個人的に参加する方も増えている、と聞き及ぶにいたり、本当にうれしさを感じます。

こういう高校生を見るにつけ、まだまだ日本のクラシック界は死なない、そう信じています。