かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

音楽雑記帳:御柱と音楽の意外な関係

先々週の木曜日から土曜日にかけて、私は父親孝行をかねて長野県は諏訪大社御柱に参加してきました。

そう、「見てきた」のではなく、参加してきたのです。みるだけでは味わえない、すばらしい体験をしてきました。

御柱とは、諏訪大社の7年に一回の大祭で、基本的には木を運ぶお祭りです。諏訪大社は上社と下社とに別れ、それぞれ別な場所から木を切り出し、それを上社下社へと運び、最終的には柱を境内に立てます。

今回はそのうち上社の御柱に参加して来ました。参加したのは「山出し」といって、山で切り出した御柱を諏訪盆地へと運ぶまでの行事です。

切り出すのは立科国有林からが主で、それを原村から茅野市まで引きます。端的には、茅野までの区間を「山出し」といい、そこから諏訪大社までは「里引き」といい、区別します。

詳しくは、以下のサイトを参照くださいませ。

御柱祭
http://www.onbashira.jp/

御柱には特徴的な二つの音楽があります。一つは、木遣り歌で、もう一つは進軍ラッパです。特に上社の場合は進軍ラッパがあることが特徴的になっています。

進軍ラッパを鳴らすことには賛成反対どちらの意見もありますが、ここではその是非は問わないことにしたいと思います。私としては賛成ですが・・・・・・

というのは、上社の場合、祭神に戦いの神様(建御名方命:タテミナカタノミコトあるいはタケミナカタノミコト)がおわします関係で、実は戦いにさいし篤く信仰されてきたという歴史があります。それゆえ、上社では必ず御柱では若衆に必ずラッパ隊がつくのです(下社でもついていましたが、最近戦争をイメージするという理由でなくなったと聞いています)。

御柱祭というのは、基本的に地元の方が諏訪大社に柱を立てるためにその材木を運ぶお祭りです。つまり、材木を引くという労働がお祭りの主たる行事になります。実際、御柱のほとんどの時間費やされるのが「曳行」です。その曳行は全く機械の力を借りません。全て人の力で行います。それも、当然ですがひとりではできませんから、大勢の人の力を結集することになります。

しかし、人数が多くなればなるほど大変なのが、人の力を一つにまとめるということなのです。大勢の人がタイミングを合わせて一気に力をいれないと、御柱を曳行することは絶対に不可能です。

その力を結集するために、音楽を使うのです。そのために歌われるのが木遣り歌であり、演奏されるのが進軍ラッパなのです。

木遣り歌は全国的に広く歌われていますが、御柱ほどよく歌われるお祭りはないといっていいでしょう。曳行時、木遣り歌で引き手全員に協力をお願いし、力をあわせるよう気持ちを持ってゆきます。その上で、進軍ラッパの合図とともに全員が綱を引くのです。そうして初めて、御柱に力が伝わり、動きだすのです。

材木を引張るなんて簡単でしょ?なんでそんなことをしなくては成らないのかといわれる方もいらっしゃると思います。御柱は長いものは10メートル以上にもなります。重さは1トンを軽く超えます。そんな材木を、ただ単に全員が力を入れれば動かせることができるほど、御柱は甘いものではありません。神社に立てるのです。それは神様と一緒なのです。貧相なものを立てるわけがありません。それなりに立派なものを立てることになります。

御柱において、木遣り歌と進軍ラッパはいわゆる「ライト・モティーフ」に当たります。進軍ラッパそのものが本来ライト・モティーフであるわけですから当然(代表例は、自衛隊でも使われている起床ラッパですね)ですが、木遣り歌は通常ライト・モティーフとして扱われることはありません。しかし、御柱においては木遣り歌が歌われるということは、力をあわせて引張る場面だということを人に意識させるわけですから、実質的にライト・モティーフであると考えて良いと思います。

日本には労働歌に相当する「田植え歌」や「木挽き歌」が全国各地に残されています。木遣り歌は全国的にはお祭りで行事に歌われるということが多いですが、こと御柱においては単なる行事の歌ではありません。参加者全員に力を合わせることをお願いする、一種の労働歌です。しかし、それは単なる労働歌ではありません。特に山出しの時には、歌詞に「山の神様〜、お願いだ〜」というフレーズがつくことが多く、それは神様に奉納すると同時に、無事柱が諏訪大社にたどり着くことを願う歌でもあるからです。

つまり、神様と参加者どちらに向かっても歌われているというものなのです。

ライト・モティーフでありなおかつ、神様へ奉納し、さらに参加者の無事を願う。それが木遣り歌です。その上で参加者に力を入れさせるのが進軍ラッパということになります。

実際、木遣り歌だけで動かすという場面もありますが、ほとんどが木遣り歌とラッパがセットになって動かします。

木遣り歌に関しましては、全国大会も開かれており、地元の人でそこで優秀な成績を収めた人がソリストとして歌うことが多く、合唱は子供が担うケースがほとんどです。すばらしいソリストですとそれだけで力がみなぎってきます。それにラッパが加わりますと、人々の力が一気に一つになり、それまでどんなに力をあわせても動かなかった御柱が動きだすという場面はごく当たり前にあります。

ですから、木遣り隊とラッパ隊は御柱においてステージに立ちっぱなしということはありません。曳行に沿って動き回ります。御柱について行くことは勿論、その御柱についている綱の先頭から後尾までの間を駆け回り、人々に気合と勇気を与え続けます。

また、重要な場面では木遣り歌とラッパなしに次の場面へ移行するということはありません。例えば、山出しにおいて重要な場面は3つあり、一つは最初の曳行開始の場面。一つは「木落とし」の場面。そしてもう一つが「川越し」の場面です。それぞれ、山出しにおいては重要な局面で、しかも「木落とし」と「川越し」は人命にも関わる最重要局面で、一番の難所でもあります。そこでは木遣り歌と進軍ラッパなしに行われることはまずありません。

音楽が人にとってこれほど重要なものなのかと感じることができるお祭りもそうないなと感じました。勿論、日本全国いろんなお祭りの音楽があり、それは非常に重要なものですが、御柱の場合常に音楽がなっていて、それが人のリズムを作っているという点で、非常に重要であると感じました。特に、このお祭りほどライト・モティーフで使っているお祭りは、私が知る限りでは知りません。

観光客も法被を着れば曳行に参加できますので、一度経験してみてはいかがでしょうか。ただ、地元の方の指導には従ってくださいね。

あくまでも、地元の方のためのお祭りなのですから。