マイ・コレクション、今回も第九になります。ベルナルト・ハイティンク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団です。
皆様お気づきとは思いますが、わずか10枚程度の間に私は3枚も第九を買っているのです。今でもそうですが、当時一番好きだった曲がベートーヴェンの第九です。人類の連帯と自由を歌い上げたこの曲は、私の人生の指針とも言うべき作品でもあります。それゆえに、他の演奏も聴きたいとどんどんはまっていった時期でもあったのです。時に、高校2年生。
そんな中でこのCDを買った理由は、オランダという国のオケであることです。
オランダ・・・・・日本史が好きな人であれば、特に江戸時代日本と唯一交流のあった欧米諸国ということはご存知でしょう。当時、私もそんなオランダに対して憧れを抱いていました。江戸幕府へ常に情報を伝え、それが近代日本の礎となった国、オランダ。そんな国のオケの第九を聴いてみたいというのが理由です。しかも、ホールはアムステルダム・コンセルトヘボウ。今でも世界でトップクラスのすばらしいホールです。
そんな気持ちの中、これは地元のCD店で買ったものです。それが、かなり有名な演奏であるなどと当時は知る由もなく・・・・・
後で知ったのですが、この演奏は結構評価が高いそうです。けれど、私としてはそれほど感じなかったのです。全体的にはアンサンブルもすばらしいですし、今聴きますとさすがという部分がたくさんありますが、買った当時は何となくシュターツカペレ・ベルリンと比べて熱気をさほど感じることがなかったのです。
勿論、熱気がなくても演奏はできますが、スウィトナーの自由を求めるかのような演奏を聴いてしまうと、この名演すら当時は陳腐に聴こえてしまったのです。ただ、その感覚がいつかは自分も歌いたいという気持ちにさせたという点で、この演奏には思い出がたくさんあります。
この演奏が何となくだった理由は、恐らく声楽にあると思います。しかし全体的な演奏レヴェルが低いというわけでは決してありません。最初のシュターツカペレ・ベルリンと比べてということであり、この演奏がつまらないというわけでは決してありません。合唱もアンサンブルは最高ですし、さすがプロと唸ってしまいます。
この演奏がすばらしく思えるようになったのは、やはり自分で歌ってみてからです。アンサンブルをあわすのが第九という大曲ではどれほど大変なのか。そのためにしなくてはならないこと、現場で意識しなくてはいけないことが山ほどあることに気がついてからは、批判をあまりあからさまにしないようになりました。今では、すっと自然に聴けています。
第九は難しい・・・・・毎回歌うたびにそう思います。合唱団時代によく他の団体から「もう、第九は歌い飽きた」という言葉を何度となく聞きましたが、私は未だにまだ全然歌いきれていないと思っています。まだまだ私の知らない部分がたくさんあるはずだと思っています。今、この演奏を聴きなおしてみますと、当時私はいかに傲慢だったかを反省しています。
それほど、第九というのはいろんな部分があり、奥が深いのです。二重フーガをあわすなど、本当に難しいんですよ!あれはしんどいです。けれど、二重フーガを持ってきたところに、私はベートーヴェンが伝えたいことが詰まっているようにも思えるので、どんなに難しくてもぞんざいには歌いたくないのです。
この演奏でも、プロが二重フーガで苦労しています。ちょうどフーガ最後の部分で男声から女声へと受け渡しをしてゆく部分で、ソプラノがひっくり返りぎみになっています。これをだめと見るか、それとも苦労していると見るかで、私はその人の第九に対する真摯な姿勢の具合というものを推し量ることができる、と思っています。確かに、プロとしては完全を追求しなくてはいけませんが、そうは言っても二重フーガの部分は大変なのです・・・・・
これはライヴ録音なのですが、恐らくそんなことも合唱団に影響しているのではないかという気がします。ライヴというのは一発勝負ですから、緊張感がまるで違います。そして、一種のトランス状態にもなります。そういう場面で、どれだけ冷静になれるのかがとても難しいのです。
そういう点から見てみますと、合唱団はよく歌いきっているなと思います。一部残念な部分があるにせよ、全体的には良くまとまっているこの演奏は、やはりすばらしいです。
聴いているCD
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」
ジャネット・プライス(ソプラノ)
ビルギット・フィニレ(アルト)
ホルスト・ラウベンタール(テノール)
マリウス・リンツラー(バス)
アムステルダム・コンセルトヘボウ合唱団
ベルナルト・ハイティンク指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(Philips 410 036-2)