かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」

今年初めての「マイ・コレクション」、今回は運命です。オトマール・スウィトナー指揮、シュターツカペレ・ベルリンです。

この演奏を買ったのは、やはりその前に買った第九と田園にあります。その演奏が良かったので買ったのですが・・・・・

悪くはないのです。ですが、フェルマータを伸ばしていない・・・・・・そこがどうしても許せない一枚です。テンポもいいし、アインザッツも悪くない。けれど、運命ならばもう少しフェルマータを伸ばして欲しいという感じです。

それと、第4楽章がややテンポが速く、それもマイナス要因になった一枚です。結局、この後私は好きな一枚探しの旅に出ることになります(いや、単に複数買うだけですが)。

第九が最初の演奏が未だに好きであることとは対照的に、この運命ほど私を好みの一枚へと駆り立てた曲はありません。もしかすると、第九よりも運命のほうが好きかもしれない、そう考える瞬間さえあります。

実際、シュターツカペレ・ベルリンは国を背負ってきちんとした演奏をしています。悪かろう筈がないのです。ただ、当時私は高校生。とても多感な時期に、実は一番好きな演奏はワルター/コロンビア響というなかなか渋いものだったのです(これは父がLPでもっていた演奏です)。となると、いわゆる現代的なテンポの速い演奏というのはあまり好きではなかったわけです。

この運命は、中学校の音楽の時間に、聴き比べを先生がやってくれた唯一の曲でした。当時フェルマータを伸ばさない演奏がカラヤンによって広まった時代で、実は先生もどちらかというとワルターのようなフェルマータを充分伸ばす演奏が好きだったようなのです。

そういう経緯もあって、どうしても運命はフェルマータを伸ばしてくれないと、どんなにいい演奏でも私はだめだしをしてしまうのです。そこで粘っていない、運命がやってきたことが充分表現していない、って思ってしまうのです。

ただ、フェルマータを伸ばさないからといって運命がやってきたことを充分表現していないとは言えないこともまた事実ですが、実際楽譜に書いてあるわけですから、私は無視することはできないと思っています。

このCDは当時出たてのペータース版によって演奏されています。ですので、最大の特徴は実は繰り返しが完全にされていること、なのです。当時ソナタ形式をきちんと演奏しているものは実はまずありませんでした。そういう意味で、このスウィトナーの指揮はとてもレファレンス価値の高いものなのです。演奏もいいですし。

しかし、残念ながらフェルマータが・・・・・という感じです。それと、第4楽章でのクラリネットが第3楽章の主題を再現する中間部、ここも速いのがいただけません。そこで粘って、最後の主題再現部でふたたび勝利のファンファーレがゆったりと鳴り響くのが本来いいのに・・・・・

といったところで変わるわけではありませんからね。ですので、これはこれですばらしい演奏だと思い、買うこと数枚。やっとスクロヴァさんに出あったということになろうかと思います。そのときには、ソナタ形式の繰り返しをきちんとやってくれないといや、なんてことはなくなっていましたが。それは既に小澤/サイトウ・キネンで実現されていましたから。どうでも良くなっていました。

今でもレファレンスとしては一級の演奏ではないかと思います。後は、新べーレンライター原典版が欲しいかな、と思っています。それはまた相等テンポが速そうですが^^;


聴いているCD
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
オトマール・スウィトナー指揮
シュターツカペレ・ベルリン
(DENON C37-7001)