かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

想い:劇団四季から学べること〜事業仕分けを批判する前に、考えてみよう〜ご無沙汰のお詫びに替えて

皆様、ご無沙汰しております。新年三が日以来の更新となりました。

実は、精神的にバランスを崩しまして、ようやく気力が戻ってまいりました。

更新をどうするのか迷いましたが、原稿があることもあって、本日から今までどおりに再開することといたしました。

もしかすると、また休止することもあるかもしれませんが、そのときはまたご容赦くださいませ。

さて、再開第一弾はコラムです。昨年は民主党事業仕分けが批判を浴びました。それは、芸術とスポーツの分野の予算が削られるという仕分けになったためです。

確かに、クラシックの予算が削られることには私も納得しているわけではありません。しかし、クラシックは日本古来の伝統文化ではありません。ですから、予算削減の対象になっても仕方がないといえるかと思います。それよりも、伝統文化に対する予算まで削られることを批判する人はあまりいなかったことが残念です。

クラシックだけを考えて見ますと、さてこれで果たしてお先真っ暗になってしまったのでしょうか。実はそうでもありません。そのヒントを、先月テレビ東京系の番組「カンブリア宮殿」で見ることができました。

カンブリア宮殿
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/

この番組は、毎回企業のトップを招いて、その会社のドキュメンタリーを見ながらそのトップに話を聞くという質の高いもので、テレビ東京版「プロジェクトX」と言っても差し支えないかもしれません(プロジェクトXと同じ企画の番組は別に「ルビコンの決断http://www.tv-tokyo.co.jp/rubicon/という番組があります)。なぜなら、取材ビデオを見ながらその当事者に話を聞くと言うのは、プロジェクトXの後半部分、アナウンサーがその当事者に話を聞くというのとほぼ同じだからです(一方、「ルビコンの決断」ではその部分がほとんどありません)。

私が見たのは、劇団四季浅利慶太氏の回です。

http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20100118.html

この回で語った、浅利氏の言葉は未だに心に残っています。

「儲からないものは、残らない」

これは、MC村上龍氏が投げかけた「事業仕分けで芸術予算が削られていますが、どう思いますか?」という問に対する答えなのです。クラシックファンとして、この言葉は正直こたえましたが、言われてみれば当然のことです。

劇団四季は、私の地元に練習場をもっています。私の家から実は歩いて10分ほどのところなのです。その内部は徹底的にトヨタ流の「もったいない精神」に満ち溢れ、その上でしっかりと劇団員をも育てています。さらに最近チケット代も下げています。

クラシック界でここまでやっている音楽大学が果たしてあるでしょうか。あるいは、オーケストラは?アマチュア合唱団は?エージェントは?

そう考えますと、芸術予算が削られるのは、むしろ当然と考えねばなりません。劇団四季には国家予算は一銭たりとて投入されていません。すべて売り上げだけで運営しています。その上で、全国へ巡回公演すら行っています。詳しくは、サイトを見ていただけるとわかりやすいかと思います。

浅利氏もここまで順風満帆できたわけではありません。「キャッツ」を公演する前は、倒産寸前の貧乏劇団だったのです。それが、ミュージカルという分野に焦点を当て、それが見事にヒットします。しかし、それで満足しません。次々と新しいミュージカルを公演する反面、どこかで必ず一区切りつけないと経営的に売り上げが落ちることも知っています。私もかつてはアマチュア合唱団員。稽古とは体力勝負なのです。その限界を超えてしまうと舞台の「品質」が落ちるのです。ですので、そうなる前に終えませんと、一定の売り上げを保つことはできないのです。

演出家として秀でているからこそ、逆に経営者としても優秀なわけです。それは、私は何となくヨハン・セバスティアン・バッハとかさなるものがありました。

いかに今の日本人が歴史に学んでいないのかということを見せ付けられる一端でした。本当に学ばねばならない歴史とはこういうことだなあと実感した次第です。

また、劇団四季の営業マンもすばらしいです。番組では横浜にできた劇場の舞台の営業を取上げていましたが、それは全く地方オケに対する処方箋としてそのまま使えると思います。

クラシック以外の芸術に学べる点は数多くあります。それこそ、予算が削られても生き残ることのできるヒントなのです。それに学ばずして、私はクラシックが日本において一定の理解を得ることは難しいと思います。

一度私も劇団四季の舞台を見てみたくなりました。事業仕分けを批判する人たちはまず、それをみてから批判すべきなのではないかと感じた次第です。それから考えても、遅くはないのではないでしょうか。