かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:鈴木雅明が弾くブクステフーデのオルガン曲集

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、ブクステフーデのオルガン曲集を取り上げます。演奏するのは鈴木雅明氏です。

ブクステフーデの作品に関してはこのブログでもエントリを立てています。

ykanchan.hatenablog.com

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特に、2020年に立てたエントリでオルガン曲を取り上げているわけですが、この時はマリー・クレール=アランのオルガンでした。幾つかは重複しています。それでも借りてきたのは、やはりオルガニスト鈴木雅明だからという点です。

鈴木雅明氏は、バッハ・コレギウム・ジャパン主宰として有名ですが、実はバッハ・コレギウム・ジャパンでもオルガニストとしての役割を担うことがあります。特に息子さんである鈴木優人氏が振る時には、鈴木雅明氏がオルガンを担当することもあります。チェンバロを弾くこともありますが、実はチェンバロにせよオルガンにせよ、通奏低音を担当する楽器であり、同時に鍵盤楽器です。

バロックから古典派初期において、通奏低音は作品の和声を基本づけるものです。モーツァルト通奏低音から和声を積み上げて作曲していたことは明白になっており、だからこそ「レクイエム」はジュスマイヤーが補筆して完成できたわけです。鈴木氏のバッハにおける視点も、通奏低音を弾いているという視点に立っておられます。

このブクステフーデにおいても、そのようなオルガニストの視点で弾いているということは、踏まえておく必要があるように思います。そのブクステフーデは、バッハが参考にした作曲家でもあります。古い時代だといろんな規制が・・・とか考えがちですが、ブクステフーデは以外にもそういった規制から自由に作曲をしようとした人でもありました。バッハがブクステフーデの作品を弾いたらひんしゅくを買ったというエピソードもあります。

ja.wikipedia.org

オルガン曲は、神を賛美するということから出発している楽器なのでどうしても音楽にその側面はあるのですが、同時にバロックの時代からは、人間の内面性も重視し始めます。ブクステフーデの音楽が自由なのは、そもそもバロックという言葉が「ゆがんだ真珠」という意味を持っていることを念頭に置く必要があるように思います。その一方で様式的には形を作っていくという側面もあります。

ブクステフーデの時代においては、型を破っていく時期、そしてバッハの時代はそこから新たな型を作っていく時代と捉えることもできるかと思います。その過程に於いて、神というものだけが賛美されるのではなく、人間が主体になっていくということもまた、通底している動きではないかと思います。それが最大化されるのが、ロマン派という時代ではないかと思います。その基礎になっていくのが、バロックであり古典派である、ということは言えるでしょう。

この歴史認識の上で、通奏低音楽器としての「オルガン」をどう表現に使うのかは、演奏において重要な側面になるのではないかと思います。鈴木氏の演奏を聴いていますと、どの曲であっても圧倒的な「音」だけで表現するということないですし、さらに言えば、ブクステフーデの作品自体が音で他者を圧倒するような作品ばかりではないことも重要です。鈴木氏は演奏によって、オルガン曲が「圧倒的な音で個人の意思を排除している」という批判に対し申し立てを行っているように聴こえます。

実は、鈴木氏はこのアルバム以降、新しくブクステフーデのオルガン曲のアルバムを出していますが、そこに収録されている曲は必ずしも同じではありません。バッハが手本としたブクステフーデのオルガン曲がいかなるものであり、自分はどのようにとらえているかを表明しているように聴こえます。少なくとも排他的という指摘は正確ではないという申し立てではないかと私個人としては聴こえてきます。

確かに、圧倒的な「音」は存在しますし、そこに人間の視点がないように聴こえる部分もあるかもしれません。しかし私自身はそれは一面しか見ていないと考えます。そもそも、オルガン曲が教会にオルガンが備わっていることからすれば神と人間という関係性からは逃れにくいと思います。そのため、古典派以降では管弦楽曲室内楽、独奏楽器の曲が作られ、演奏されてきたわけです。しかし、ではキリスト教が無くなったかと言えばそんなことはないわけです。生活の中での重要性は限りなく低くなりましたが、精神的支柱になっていることは明らかです。

一方で、我が国においては、宗教が悪と捉えられる傾向があります。これはわが国の歴史に立脚しており、特に江戸時代に於いて徳川幕府によって宗教が強力な統治下におかれたという歴史に立脚しています。特に戦国時代の一向一揆のトラウマがその方向に導いたと言えます。この違いを認識しないと、単なる非難になりかねないと私は思いますし、相互理解ということにつながらないと思います。

そこに宗教的なバック部ラウンドがあろうとも、人間が作ったものであることに変わりはなく、精神性も持っていると言えます。私自身はその内面を聞きながら掬い取りたいと思います。鈴木氏の演奏は、その内面性を重視した、外形的ではないアプローチであると思いますし、ゆえに聴くべき演奏であると評価します。

 


聴いている音源
ディートリッヒ・ブクステフーデ作曲
コラール「輝く曙の明星のいと美わしきかな」WuxWV.223(ルトゲリ教会の鐘)
プレリュード ニ長調BuxWV139
パッサカリア ニ短調BuxWV161
トッカータ ニ短調BuxWV155
コラール「我汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」ニ短調BuxWV196
前奏曲、フーガとシャコンヌ ハ長調BuxWV137
コラール「来ませ聖霊、主なる神よ」ヘ長調BuxWV199
コラール「来ませ聖霊、主なる神よ」ヘ長調BuxWV200
プレリュード イ短調BuxWV153
フーガ ハ短調BuxWV174
シャコンヌ ト短調BuxWV173
プレリュード ト短調BuxWV149
コラール「今ぞ我ら聖霊に願いたてまつる」ト長調BuxWV208
コラール「今ぞ我ら聖霊に願いたてまつる」ト長調BuxWV209
プレリュード ト短調BuxWV163
コラール「輝く曙の明星のいと美わしきかな」ト長調BuxWV223
鈴木雅明(オルガン)
ラインハルト・ルゲ(教会の鐘)

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