かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:マリー=クレール・アランのバッハ・オルガン作品全集1

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回から14回に渡りまして、マリー=クレール・アランによるバッハのオルガン作品全集を取り上げます。

以前、アンドレ・イゾワールによる全集を取り上げましたが、抜けていた部分もあったと思います。そこで、抜けていないこのアランのものを借りてきたというわけなのです。

なぜか、神奈川県立図書館にある全集がオルガニストがフランス人というのが面白いところです。これはライブラリをそろえた人の一つのアンチテーゼだったのはないかって思います。以前、鈴木雅明氏の演奏を取り上げたときに、私はこのように述べています。

「バッハのオルガン曲と言いますと、どうしても重々しい重厚な演奏というものを私たちはどこかで期待をしています。」

マイ・コレクション:鈴木雅明 バッハオルガン名曲集
https://yaplog.jp/yk6974/archive/849

鈴木雅明氏自身もそのように思っていたようで、けれどもそうする必要がないことを教えられ、変更するんですね。ですので、重厚な、まあ、具体的に演奏者を名指しすればリヒターがそうですが、重々しい演奏にこだわる必要なんてないな、と。となると、最も適しているのはフランス人のオルガニストなんです。その筆頭がこのマリー=クレール・アランです。

マリー=クレール・アラン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3

このアルバムはウィキにも載っている3度のうちの一つです。演奏と言えば、イゾワールのように軽いだけではなく、重厚さもその中にはあり、様々な顔があるのが特徴かなと思います。この第1集で言えば、1曲目の「プレリュードとフーガ」ホ短調BWV548は荘重かつ壮麗。しかしコラールは可憐です。こういった演奏の使い分けをしているんです。なるほど、むしろこれが本来のオルガン弾きの基本なのね〜って思います。

つまり、リヒターは自分の思いだけが先行してしまって、圧倒的な音だけを追求してしまったといえるんです。それだけを取ってオルガン曲は圧迫感があるというだけでキリスト教を否定するのはどうなんだろうって思います。あのう、私だってキリスト者ではなく日本人的信仰である神仏習合なんですけれど・・・・・

けれども、アランのこの演奏からは、圧迫感のある演奏なんて邪道!とも言うメッセージすら受け取れるんです。実はアランは兄であり優れた作曲家だったジョアン・アランを第2次世界大戦開戦直後に戦争で亡くしています。その喪失感は戦後も、おそらく生涯を通じて持っていたと思われます。それでも、決して圧迫感のある演奏こそ王道だとは言わず、いろいろな表現を試したのだとすれば、アランの3つの全集こそ聴かれるべき演奏であり、キリスト教がとかいうのはそのあとでも全く遅くはないと思います。

異教徒の心を揺るがし、魂をとらえるその演奏が、圧迫感だけで達成できるとは思えないんです。しなやかでとらわれのない演奏こそ普遍性を持つと思います。考えてみましょう。バッハのオルガン作品が悲しみの叫びだけで作曲されたのであれば、コラールのような可憐な作品など存在しないはずなんです。すべて荘厳で重厚な作品ばかりになるはずです。しかしそうはなっていない。それはバッハが人間の「死による喪失感」が単純なものではなく、叫びも苦しみも悲しみもあるんだということを如実に語っている証拠です。それ以外考えられません。

私自身生涯において母を亡くし、そのあとに様々な人生の岐路を経験しました。だからこそ、悲しみには様々な面があるんだとわかるんです。神を賛美するというのだって、バッハ以前ならともかく、バッハの時代においても同じようだったとは、いろんなジャンルを聴いてきますと私には思えないんです。

アランも同じなのではなかったと思うんです。兄を亡くしそのあとをどう生きるかという課題において、どう答えを出し選択をしてきたか。それは演奏に如実に表れていると思います。決して答えを一つだけに絞らず、まさしく「「これっきりという言葉」はないというのが信条」という彼女らしさを演奏によって証明している、まず第1集です。その意味ではごく普通でありながらも、まるでカウンターパンチを食らった感じがします。




聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
プレリュードとフーガ ホ短調BWV548
コラール「バビロンの流れのほとりに」BWV653
コラール「われは神より離れまじ」BWV658
コラール「装いせよ、おお、魂よ」BWV654
プレリュードとフーガ ロ短調BWV544
「いと高きところには神にのみ栄光あれ」BWV662
「いと高きところには神にのみ栄光あれ」BWV663
「いと高きところには神にのみ栄光あれ」BWV664
マリー=クレール・アラン(オルガン)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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