かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

想い:甲子園球場はコンサートホールなのか?~緊急投稿!慶應の応援から高校野球を考える~

久しぶりの「想い」のコーナー、今回は高校野球の応援を考えます。

2023年、第105回全国高校野球選手権大会は、神奈川県代表の慶應高校の優勝で幕を閉じました。まずは優勝、おめでとうございます!元県民としては、とてもうれしい勝利でした。

その一方で、決勝戦の応援が問題視されています。私もテレビで見ていましたが、確かに物凄い応援だったのは確かです。音がうねるような声援!あれは凄まじいと思います。

ですが、果たして、規制するほどのものなのでしょうか?ネット上では「規制すべし」の声がかなり上がっていますが・・・・・

実は、もともと高校野球の応援については、今年エントリをあげる予定でいました。それは、私自身が今年の大会に足を運んだからです。観戦したのは、8月14日の第1試合、日大三高鳥栖工業です。なぜこの試合なのか?それは、日大三高が我が母校だから、です。

日大三高はその試合三塁側。アルプススタンドも当然三塁側。以前はアルプスにも普通には入れましたが、この試合時には全席売り切れ。ですがアルプスには空席も目立ったことから、おそらく単なる卒業生では入れず、在校生や父兄でないと入れないように変更があったのでしょう。そのため私は、レフト外野席の上のほうに座りました。それは暑さ対策としてはいいコンディションだったのですが、このブログで取り上げるということは、当然ですがクラシック音楽のコンサートと比較する、ということになります。

実は、甲子園球場はとても声が通る球場です。私もいくつかの球場に足を運んだことがありますが、これほど声が通る球場はドーム球場以外では甲子園以外知りません。おそらく、声援が通りやすいようにアルプススタンドが設置されている、ということなのだと思います。どれくらい声が通るのかと言えば、クラシックのホールでいえば、サントリーホールくらい届くのです!

勿論、応援団はメガホンを使っているということもあるでしょう、しかし、よく応援を聞いていると、メガホンを持っているのは控えの野球部員であることが多く、かつおなかから声を出しているケースが多いのです。それは合唱の発声となんら変わりありません。そのうえでメガホンを使って声援を送っているということを、まず念頭に置く必要があると思います。正直、鳥栖工業の野球部員を第九のテノールパートとしてスカウトしたい!と思ったほどです(笑)いや、これ本気です。今でも合唱団員として活動していたとすれば、間違いなくスカウトしています、私。

それほど、甲子園のアルプススタンドからの声援は、声が通るのです。いろんな選手のインタビューを聞いていても、「応援が力になった」というコメントが拾えるのは枚挙にいとまありません。それは、アルプススタンドからの声が通ることを意味しています。しかも、甲子園球場サントリーホールのように天井はありません。内野席には屋根がありますがアルプススタンドにはありません。そのうえで、声がコンサートホールと同等クラスで届くのです。そのうえで、ブラスバンドの応援もあります。これが力にならないわけはないだろうと思います。

実は、その前日にも私はコンサートに足を運んでおり、そしてその翌週の8月20日には、母校中央大学の卒業生が立ち上げたアマチュアオーケストラであるクレセント・フィルハーモニー管弦楽団の第41回定期演奏会にも足を運んでいます(この二つのレビューは9月に出します)。そして試合の前日に聴いたのは、ベートーヴェンの第九でした。つまり、合唱です。場所は杉並公会堂。まるで、杉並公会堂が引っ越してきたかのような、素晴らしい「響き」が、1塁側アルプススタンドから聞こえてきたのです!

当然ですが、おそらくライトスタンド外野席でも、日大三高の応援団の声援が、しっかりと聞こえていたと思います。甲子園球場とは、そのような場所なのだ、ということなのです。そして、4年ぶりの声出し応援。誰もが待ち望んでいた「時」だった、とも言えます。当然、応援には熱が入るというものです。実際、私もレフトスタンドで応援し、周りにはやはり日大三高の卒業生と思わしき人々がいっぱい!一緒に、第三応援歌や「ダッシュ三高!」や大学の応援歌である「花の精鋭」を歌ってきました。

そのうえで、慶應高校には、もう一つ久しぶりなことがありました。それは、103年ぶりの決勝戦進出、そのうえ、優勝すれば107年ぶりだった、ということです。そして、実は大会が甲子園球場に移ってから初めての決勝戦進出であった、ということです。この点も抑えておく必要があります。さらには、応援に駆け付けた卒業生や野球部OBとすれば、慶応ボーイと言われる一方で金持ちだからとか長髪のくせにとか虐げられてきた歴史もある、と思います。その意味では、応援団はいっきに膨れ上がり、統率が問てないレベルだったことは想像に難くありません。

私も慶應高校の試合は沖縄尚学戦以外はすべて見させていただきました。そのうえで言えるのは、では、決勝戦以外の慶應の応援を批判する人は誰もいないという事実です。問題になっているのは決勝戦だけ。であれば、規制する必要はないというのが、私の見解です。その思いを強く持ったコンサートが、実は8月20日に聴きに行った、クレセント・フィルハーモニー管弦楽団第41回定期演奏会です。エントリ公開前に少しだけ触れますが、メインはフランクの交響曲ニ短調。正直、フランクという作曲家はクラシック音楽ファンの間でもそれほどメジャーではありませんし、そのフランクの交響曲もそれほどメジャーではありません。知ってる人は知っているという程度です。しかし、クレセント・フィルハーモニー管弦楽団の熱の入った、まるでフランクに共感するかような素晴らしい演奏は、実はフライングに近いブラヴォウ!を発生させています。しかし、私自身それをあまり問題視していませんし、実際は残響が聞けなかった程度で、演奏途中からブラヴォウ!がかかったわけではありません。なんら問題ないです。感動して思わず終わったとたんにブラヴォウ!がかかったケースです。まあ、プロオケではいろいろいう人もいるでしょうが、しかしながら、ではコンサートホールでフライングブラヴォウが禁止されているかといえば、禁止されていません、演奏途中でおしゃべりなどしないでください、アラームを鳴らさないでくださいという程度で、スマホ持ち込み禁止という策すら取られていません。強いて言えば、電波妨害ができる装置があるホールがある程度です。

いわんや、甲子園球場をや、です。しかも、スポーツの応援です。規制される程度ではないと思います。確かに、八戸光星学院の、タオルを振り回す応援は禁止されても仕方ないと思います。圧倒するというのもあると思いますが、仮にタオルがグラウンドに入り、それが選手を傷つけたとすれば、誰が責任を取れるでしょうか?しかし、声援はそれほど危険ではない行為です。それを言えば、メジャーの試合のほうが、ホームチームがチャンスになったときの声援はすさまじいです。NHKBSの、日本語放送ではそれほどではないように聞こえるかもしれませんが、副音声の英語にしてみれば、それがどれほどすさまじいか、テレビからもわかると思います。甲子園球場のケースで当てはめれば、実際はもっとであると想像できます。

そして、守備をしている相手に対してもブーイングとかしているという声もありますが、では、それは今大会全体に言える傾向だったのでしょうか?私はそうは思いません。実際、日大三高鳥栖工業の試合でいえば、鳥栖工業が守備のタイムを取ったとき、日大三高アルプスは、ブラスバンドが音量を限りなく小さくしています。ちょうど日大三高の好機で、まさに演奏されていたのは「ダッシュ三高!」。チャンスの時に演奏される曲です。つまり、マナーをしっかり守っています。慶應もそのようにしていたと思います。それがなぜ決勝戦では実現されなかったのか。それは、普段高校野球の応援に慣れていない人が、大勢駆け付けたからと言わざるを得ません。

これは、クラシックコンサートでも言われるアラームを、マナーの範囲内でというのと、何ら変わりはありません。そう、マナーの問題なのです。正確に言えば、応援団でどのようにコントロールするか、という問題です。107年前に慶應高校が優勝した時、まだ応援はシステムだったものではなく、単に声援が飛ぶだけという簡素なものだったはずです。下手すれば、応援がいたかどうかも怪しい時代です。鉄道は開通していましたがそれほど人々が自由に行き来する時代ではありません。しかし、応援歌が生まれ、ブラスバンドが入り、新幹線もでき人々が自由に行き来し、東京と甲子園の間を日帰りできるようになったという歴史的変化を経た、今年、です。そして、慶應の応援はバンカラのははしりともいえる、独特なもの。ある意味、六大学の応援がそのまま甲子園に持ち込まれたと言えます。そもそもが異質だとも言えます。その異質なものを、どのように甲子園というフィールドに適応させていくか。それは規制するものではなく、まさに慶應高校自身が考えるものです。「エンジョイ・ベースボール」とは、まさにそれであると考えます。この経験を、将来にどのように生かしていくのかが問題であり、単に規制すればいいという問題ではありません。それよりも、私自身が感じたのは、チケットの再販のほうです。第1試合だけ見て帰らざるを得なかったのはとても心苦しい感じがしました。それはこのブログの本題ではないのでここでは詳しく述べませんが。

その意味では、オーケストラがどのように美しい音楽を作り上げていくかの過程に似ている、と思います。応援団はいかにしてシステマティックに応援を統率するのか、そして選手たちはいかにして大声援の中でも意志を通じ合わせるのか。たとえば、合唱では、声かけなど演奏中にはできないので、周りの声を聞けとよく言われます。そのうえで指揮者のタクトの打点を見てタイミングを合わせます。そのうえで表現していきます。オーケストラでも同じです。それは、高校野球でも同じであると言えます。しかも、そもそもが高校野球は教育的な観点もあるスポーツです。ぜひとも規制という形ではなく、自らの頭で考えるという方向で考えてほしいと思います。おそらく、慶應高校の森本監督が掲げた「エンジョイ・ベースボール」とは、自ら考えることが大切なのであり、短髪じゃないといけないとか規制するものではないとの思いを、持っていらっしゃると確信しています。まさにその「想い」を、私たちファンがどのように受け止め、革新させていくか。高校野球の将来はそこにあるのではないか、と思います。クラシック音楽同様に。

 


地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。