かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ジュリーニとウィーン・フィルによるブラームス交響曲全集3

東京の図書館から、4回シリーズで取り上げております、小金井市立図書館のライブラリである、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるブラームス交響曲全集、今回は第3回として交響曲第2番を収録した第3集を取り上げます。

奇数偶数の順番に並んでいるこの全集。ジュリーニウィーン・フィルが言いたいことがおぼろげながら見えてきているのかなという感じがします。第2番は第1番より規模は小さめながらも堂々たる作品です。しかも旋律や和声もすっきりとしていてどこか吹っ切れた感じがする作品でもあります。

ジュリーニもそれは意識している印象を受けます。ウィーン・フィルという世界最高のオーケストラを朗々と鳴らし、とにかく歌わせています。ええ!ここでポルタメント?という部分もあり、いやあ、聴かせてくれます。音に包まれる気持ちよさを味わうにはうってつけの演奏だと言えます。

一方で気になるのは、多少生き生きとした部分はそがれてしまっているかな、という点です。そこに生命が宿っていないわけではないですし、はきはきとした部分がないのに生命を感じることができるのはジュリーニのタクトのすばらしさだとは思いますが、しかし生き生きとした部分はあまり感じられないんです。

これはもう好みの問題なんでしょうね。全体的にその生き生きとした部分はここまでは感じられないので、大絶賛ということには私の中ではなっていません。しかしやるべきことはしっかりやっていますので、特段批判、あるいは非難の対象にはならないかなとは思っています。これははっきりと言っておきます。ディするつもりはみじんもありません。

しかし、私としてはブラームスの芸術が、そこまで圧倒的音に包まれる、という感じではないよなあって思うわけなんです。勿論ブラームスが表現として作品に圧倒的音に包まれる和声というものを使っているとは思いますが、しかしそれだけがブラームスが言いたいことではないはずだと思うんです。

音楽が強調される部分は、フォルティシモがついているか、長音部分です。もう少しメリハリがついてもいいように思うんです。そこはジュリーニと私とでは美意識が違うんだなという感じです。

確かに聴いていて幸せな気分になりますが、しかしベートーヴェンの重圧から解き放たれたブラームスの魂がどこか行ってしまってるという印象があるんです。ですが喜びが随所から響いてくる演奏になっていることが、ジュリーニが解釈したブラームスの喜びと魂なんだろうなあと思います。

その意味では、最後の第4番の演奏は楽しみだと思います。

 


聴いている音源
ヨハネス・ブラームス作曲
交響曲第2番ニ長調作品73
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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