かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:やはりドヴォルザークは「鉄ヲタ」だった!「新世界より」と「モルダウ」の4手ピアノ版

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、ドヴォルザーク交響曲第9番新世界より」とスメタナの「モルダウ」の4手ピアノ版を収録したアルバムをご紹介します。

今回収録された2曲は、それぞれ作曲者によって4手ピアノ版へと編曲されています。通常ピアノ版へと編曲されるのは、その作品を聴いてほしいがために、簡便に演奏できるようという意思により実現されます。ドヴォルザークスメタナの二人の編曲を、「聴いてほしい」という視点から見てみようと思います。

まず、ドヴォルザーク交響曲第9番新世界より」と言えば、ドヴォルザーク交響曲の集大成と言える作品です。そして私の見立ては、アメリ国民楽派の扉を開いたものであると同じに、鉄道を作品の一風景として徹底的に取り入れたものでもあります。特にその傾向が強いのが、第9番「新世界より」であると言えるでしょう。

そのいわゆる「鉄分」が、編曲によりどうなっているのかと言えば、基本的にほぼ失われていない、と言えるでしょう。ピアノへの編曲はピアノ演奏を前提にして管弦楽版とは異なることがあります。その異なる部分があまりなく、むしろ蒸気機関車のドラフト音が強調すらされています。ですが、それは「風景の中の一部」とされているのが、ピアノ版の特徴だと言えるでしょう。

ということは、先日までとりあげておりました、イルジー・ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏は実にドヴォルザークの意図を掬い取っていると言えるのではないでしょうか。ですがそれに気付くには、やはり鉄道に対する関心がないとスルーしかねないのではないか、という気がします。

いずれにしても、この編曲で、ドヴォルザークが「鉄ヲタ」であったことは確定した、と言っていいでしょう。

一方のスメタナモルダウ」。演奏にアコーギクもついてはいますが、しかし作品で重要視されている部分はあまりオケ版と変らないのが特徴で、それ以外はピアノ演奏を念頭に置いた編曲がなされています。それはドヴォルザークよりは上手だと言えるでしょう。確かに比べればドヴォルザークはピアノ作品を苦手としているとは言えるでしょう。だからと言って大事な部分とそうではない部分とを切り分け、自分が作品に込めた意図を外さない編曲になっていると言えます。

演奏するのは、かつて一世を風靡した夫婦デュオ、デュオ・クロムランクです。奥様は日本人である桑田妙子さんでもあります。その繊細かつ力強い演奏は、たとえば「新世界より」では風景の中で疾走する蒸気機関車の「音」の表現で抜群の効果を出しています。一方の「モルダウ」は、チェコの歴史と自然を表現するという部分で速いテンポを選択するなど、その繊細かつ力強いピアニズムを存分に活かしていると言えるでしょう。

そんな優れた演奏をするデュオですが、調べてみると残念なことに、1994年に夫婦ともども自殺してしまわれているのです。とても残念です・・・・・

ja.wikipedia.org

もちろん、今いろんなデュオがいらっしゃいますし、その中には夫婦デュオもいらっしゃいます。しかしそういった中でデュオ・クロムランクが今存在していたら、どんなきらめきがあったろうとおもうと、この演奏を聴きますと残念な気持ちが去来します。ですが、一方でやはりドヴォルザーク鉄道ヲタクだったのだ!という証明をした点で、やはり優れたデュオであったと言えるでしょう。合掌・・・・・

 


聴いている音源
アントニン・ドヴォルザーク作曲
交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」(作曲者によるピアノ連弾版)
ベドジヒ・スメタナ作曲
連作交響詩「わが祖国」より第2曲「モルダウ」(作曲者によるピアノ連弾版)
デュオ・クロムランク(ピアノ)
 パトリック・クロムランク
 桑田妙子

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