東京の図書館から、9回シリーズで取り上げています、府中市立図書館のライブラリ、クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏によるブルックナーの交響曲全集、今回はその第2回。交響曲第2番を取り上げます。
第1番から6年の歳月を経て作曲された第2番。途中、番号をつけることを断念した第0番があり、この第2番が成立します。ブルックナーの独創性がいかんなく表現されていますがベートーヴェンの影もある作品です。
ブルックナーの交響曲はそもそもオルガニストであるブルックナーの手腕が反映されているのですが、意外に我が国ではあまりその点が知られていないことが多いんです。モテットなどを聴いて交響曲を聴きますと、すでに交響曲で使っているブルックナー終止などが現れていることに驚きます。
この第2番も教会的な響きがあります。そして演奏からもどこか教会的な響きが聴こえてきます。それもそのはず、この全集はロケーションがライプツィヒのパウル=ゲルハルト教会なのです。勿論前回の第1番も同じです。つまり、オケのホームであるゲヴァントハウスではないんです。
この選択はうなってしまいます。確かに旧東独での録音はホールではなく教会ということが多く、その選択がそん色ないのですが、この録音程作品の特徴を的確にとらえたと言えるものはないでしょう。ブルックナーの交響曲は、教会音楽がその基礎にあるのですから。
だからこそ、多くのクラシック・ファンが重厚な響きの中で酔えるため、ブルヲタになっていくんだと思います。しかしブルックナーの交響曲の魅力は決して重厚な響きにあらずと私は思っています。その基礎にあるオルガニストとしてのブルックナーという存在だと思うのです。
オルガンの圧倒するような響きを、オーケストラでいかに実現するか。それがブルックナーの交響曲だと、私は定義づけています。だからこそ多くの人がその響きの中で酔えるんだと思います。結果、ブルックナーの交響曲は後期ロマン派らしい、重厚な響きが存在するのですから。だからこそ、私たち聴衆はブルックナーの音楽を聴けば酔えるんだと思ってます。
その視点で言うと、マズアはオケを雄弁に鳴らしつつも、過度にオーケストラの重厚な響きを追求せず、作品の生命力をゲヴァントハウス管というオーケストラを使って引き出していくという作業を大切にしているように聴こえるのです。教会というロケーションを存分に使って、基礎にある教会音楽を感じながら、あくまでも管弦楽作品としてそのポテンシャルを引き出す演奏なのです。
それはある意味、旧東独が社会主義体制だったこともあるのだと思います。しかし旧東独は決して旧ソ連のように教会音楽を過度に規制する国家でもなかったという、微妙な立ち位置がこの演奏にも表れているように思うのです。だからこそ、どうもあの重厚さが苦手なんだよね、という人でもこの演奏であればブルックナーの芸術を楽しめるのではないかと思います。
その意味でも、この全集は個性的で魅力的であるということを見せている、素晴らしい全集であると言えるでしょう。
聴いている音源
アントン・ブルックナー作曲
交響曲第2番ハ短調(原典版)
クルト・マズア指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
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