かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ロストロポーヴィチとロンドン・フィルによるチャイコフスキー交響曲全集7

東京の図書館から、7回シリーズで取り上げている府中市立図書館のライブラリである、ロストロポーヴィチ指揮ロンドン・フィルによるチャイコフスキー交響曲全集、今回はその最終第7回目です。

第7回目は交響曲第6番「悲愴」。悲愴というよりは、人生の酸いも甘いも・・・・・という側面もあるような作品だと思いますが、その意外な「複雑性」をよくぞ表現しているなあと思います。

この曲でふと顔をのぞかせる明るい和声。必要だからこそ存在するその和声を大切にしつつ、しっかり俯瞰して演奏を一つの作品として構築しているのには舌を巻いてしまいます。

テンポも若干速めな部分もあるのですが、それが全く気にならないんです。それは演奏から作品が持つ「複雑性」が存分に表現されているのがわかるからです。

チャイコフスキーが描きたかった「人生」を、オケを存分に鳴らして歌わせる・・・・・うーん、もう酔わざるを得ません。人生は思い通りにはいかず、しかしその中にいろんな発見や気づきもあります。その意味では、「悲愴」という和訳は必ずしも正しくないなあと思います。

まあ、確かに「悲愴」で正しいのですけれども、直訳すれば・・・・・ただ、その「悲愴」という標題にチャイコフスキーが込めたものは一体何なのか?そして聴き手である私の人生とは何か?これから生きるとは?いろんなことを考えさせてくれる名演でありましょう。

ここまで結局ダメ出しをするような演奏がないのが不思議。こういう全集を待っていました。ロストロポーヴィチというチェロの名手とロンドン・フィルという名門が出会ったゆえの結果であるように思います。その果実を受け取れる私はなんと幸せなのだろうと思います。

 


聴いている音源
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。