かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:フランク 交響曲と「ピアノ協奏曲」

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はフランクが作曲した交響曲と事実上のピアノ協奏曲と言える「交響的変奏曲」を収録したアルバムをご紹介します。

フランクは晩年に優れた管弦楽作品を作曲していますが、ここに収録されている作品もその晩年に作られた作品達です。つい、有名な交響曲があるので見過ごされがちで、私も交響曲が入っているから借りてきたようなものなのですが、検索してみると実はフランクの晩年の充実ぶりを示す内容になっているというわけです。

ja.wikipedia.org

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特に交響曲は、フランクのスタンスでは批判の対象だったドビュッシーすら高い評価をする作品であることに驚くばかりです。それは交響曲の内容もさることながら、「三楽章制」という点もあるのではないかという気がしています。

ドビュッシーは、新しい和声を作り上げる過程において、フランス・バロックに範をとっています。ですから、フランクの弟子たちが何を言おうが、馬耳東風だったのではないかという気がします。君たちは本当に師匠が発しているメッセージを受け取っているのかね?と言いたげな気がするのです。なぜなら、三楽章制はフランス・バロックに範をとることを意味し、それはドイツ・ロマン派とは距離を置くことを意味しているからです。

もちろん、二つの作品はどこから見ても後期ロマン派の範疇に収まっている作品です。しかしながら、三楽章制を取るということは、ドイツ後期ロマン派の音楽からは距離を取ることを意味し、そのうえで隠されたテーマは「自由」であるはず、です。ドイツ音楽から自由になろう、という宣言です。どこから見ても後期ロマン派の範疇に収まっているにも関わらず、フランス・バロックに回帰したかのような構成。ドビュッシーが反応しないわけがない、と思うのです。

おそらく、弟子たちはフランクの表面的な部分しか見ていないのではないでしょうか。聴けば聴くほどそんな気がしてなりません。

交響的変奏曲は、交響的とついていますが実際にはピアノと管弦楽のための作品であり、実質的なピアノ協奏曲と言っていい作品で、むしろ幻想曲に近いと思います。幻想曲を変奏曲として書いてみた、という感じ。ですがそれもまた後期ロマン派的な耽美性を持ち、美しい世界に耽溺できます。

そんな二つの作品を振るのは、リッカルド・シャイー。オケはアムステルダム・コンセルトへボウ。このコンビで名演がいくつか生まれていますが、この演奏は実に美しくかつ大胆で壮麗。それでいて押し付けがましくもなく、生命力にあふれています。さすがシャイーだと思います。ただ、この時期のシャイーは声楽が入った作品をあまり得意としていないと私は見ていて、円熟の過渡期という感じ。ただ、管弦楽作品を振ればぴか一ですね。現在は第九にも素晴らしい録音を残していますが・・・・・この時期は、そんなまだ伸びしろが残っていた時期です。ですが、こういうフランスものもしっかり触れるだけの指揮者であった、ということははっきりと言えるでしょう。

ピアノはホルヘ・ボレット。私が知らないピアニストなのですが、これも自在に表現するのですばらしい!知らないピアニストで素晴らしい演奏に出会えることはめったになく、じつに幸せな一枚を借りてきたんだなあと思います。もうずいぶん経ちますが・・・・・県民の皆さん、ほんと使わないともったいないですよ、県立図書館。コロナで訪問しにくいとは思いますが、ワクチンがいきわたったらぜひとも足を運んでほしいなと思います。そして、府中と違って大切に扱ってほしいと思います。この演奏は、そして資料は、県民共通の宝、ですから。

 


聴いている音源
セザール・フランク作曲
交響曲ニ短調
交響的変奏曲
ホルヘ・ボレット(ピアノ)
リッカルド・シャイ―指揮
アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。