かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ボイス 8つの交響曲

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、ボイスの8つの交響曲を収録したアルバムをご紹介します。

ボイスって誰やん?まさか声さん?いやあ、もう「おちょやん」も終わりましたからそんなんボケなくてもええねんw英国は時代的にはバロック時代の作曲家です。バロックというよりは多分ギャラントだとは思いますが、音楽的にははっきり言ってバロックです。その意味では「古い人」だったのでしょう。

ja.wikipedia.org

まあ、「国王の音楽師範」になる人ですからねえ、様式的には古いものを書く人であったのだろうと思います。この役職、当時は終身だったそうですし。

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収録されている「8つの交響曲」は上記ウィキの項目にもある作品ですが、実は8つの交響曲をただ単に集めたというのではなく、その8つを一つの策品番号にまとめてあるのです。その意味でも、とてもバロック的だと言えます。とはいえ、バロックの時代に交響曲ってジャンルはなし。その意味でギャラント時代を生きた人ではあるわけです。

もっと言えば、交響曲草創期の作曲家だと言えるでしょう。作品2がついているこの「8つの交響曲」のうち7曲は3楽章。一つは2楽章と、明らかにまだ交響曲が序曲としての位置づけだった時代の作品達です。モーツァルトハイドンは、こういった作品を聴いて自ら「交響曲」というジャンルを磨いていったと言っていいでしょう。そしてその実を受け取り、さらに品種改良して芸術の高みへと昇らせたのがベートーヴェンです。

それぞれオードだったり、まさに何かの序曲として位置付けであるものばかり。ほとんどは「国王の音楽師範」になる前の作品ですが、とはいえ、なぜ音楽師範という役職に就くことになったのかの一端を想像できる作品達ではあります。

演奏するのは、その英国のオケであるエンシェント室内管弦楽団。指揮はその創設者、クリストファー・ホグウッド。主にバロック時代を基準とした古楽オケだとぴったりな作品だと言えます。作曲者の役職に関わらず、祝祭感があるものはきらびやかかつ壮麗に演奏しますが、そんな中にも生き生きとした部分があったりと、実に繊細かつ大胆。聴いていて即ノレる演奏でもあります。こういうのいいなあ。

もちろん、私は基本的にはベートーヴェン以降の交響曲が好きな人ですが、こういうもっと肩の凝らないような交響曲も素晴らしいと思っています。人間なんて本当に裏をはがせばいろんな部分がある生き物ですから、いろんな作品があってもいいんです。その時に応じて、ベートーヴェンやボイス、ハイドンモーツァルト、あるいは前期ロマン派、そして後期ロマン派と聴く作品を変えていく・・・・・そのほうがいろいろあって楽しくはないでしょうか。

まさに、1930年代から続く「ボイス復興運動」の延長線上にあるこの演奏、実に肩が凝らずいいなあと思います。決してここで出ている3楽章制は自由というキーワードにはなっていないと思いますが、もしかすると・・・・・という考えはわたしの中にあります。欧州の市民革命はあまりにも偏向して我が国に入ってきていることもあり、批判する勢力もまた、偏向していることが多いので・・・・・要注意だと思っています。

 


ウィリアム・ボイス作曲
8つの交響曲 作品2
交響曲第1番変ロ長調(1756年、新年のためのオード「万歳、めでたき日よ」)
交響曲第2番イ短調(1756年、国王ジョージ2世の誕生の日のためのオード「シーザー誕生の日に」)
交響曲第3番ハ長調(1749年、牧歌劇風オペラ「花の冠」)
交響曲第4番ヘ長調(1751年、牧歌風オペラ「羊飼いの運」)
交響曲第5番ニ長調(1739年、聖チェリーリアの祝日のためのオード「見よ、名高きアポロ」)
交響曲第6番ヘ長調(1742年、セレナータ「ソロモン」)
交響曲第7番変ロ長調(1740年、ピンダロス風オード「優しきリラよ、調べを始めよ」)
交響曲第8番ニ短調(1758年以前、ウースター序曲あるいは協奏曲ニ短調。ウースター三教区合同合唱祭のために)
クリストファー・ホグウッド指揮
エンシェント室内管弦楽団

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