かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ 作品集6

今月のお買いもの、平成28年1月に購入したものをご紹介しております。シリーズでカール・フィリップエマヌエル・バッハの作品集を取り上げていますが、今回はその第6集を取り上げます。

第6集には交響曲と協奏曲が収録されていますが、実は交響曲も協奏曲も、そのほとんどを実はすでにご紹介しております。

今月のお買い物:C.P.Eバッハ フルート&オーボエ協奏曲
http://yaplog.jp/yk6974/archive/386

今月のお買い物:カール・フィリップ・エマヌエ・バッハ 弦楽のための交響曲wq182
http://yaplog.jp/yk6974/archive/408

収録されている作品の中で、新たにご紹介するのはチェンバロ協奏曲ハ短調Wq43だけあり、基本的には説明はしませんが、するとすればまだ取り上げていないチェンバロ協奏曲ハ短調をするべきだと思います。

というのは、この作品もまたすごいと言うか、時代を先取りしている作品なのです。主旋律が第1楽章において提示されますが、再び第4楽章にて取り上げられるのです。

ある意味、循環形式とも言える作品で、それをピアノで実現して循環形式を器楽において確立したのはリストだと言われていますが、カール・フィリップはそれより前に循環形式を試していると言えるでしょう。

循環形式自体は実は珍しくもないのです。ただ、器楽で正式にリストが採用してその後よく使われるようになりましたが、そもそもカール・フィリップよりも前の時代では、宗教曲で当たり前に採用されていた形式でした。

ですから、音楽史を語る上において、循環形式は取り扱いに注意が必要です。「リストが最初」と言ってしまうと、それは間違いになります。何度このブログでも、モーツァルトのミサ曲において、再び最初の旋律が・・・・・と言ったことでしょう。リストが音楽史上最初であるのは、それを器楽、協奏曲で正式に採用したから、なんです。

でも、このようにカール・フィリップもやっているわけです。カール・フィリップもオルガンなど鍵盤楽器全般における当時のオーソリティであったわけで、その影響力は絶大でした。それにリストが影響を受けていないと考えるほうが不自然ではないかという気がします。古典派やロマン派の作曲家達を通じて、リストにまで受け継がれていった、そう考えるのが自然だと思います。

実は、古典派が確立するためにはもう一人のバッハも重要な役割を果たしており、特にモーツァルトには絶大な影響を及ぼしていますが、この多感様式の時代は、そういったヨハン・セバスティアンの息子達が多大な貢献をした時代でした。

その意味で、このアルバムはとても面白いと言うか、意味のある内容になっています。交響曲と協奏曲が交互に収録されており、カール・フィリップ管弦楽作品が俯瞰できるような編集になっています。ある意味、上記二つのCDを合わせて2で割ったような収録になっているのは素晴らしいと思います。

私は関内のプレミア・ムジークが当時あったせいで、このCDよりも先に交響曲Wq182と協奏曲については二つのCDにおいて俯瞰することになったのだなあと思います。演奏としてはどちらも甲乙つけがたく、ある程度端折って聴きたければこのアルバムだし、Wq182をじっくり聴きたければ以前取り上げたほうがいいかなと思います。協奏曲に関しても、すでに取り上げたアルバムと、県立図書館で借りてきて音源化してあるものもありますし、いくらでも選択肢があるのは幸せだと思います。

あくまでも、この作品集はカール・フィリップの作品をピックアップして俯瞰することが目的となっています。全部を俯瞰しようとすればそれこそもっと多くの枚数が必要になるので、とても10枚では足りません^^;

演奏はフライブルクバロック・オーケストラなので、聴き慣れたサウンドです。以前ヨハン・セバスティアンのミサ曲ロ短調を取り上げた時の団体です。

マイ・コレクション:ソリストがいないロ短調ミサ
http://yaplog.jp/yk6974/archive/724

このアルバムでは、ソリストは別個にいて、特にチェンバロは第1集でも出てきているアンドレアス・シュタイアーですから、安心して聴いていられます。ソリストロ短調ミサで必要ないくらいのレヴェルを持つとからこそとも言えます。それは視点を変えれば、まさしくバロックらしいサウンドを追及しているプロ集団だからこそだとも言えるでしょう。

BCJに対する批判で目につくのは、大きなホールでは音が物足りないと言うものなのですが、それは当たり前なのです。バロックの編成とはそれくらい小さいんです。むしろ、BCJが東京においては経済的な理由からオペラシティで演奏するのはかわいそうだなと思ってすらいます。もう少し小さいホールで演奏しても経済的にペイするほうがいいんじゃないかなあと思っていたりします。頑張っているんですよ、BCJは!

CDだとそのホールの大きさはあまり問題になりません。録音技術でカバーできるので。でもライヴはそうはいきません。それはこのフライブルクバロック・オーケストラでも、BCJでも変わりありません。BCJが不利なのは、この日本という国が、基本的に仏教と神道の国であるという点なのです。演奏に適した教会の聖堂が少ないからです。むしろ、BCJは東京カテドラルのほうが適しているかもしれません。アルバムはすべて神戸松蔭女子大学チャペルでの収録になっています。その程度が一番適しているんです。

実際、器楽作品の収録であり、オルガンすら出てこないにも関わらず、このアルバムは教会での収録となっています。それはまさに適切なロケーションの判断であり、お金がないからとかそういう理由ではないんです。大編成のオケばかりに慣れてしまうと、そういった編成の大きさによる適切な箱の大きさすら、わからなくなると思います。

適切なホールの大きさゆえなのか、のびのびとした演奏になっており、思わず体を揺らしてしまいます。それだけ演奏者もノリノリであることが、聴けば聴く程感じてきます。ffとppの差もダイナミックさがあり適切ですし、これがプロの演奏と選択なんだなと、唸るばかりです。

フィルハーモニック・コーラスさんにはこういう点を是非とも学んでほしいんですよね。いろんなCDにいろんなヒントは隠されているんです。どんな曲なのか、どんな背景があるのかも大事ですし、わたしも常々言及していますが、できればCDの「どこで録音されたか」も見てほしいなと思います。そこには実に、演奏するにおいて重要な「インテリジェンス」が詰まっているからなのです。




聴いているCD
カール・フィリップエマヌエル・バッハ作曲
交響曲ハ長調Wq182-3
チェンバロ協奏曲ハ短調Wq43-4
交響曲イ長調Wq482-4
オーボエ協奏曲変ホ長調Wq165
交響曲イ短調Wq182-5
ハンス=ペーター・ヴェスターマンオーボエ
アンドレアス・シュタイアー(チェンバロ
トーマス・ヘンゲルブロック指揮
フライブルクバロック・オーケストラ
(deutsche harmonia mundi 88843021622-6)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。





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