かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:新交響楽団 第252回定期演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は令和3(2021)年1月17日に聴きに行きました、新交響楽団の第252回定期演奏会を取り上げます。

交響楽団というと、下手にN響の歴史を知っている人ならば、なぜに新交響楽団?と訝しるのではないでしょうか。確かにかつてNHK交響楽団は新交響楽団と名乗っていましたが、このオーケストラはプロではありません。アマチュアです。私としてはやく11か月振りのアマチュアオーケストラのコンサートでした。

それだけ、covid-19はすさまじいウイルスである、ということになりましょう。そして今なお、猛威を振るっています。幸い日本は死者数などは大したことはありませんが、しかし日本の医療体制の想定外のウイルスであるということは、医療従事者の方からすれば体感できることなのではないでしょうか。

そんな時に、新交響楽団さんが、スメタナの「わが祖国」を演奏する、と知ったのです。新交響楽団(以下「新響」と記述します)さんの存在はかなり前から知ってはいました。しかしなかなかほかのオケの演奏会との調整がつかず、ようやく実現できたのです、この緊急事態宣言下で・・・・・

特に、現在緊急事態宣言下だからこそ、「わが祖国」を聴く意味がある、と思っています。2020年の「プラハの春」音楽祭はcovid-19の感染拡大により中止。ですから、世界の中でもこの1年で新響さんの演奏がほぼほぼ初めてではないかということになります。

スメタナが、祖国の文化が抑圧されている状態で、その抑圧からの解放を願って歌い上げた愛国の歌。それが「わが祖国」という作品だと端的に言っていいと思いますし、もともと愛国心が強かった私にとっても、中学校の時に合唱コンクールで出会って、そして高校生の時にCDを買って聴いたときに受けた衝撃と感動は、今でも昨日のように覚えていますので、好きな作品の一つとなっています。

特に、日本では左よりも右が自国の文化をないがしろにしている状況を見るにつけ、この作品が私の中で占める割合は大きくなっています(それはスメタナが「わが祖国」を作曲した状況によく似ています)。いまだに聴けば熱いものが湧き上がってきます。

そんな中、さらに政府は対策に後手に回り、自国民の命さえないがしろにされている現状。そんな中で聴く「わが祖国」は、私の中で一つの共感として受け止めるのです。

さて、この「わが祖国」を、私はこれまでアマチュアオケで2度聴いています。府中市交響楽団、そしてラースカ・フィルハーモニー管弦楽団。この二つと比べて、今回の新響さんの演奏はずば抜けていると感じました。そもそも、新響さんは立ち上げたのが作曲家で指揮者だった故芥川也寸志。音楽はみんなのもの、というコンセプトで長い年月を紡いできた、伝統ある、そしてその中で十分な実力をつけた、日本有数のアマチュアオーケストラ、なのです。

www.shinkyo.com

それゆえか、感染対策もプロ並みでした。会場は池袋の東京芸術劇場。まず、入口で体温計測。しかも、公共交通機関で採用されているサーモグラフィ。これを選択できるアマチュア・オケは少ないと思います。

さらに、途中入場のためにあらかじめ小休憩を作っておく用意の良さ。実は私はタッチの差でヴィシェラフトが始まった数秒後に到着したため、ホワイエで待たされることに。本当は2曲目モルダウで入りたかったのですが、シャールカの前で小休憩が作られているのも感心しました。ただ、案内が「1曲目」と言っていたのに、ということで念のために休憩まで待ったので私は後半だけホールで聴いたのですが・・・・・

しかし、スピーカーから流れてくるその演奏の、なんとアマチュアらしくないことか!終始アマチュアらしいやせた音は一つもありませんでした。これなら、シャールカもホールで聴いたほうがよかったかもしれません。

それは、特に「モルダウ」を聴いていた時に、どうも音が変だと感じたのです。セミプロと言っていいだけの実力を持っているように聴こえるけれど、ヴァイオリンの音がやけに突出し、まろやかではないな、と。そんな下手なオケかなあ、と聞いていて疑問に思っていました。なぜなら、演奏はまさに最近私がプロに対して評している「説得力」に満ち溢れるものだったから、です。

全体的に、テンポとしては私が好きなスメターチェク指揮チェコ・フィルに近いのですが、そのものではなく、むしろ新響さん自身の「歌」を歌っているんです。これはホールの実際とスピーカーとは違うぞ、と想像していました。同じ会場でコンサートをしているダスビのケースと、ちょっと異なるのです(それでも、ダスビは上手なオケですけどね、情熱的ですし)。

後半、自分の席に座って「ボヘミアの森と草原より」が鳴ったとたん、あ!と思いました。このオケはホール備え付けの非常放送用程度のスピーカーでは入り切らないほどの実力なんだ、と。前半ロビーで聴きながら感じていましたが、音がホールを包み込むような演奏。朗々とオケが「鳴っている」んです。それが「ような」ではなく、包み込んで来たんです、音が!まさに後期ロマン派の作品を聴いている、と感じました。

私にとって、後半は「モルダウ」に比べれば感動が半減するのですが、いやあ、聴いているうちに泣いているんです、私、感動で。特に最終曲「ブラニーク」では本当に涙を目に浮かべ、いつ落涙してもおかしくない状況でした。

そのブラニークも結構アコーギクされていて、決して私好みではないにもかかわらず、です。指揮するは飯守泰次郎。かつてこのブログでもベートーヴェン交響曲全集で取り上げた指揮者ですが、その全集が彷彿とされました。クーベリックの演奏に近づければと冊子には団員の方が書かれていましたが、私はクーベリックというか、飯守/新響の自分たちの歌がしっかり歌われていると感じ、少なくともあのクーベリックの凱旋指揮である「プラハの春」の演奏よりも高く評価しています。

それが、決して私好みではないのに、納得させるだけの技量と表現力です。それはプロオケに対して私が評する点であり、それを日本のアマオケに対してすることになろうとは、と舌を巻いています。正直、現在維持会の会員になろうか、迷っているくらいです。もちろん、ほかにも聴きたいアマオケはあまたありますが、新響くらいに毎回聴きに行きたいから会員になりたい!と思わせたオケはプロも含めてありません。それは今回の演奏でも明らかなように、「自分たちの歌が歌える」という点にあります。

もちろん、今回飯守氏の解釈も素晴らしいのでしょうが、どんなに指揮者の解釈がよかろうとも、オケがしっかりとした実力を備えていければなかなか解釈をしっかり聴衆に伝えることは難しいわけです。それはわたしは宮前フィルの歴史を踏まえているからこそ言えることですが、宮前フィルも「一人前」になるまで、20年ほどかかっており、まだ半人前だった時の演奏のほうをたくさん聞いてきた私にとって、オケが実力をつけるということがどういう事であり、どれだけ大変かを知っています。

だからこそ、新響さんを高く評価しますし、感動で会員になろうかな、とさえ思っているのです。まあ、仕事の関係やほかのオケとの調整もありますが、できるだけこのオケは会員になってたくさん演奏を聴きたいなと思わせる、素晴らしい演奏だったと言えるでしょう。できるだけ、次の演奏会も行きたいなあと思います。その時まで維持会会員になってるや否や?こうご期待!

 


聴いて来たコンサート
交響楽団 第252回定期演奏会
べドジヒ・スメタナ作曲
連作交響詩「わが祖国」全曲
飯守泰次郎指揮
交響楽団

令和3(2021)年1月17日、東京豊島、東京芸術劇場コンサートホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。