かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ファジル・サイが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集11

今月のお買いもの、令和2(2020)年5月に購入したものをご紹介しています。シリーズで取り上げているファジル・サイが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の今回は最後の第11回目です。

第30番から第32番までの3曲は、ピアノ・ソナタというジャンルの中で、ひとつの頂点を迎えた作品達だと言ってもいい作品達ですが、その作品たちをいとおしく、かつ自在に肩ひじ張らずに表現し続けるサイのピアニズムは、少なくとも私が持っているベートーヴェンのピアノ・ソナタの全集の中でもトップクラスだと言っていいでしょう。

もちろん、音質的にもハイレゾであるということもありますが、やはり注目点は演奏であり、その表現だと思います。第32番の第2楽章はジャズのようだと形容される部分ですが、決してジャズとして弾いているわけではなく、しかしジャズ風にも聴こえつつ、もっと言えばポップス的な印象を受けつつも、そこには青空が広がり、精神の開放が歌われているかのよう。

決してクラシックという範疇から出ることなく、しかしクラシック以外の音楽と聴こえるような演奏であり、そこにはサイのバックグラウンドに一体どんな音楽ジャンルがあるんだろう?と想像してしまう、まさにかっこいいのに対話する音楽でもあります。

もう、一言で言えばあっぱれ!なんです。第1番から第32番までを聴いてきて、これはほかのピアニストのほうがいいかな、と思うような演奏が一つもないんです。そこにはサイの個性がちりばめられ、1曲で万華鏡のようですがその一つ一つの作品が全集として万華鏡のようにキラキラしています。美しいですが決して外形的でもなく、そこにはしなやかかつ強靭な精神を感じるのです。

僕も自在に弾くから、あなたはそのままでいい・・・・・そんな声が聞こえてくるかのような演奏であり、表現なのです。これはわたしにとって、勇気を与えられる演奏です。自分らしく生きていいんだ・・・・・サイにそう応援してもらえているようにすら聴こえるのです。少なくとも、スマホにはこの全集以外を入れる予定を立てていません。これで十分なんです。

もちろん、今まで聴いてきた全集の存在価値がなくなるわけではなく、時にはほかの全集も聴きたくなると思います。しかしこの全集が基礎というか、カジュアルに聴くのはこのサイのものであることはもう間違いありません。私の中では絶対のものとなりつつあります。

今まで聴いてきた演奏を廃して新しいものが私の中で置き換わる・・・・・おそらく、あまりない例だと思います。そんな私の魂を動かしたサイの才能は、もっと多くの人に聴いてほしい演奏です。

 


聴いているハイレゾ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109
ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110
ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111
ファジル・サイ(ピアノ)
(Warner Classics)

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