神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回から5回シリーズで、サティのピアノ・ソロ作品を収録したアルバムをご紹介します。
つまりは文字通り、サティのピアノ独奏曲全集であるわけなのですが、これを借りてきたのは、某恋知なる思想を振りかざす方の影響がありました。サティは恋知だ!と。
そういう「共和主義」ってなにもサティだけじゃないんだけどなあと思いつつ、私自身はサティの作品をじっくりきいた事があまりなかったんです。そのため図書館へ行ったところ、あったんです、独奏ピアノ曲の全集が。
こういうときは、一気に聴いてしまって、まずは俯瞰することだ、と今までの経験からわかっていましたから、とにかく借りまくり、リッピングしまくり、聴きまくろう、ということで借りてきたのがこの全集です。
そもそも、吉祥寺のディスクユニオンで「ソクラテス」が売っており、それを聴いて気に入った点があったためこの行動に移ったのですが、そろそろ実家から自分のアパートに実態が移りつつあり、県立図書館もそろそろだなあと思っていた矢先だったのです。ですから、こういった珍しい全集はぜひとも借りてリッピングしておきたい、と思ったのです。
まずは第1集。若いころの作品として編集されていますが、サティと言えばどこかで聴いたことがあるという作品が収録されており、それが例えばジムノペティ第1番や、グノシェンヌ第1番です。
このほかにはサラバンド、「逃げ出したくなる歌」「ゆがんだ踊り」など、実にユニークな作品が収録されており、サティワールド全開ですが、実はこれらの作品はまさに19世紀の末に書かれた作品達で、まさにウィキで言及されている通り、印象派へと連なる、音楽史的に非常に重要な作品たちなのです。
音楽で高度な比喩やお笑いを表現したこれらの作品は、まさにピアノによる創造の新しい時代を切り開いたものでもあります。私も最初は「なんじゃこりゃ」と思ったものです。それは当然のこと、私が好んで聴いていたのが、古典派の作品だったわけですから・・・・・しかも、管弦楽曲。ベートーヴェンのピアノ・ソナタすら、ほとんど聞いていない時期にサティのピアノ曲と出会ってしまったわけですから、「なんじゃこりゃ」と思うのが当然なのです。それだけ和声が異なりますから。
かといって、カンタービレもしっかりしないと作品の表情が出ないこれらの作品は、実に繊細でもあります。その世界の広がりたるや、沃野が確実に広がっていることに、このアルバムを聴きますと感じます。
演奏するのは、すべてジャン=イヴ・ティボーデ。そのタッチの自在さは、見事な「なんじゃこりゃ」な世界を浮かび上がらせ、そのうえでしっかりと世界を構築するんです。とても分かりやすいのに、聴けば聴くほどその味わい深さを感じます。昔はサティの音楽的特徴である「音の長さ」に多少僻僻していた時期があったんですが、今ではその長さに酔ってしまいます。素晴らしい・・・・・少なくとも、このアルバムがあれば私には酒は要りません。十分酔えますので、それ以上の「酔い」は要りません。
愉悦、諧謔、悲しみ、素朴・・・・・・いろんな表情がある各曲が、ひとつのアルバムとなって私たちに迫ってくるとき、一体何が去来するのか?そのワクワク感がたまらない演奏です。
聴いている音源
エリック・サティ作曲
3つのサラバンド(1887)
①サラバンド第1番
②サラバンド第2番
③サラバンド第3番
3つのジムノペディ(1888)
④ジムノペディ第1番
⑤ジムノペディ第2番
⑥ジムノペディ第3番
⑦グノシェンヌ第5番
3つのグノシェンヌ
⑧グノシェンヌ第1番
⑨グノシェンヌ第2番
⑩グノシェンヌ第3番
⑪グノシェンヌ第4番(1891)
⑫グノシェンヌ第6番(1897)
⑬グノシェンヌ第7番
⑭舞踏のための小序曲(1897)
冷たい小品
⑮逃げ出したくなる歌Ⅰ
逃げ出したくなる歌Ⅱ
逃げ出したくなる歌Ⅲ
⑯ゆがんだ踊りⅠ
ゆがんだ踊りⅡ
ゆがんだ踊りⅢ
⑰夢見る魚(1901)
⑱アンゴラの牛(1904)
ジャン=イヴ・ティボーデ(ピアノ)
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。