かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ピアノ協奏曲 野田暉行

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回は野田暉行の作品集を取り上げます。タイトルは「ピアノ協奏曲」となっていますが、ピアノ協奏曲を含め、野田暉行の作品を紹介するアルバムとなっています。

野田暉行は、現代日本の作曲家です。20世紀音楽から現代音楽までを幅広く作曲しています。幸いなことに、野田氏に関してはオフィシャルサイトが存在し、どの作品が誰の委嘱によりいつ書かれいつ初演されたかまで細かくデータ化されています。

www.teruyuki-noda-officeoversea.com

とりあえず、参照しやすいように作品の紹介トップのURLを張り付けておきましたが、ほかのページには来歴も載っているのでぜひとも参照していただけたらと思います。ウィキには様々な弟子の名前も出ていますがこのオフィシャルサイトではその弟子たちの名前は確認できませんでした。

さて、どんな音楽なのかと言えば、先日ご紹介したヴェーベルンをさらに洗練させたような作風なんです。つまりは調性無視ということになりますが、とはいえ、彼は社歌や校歌も書いていますから調性を常に無視するというわけではありません。ただ、社歌や校歌以外では、自分が書きたいものだろうが委嘱だろうが、基本的に調性は無視されます。

まずはタイトルにもなっているピアノ協奏曲。1974年にかかれましたが、初演まではちょっと時間がかかり1997年にNHK・FMで、そしてライヴではその翌年にNHKホールででした。時間がかかった理由まではつまびらかになっていませんが、CDの情報と照らし合わせると、録音は1977年になされており(それが今回ご紹介する録音)、その放送がなされたのが1997年。実際にコンサートピースに乗ったのが1998年だったと想像されます。

このケースはクラシック音楽としては珍しいなあと思います。サイトではNHKの委嘱となっていますから、そもそもはNHKの番組あるいはイベントのために委嘱されたと考えるのが普通でしょう。そのために録音されたが、実際に放送で使われたのはそれから20年後だったということだと思います。それなら、十分ありうる話です。

www.teruyuki-noda-officeoversea.com

2曲目はピアノと打楽器を使った「エクローグ」。牧歌というにはかなーり不思議な世界が広がっており、野田氏の音楽にぶれがないなと思います。これは委嘱作ではなく、自分自身の表現として作曲したようで、1970年に成立、初演も同じ年に行われていることから、自身の作品を発表する機会のために書かれた作品だといえるでしょう。

www.teruyuki-noda-officeoversea.com

3曲目と4曲目はピアノ曲。「3つの展開」は1969年の作品、「オードカプリシャス」は1986年の作品と、それぞれ作曲時期は異なりますが、いずれにしても、不協和音を多用し、その和声を多様な表現として使うという様式は変っていません。強いて違いがあるとすれば、むしろ後年の作品である「オード・カプリシャス」のほうが生命力があります。どちらも委嘱作で「3つの展開」はクラウンレコードの、「オード・カプリシャス」は日本国際音楽コンクールの課題曲の、です。

www.teruyuki-noda-officeoversea.com

5曲目~7曲目は、異なる作品のようで実は、「朗読と7重奏のための「青い部屋」」という一つの作品。野田氏のサイトを見て初めて分かりました。CDにはそのような記載がなかったもので・・・・・確か、借りてきたCDは野田氏の作品を幅広く録音しているカメラータだったと思いますが、それならそういった記述はあった方がいいと思うのですが、おそらく、一つなんだけど別みたいな位置づけなのではと思っています。作曲年が「セレナードⅠ」が1979年、ほかの2曲が1980年です。それからしても、一つの作品とみてもいいし、一つのシリーズとしてみてもいい作品群なのではと思います。

演奏は複数ソリストや団体がかかわっていますが、特に室内楽ピアノ曲においてその生命力が顕著。現代音楽あるいは20世紀音楽とは、これほどまでに生命力があったのか!と気が付かされます。第1曲目のピアノ協奏曲は尾高忠明指揮N響ですが、これもまた単に楽譜をなぞるのではなく、楽譜という記号から宇宙が形成されており、意外にもN響の水準の高さを物語るものだと思います。その意味ではやはりN響の演奏があまりよろしくないときは、指揮者の解釈を疑うほうがいいだろうと思います。N響の団員たちだって神様ではないし指揮者の奴隷でもありません。何も言わなくても、不満は演奏へと表れるもんです。そんな不満の要素がこの演奏からは見受けられないのです。それは尾高氏の解釈がN響の団員たちとシンクロし、ともに作り上げる喜びに満ちているからに相違ありません。

こういった日本人の演奏を、N響を批判する人たちは意外と聴いていないことが多いのですよねえ。たいてい後期ロマン派で判断しているんです。けれどもその基準、本当に正しいのかって思うんです。特に現代音楽は構成要素が複雑に絡み合うものが多いため、一つの知識だけで判断するのは極めて危険だと思うのですが・・・・・

 


聴いている音源
野田暉行作曲
①ピアノ協奏曲
エクローグ
③ピアノのための「3つの展開」
④ピアノのための「オードカプリシャス」
⑤セレナードⅠ
⑥ポエムⅠ
⑦ポエムⅡ
神谷郁代(ピアノ、①)
ブルーノ・カニーノ(ピアノ、③)
中川昌三(フルート、②)
吉原すみれ(打楽器、②)
蛭多令子(ピアノ、④)
尾高忠明指揮(①)
NHK交響楽団(①)
小松一彦指揮(⑤~⑦)
アンサンブル・ヴァン・ドリアン(⑤~⑦)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。