かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:清水和音が弾く「展覧会の絵」

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回は清水和音が弾く「展覧会の絵」を収録したアルバムをご紹介します。

ムソルグスキーの「展覧会の絵」は、最近では原曲のピアノ版もよく演奏されるようになりました。そして最近ではさらに「オリジナル版(つまり、原典版)」が演奏されることが多くなりました。

この清水氏が弾いているのも、その「原典版」。では、今までとは何が違うのか?いろいろな説明があり、和声だとかいう解説もあります。が・・・・・

最もわかりやすいのは、「プロムナードが1曲増えている」ということ、です。サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレとリモージュの市場の間にプロムナードが入っているのです。

これが今までの演奏であれば、その前の「卵の殻をつけたひなどりの踊り」から最後までが一続きとなり、一気に駆け抜けていくことになります。それはそれで緊張感があるので素晴らしいのですが、じつはムソルグスキーは「リモージュの市場」から続けてと指示をしているというのです。

ですから、この演奏でもそうなっています。どうやらその理由は、ムソルグスキーの反ユダヤ思想から来ているようですが・・・・・それを語りますと長くなりますから、ここではあまり触れないで置きますが、「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ」は、ユダヤ人への批判であり、それはムソルグスキーも共感していたゆえに、ひと呼吸おくために、プロムナードを挿入したと考えるのが自然かと思います。

実は、ムソルグスキーアルコール依存症であったと言います。となると、その根底には感情面が渦巻いているのが通例なのです。その感情をどうにかしようとして酒をのむわけなんですから。けれども、飲んでも飲んでも収まらない感情の起伏。そして飲んではいけないとわかっていても酒がやめられなくなる・・・・・たいてい幼少期に受けた心の傷が原因なのですが、ロシアの地主階級の出身という彼の出自から想像しますと、親との関係がその根底にあったのではないかと想像されるのです。

モデスト・ムソルグスキー - Wikipedia

そのうえ、収奪される自分の荘園・・・・・そんな現状への不全感が感情の起伏となり、その矛先がユダヤ人へと向かっていったとすれば、なぜここでプロムナードをはさむのかは、臨床心理学的アプローチをする対人援助職に就いていた経験のある私なら自然と理解できるのです。その感情の起伏のまま、次の楽し気な音楽へと移れるわけがない・・・・・確かにそうだと。その「依存症者」としてのムソルグスキーを、最も最初に校訂した盟友、リムスキー=コルサコフはわからなかったのだと想像できます。そのため、音楽的には素晴らしい展開だが、ふと立ち止まって見れば心理的にはおかしい曲展開になったのだと結論付けられます。

それ以外にも、細かい点で今までの「リムスキー=コルサコフ版」とは異なる部分も散見されます。和声よりはむしろ最後の「キエフの大門」の最後のリズムとかが最もわかりやすい例ではないでしょうか。清水氏のピアノはひたすら作品の内面を浮かび上がらせるために、端正で生命力のある演奏を心がけており、ともすれば外形的な部分もありますがむしろだからこそ内面が浮かび上がるというものになっています。粗野だけれども、秘められた情熱がほとばしる演奏・・・・・これはいいですね。ムソルグスキーが曲に託した「自らの内面」が自然と浮かび上がるようで。私自身も「そっかー、モデストはそんなところで苦しんでいたんだね」とわかる気すらしてくるのです。

その代弁者としての、ピアニスト清水和音。続くムソルグスキーの小品3つでは、感情いっぱいにカンタービレし、私などは落涙すらするのですが・・・・・その「苦しみと悲しみを代弁する」という演奏は、人種なんて関係ない、人間の普遍的な感情に対する共感を呼び起こすのです。

 


聴いている音源
モデスト・ムソルグスキー作曲
組曲展覧会の絵
夢想

瞑想
清水和音(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。