東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリを御紹介しています。今回は、ムソルグスキーの「展覧会の絵」原曲版をご紹介します。
え、またそんなベタな、と言う方もいらっしゃるかと思いますが、そもそも、わたしは神奈川県立図書館へ通うようになった時、エントリで「有名曲は図書館、それ以外はCD」という方針を掲げているかと思います。それは現在東京の図書館で借りるようになっても変わりありません。
ですから、借りてきたのです。「展覧会の絵」の原曲版を。
何度も、原曲原曲って言ってますけど、ムソルグスキーの「展覧会の絵」にいくつも版があるんですかって言う読者の方もいらっしゃるかと思います。おっしゃる通り、いくつかはありますが、それほど有名ではありません。
しかし、私たちって、「展覧会の絵」を管弦楽作品だって思いこんでいませんか?ラヴェルの編曲が見事なので、そう思い込んでしまいますが、そもそもはピアノ作品です。
展覧会の絵
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%95%E8%A6%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E7%B5%B5
ここで、私が「原曲版」と言っているのは、そもそものピアノ作品を指しています。それも、ムソルグスキー原典版。
ウィキにある通り、実は幾つかの版があり、実はラヴェルの管弦楽編曲もそのうちの一つに数えられます。日本では重厚長大こそ善という考え方が強いせいか、ラヴェルの管弦楽編曲版こそ「展覧会の絵」というイメージが強いんですが、ここはさすがの文科省も、「原曲はピアノ曲」とどの教科書、副読本にも書いてあるんです。
ですから、私もそもそもはピアノ作品だと言うことは知っていました。しかし、知った当時、ちょうど高校生くらいの時は、実はピアノ作品には殆ど興味がなかったんです。ですから知っていても食指が伸びることはなかったのです。しかし、年月がたち、私も大人になり、さらに瀬川玄氏の「クラシック音楽道場」や、mixiのピアノ作品好きのマイミクさんなどから薫陶を受けて、いや、原曲を聴いてみよう!と思い立ったのです。そんな時に小金井市立図書館の棚で見つけたのがこのアルバムです。演奏はウゴルスキ。ロシアものでは定評のあるピアニストです。
アナトール・ウゴルスキ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AD
ウゴルスキのピアノは、表現力がとても豊かで、この原曲版を演奏するのに適していると思います。なぜなら、この原曲版は、ラヴェルの管弦楽版と比べて音符が異なるのですけれど、聴いているとムソルグスキーが機会があれば管弦楽作品へと編曲するつもりで作曲したのかと思わんばかりだからです。
ウィキで注目の記述は、実はラヴェルの編曲の項目にあります。ラヴェルは、そもそもが当時リムスキー=コルサコフによる改変があるのを知っていたため、本当は直筆譜を手に入れたうえで編曲したかったのですが、結局できなくてリムスキーーコルサコフ版をもとに編曲したのです。そのため、明らかに原曲と異なるのが、最後の「キエフの大門」の、しかも最後の最後なのです。
ラヴェル編曲を聴き慣れていると、あれ?もうちょっとここで盛り上がるはずなんだけど・・・・・って初めは面喰います。しかし何度も聴いていると、なるほど、これがムソルグスキーが言いたいことなんだなって気が付くのです。それほど盛り上がることはないんですが、しかしとても美しく、ふわっと終わるんです。
何故か?実は、「キエフの大門」の元々の絵画作品は、門が一つぽつんとたっているだけ、だからなんです。
「展覧会の絵」 の原画と標題
http://www.geocities.jp/qqbjj485/XPX/X-k-pic.htm
ですから、実は第9曲の「鶏の足の上の小屋」が終わって、最終曲「キエフの大門」が始まる時、ラヴェルの管弦楽版だと華やかに始まりますが、それとは一転、とても静かに始まるんです。それはウゴルスキの解釈なのかもしれませんが、ウゴルスキの演奏を聴いていると、それ以外のffやppはオケ版とそれほど変わらないんです。唯一明らかに異なるのが、「キエフの大門」だけなんです。ではなぜそこだけ違うのかと言えば、上記エントリで「キエフの大門」の絵を見て頂ければ明らかなんです。
実は、原画がインターネットにアップされていることは、mixiの「同時鑑賞会」でこのピアノ原曲版が取り上げられた時に、私が検索して参加者にご紹介したという経緯があって知ったのです。ですから、できれば楽譜を見ればいいのですが、なくてもこの原画を見れば、なぜピアノだとそうなのかが、手に取るようにわかるんです。
その意味では、この「展覧会の絵」は音楽史上、非常に意味のある作品だと言えるでしょう。なぜなら、ピアノ原曲版を聴けば、実はムソルグスキーが「展覧会の絵」を作曲した時、ドビュッシーと同様に象徴主義であったことが分かるからです。むしろ、ドビュッシーの象徴主義は、ムソルグスキーから影響を受けたとも言えなくもないかもしれません。「展覧会の絵」が作曲され、世に出た時、ドビュッシーは14歳でした。ちょうどパリ音楽院に入学して2年たったころです。音楽院に入れば、情報量は飛躍的に増えます。当然、ムソルグスキーという作曲家が何かへんてこな作品を発表したみたいだぞ、なんて情報が入るのは当然であると言えるでしょう。その上で、1880年、チャイコフスキーのパトロンであったフォン・メック夫人に帯同してロシアへ旅行へ行き、そこでロシア5人組に影響を受けているからです。
クロード・ドビュッシー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC
「展覧会の絵」をいつ知ったのか。学生時代なのかそれともフォン・メック夫人に帯同した時なのかはわかりません。そもそも、ラヴェルが編曲を引き受けたくらいですから、フランスにおいて影響力があった作品だと言えるでしょう。ムソルグスキー自身はただ、ロシアの新しい音楽を創造したいという思いだけだったでしょうが、それが意外にも、フランスにおいて新たな音楽運動を生んでいくきっかけになったことは間違いないでしょう。ドビュッシーがチャレンジした新たな和声は、その後「フランス六人組」によって「新古典主義音楽」として花開きますし、一方でラヴェルを代表とする印象派へと受け継がれていくのですから。
ですから、私の音楽史観としては、ラヴェルの管弦楽版よりも、この原曲版のほうがはるかに音楽的歴史的価値が高いと言えるでしょう。リヒテルがピアノ原曲版をソフィアで演奏したのも、そういった表れでしょうし、このアルバムのウゴルスキも、自在でのびのびした演奏から、このピアノ原曲に誇りを持って接していることが窺えます。
まるで、ピアノが歌い、絵を描いているかのようなのです。管弦楽版より色彩感は劣るとはいえ、作品が持つヘンテコワールド感が見事に現出されており、それが一つの美として呈示されているのです。何という幸せ!
ウゴルスキの実力が分かるのが、カップリングの「ペトルーシュカからの3楽章」です。ストラヴィンスキー自身による、彼作曲のバレエからの編曲ですが、生命力と野性味が見事に同居し、芸術へと昇華しているのが、みごとなピアノで表現されています。
ペトルーシュカからの3楽章
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%AB%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE3%E6%A5%BD%E7%AB%A0
その見事で華やかなピアノが、「展覧会の絵」の「キエフの大門」では、静かに始まるんです。なら、何かあるはずと思うのが普通です。今ではむしろ、わたしは管弦楽版よりもピアノ原曲版のほうが好きになりました。それはウゴルスキのみごとなピアノも、一役買っているのは間違いないと思います。
聴いている音源
モデスト・ムソルグスキー作曲
組曲「展覧会の絵」
イゴール・ストラヴィンスキー作曲
《ペトルーシュカ》からの3楽章
アナトール・ウゴルスキ(ピアノ)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
このブログは「にほんブログ村」に参加しています。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村