かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:ドビュッシー 管弦楽作品全集4

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリを御紹介しています。4回のシリーズでご紹介してきました、ドビュッシー管弦楽作品全集も、今回で第4回目の最終回です。

その第4集はと言えば、そのほとんどが編曲もので占められていると言う事です。元来の管弦楽作品は1曲目の「ピアノと管弦楽のための幻想曲」で、しかもこの作品は管弦楽と言うよりは協奏曲というカテゴリに区分けされている作品です。

ピアノと管弦楽のための幻想曲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%81%A8%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%B9%BB%E6%83%B3%E6%9B%B2

普通幻想曲と言えば、1楽章制のピアノ協奏曲のことを指すことが多いんですが、この作品では2楽章であり、実質的には3楽章となる作品となっています。ただそれは、ドビュッシーが新しい音楽を創造しようとしていたことが、ローマ留学時代からだったことを意味すると言う点で、わたしはとてもドビュッシーらしい作品だと思っています。

大幅に改正しようというのも、実力がついてもっといいものにしていきたい、理想通りにしたいという意思の表れでしょう。

それは、ウィキにも挙げられている、以下の言葉によく表れています。

「かなり前から、「幻想曲」を大幅に書き変えようと思っていました。私は、ピアノをオーケストラと共に用いるやり方を変えることにしました。(中略)でないと、二つの個性の馬鹿げた個性の競争になってしまいますから

—1909年8月、ヴァレーズに宛てて」

一番重要なのは、「でないと、二つの個性の馬鹿げた個性の競争になってしまいますから」という点なのです。ドビュッシーと言う人は、フランスバロックに範をとった人であることは、意外と知られていません。例えばラモーとかです。それはピアノ曲をよく聴いているひとであればご存じだと思うのですが、それは或る意味アンチ後期ロマン派であるわけなのです。ドビュッシー象徴主義も、そして後半生は少しの印象派というのは、アンチ後期ロマン派という側面があるからこそであるということを念頭に置く必要があるかと思います。

二つの個性のバカげた個性の競争にならず、それがアウフヘーベンするには、どうすればよいのか・・・・・その答えの一つが、今残されている形のピアノと管弦楽のための幻想曲、と言うわけです。

そこには、古典的な様式と、新しい和声が同居しています。もっと言えば、モーツァルトのようなピアノとオケとの関係性の上で、新しい和声が使われていると言う点なのです。むしろ、その点を強調したいがゆえに、第1曲に持ってこられていると言えるでしょう。

その視点は、続く2曲目以降の編曲ものでも変わりありません。クラリネット管弦楽のための狂詩曲第1番とアルト・サキソフォン管弦楽のための狂詩曲はそもそも別に作品があったものですが、一つの協奏曲として残されています。この二つも、ピアノと管弦楽のための幻想曲と同じ精神が宿っています。

4曲目の「レントよりも遅く」は有名なピアノ曲が原曲ですが、ツィンバロンを使っているのが味な点ですし、印象派あるいは象徴主義というドビュッシーの音楽が持つ側面をよく表わしているように思います。最後二つの「カンマ」「スティリア風タランテラ」も同様で、特に最後の「スティリア風タランテラ」jは編曲がラヴェルなのですが、印象派的なものがなく、象徴主義というドビュッシーが描いた理想の音楽が、ラヴェルならではの絶妙なオーケストレーションで表現されています。さすがはラヴェルだと言えます。

ある意味、このような管弦楽作品が、ドビュッシーの音楽を印象派だと間違わせる原因だと思うんですが、マルティノンがオケを存分にならせて演奏させますと、不思議とん?印象派なのか?ドビュッシーは?と考えさせらる演奏ばかりなのです。マルティノンが指揮していますし、オケはフランス国立放送管なので、豊潤な色彩のアンサンブルになりますので、印象派のように感じるのかもしれませんが、良く聴けば、あれ?って思うような作品がじつはずらっと並んでいるんです。そこにマルティノンや編集者の意図が見え隠れするように思えてならないんです。

皆さん、本当のドビュッシーを、何処まで知っていますか?と・・・・・・そんな帯を、映画のようにつけると、もしかするとクラシックCDの売り上げは増えるかもしれません。実際、映画はそんな言葉が付いていたとしても、受け手の視聴者たちに判断を委ねています。クラシックも、それでいいような気はするんですけれど・・・・・いま一度、クラシック音楽のCDやハイレゾにたずさわる人たちは、考えてもいいかもしれません。マルティノンが演奏をして語っていることは、たくさんあると思います。それがあまりにも多すぎて、紙面では割愛せざるものも多いんですが、こう聴いてくると、強迫的にナクソスのを買わずに、こうやってマルティノンのを借りてきたほうがよかったなって思います。




聴いている音源
クロード・ドビュッシー作曲
ピアノと管弦楽のための幻想曲
クラリネット管弦楽のための狂詩曲第1番
アルト・サキソフォン管弦楽のための狂詩曲
レントより遅く
舞台音楽「カンマ」
スティリア風タランテラ(ラヴェル編)
アルド・チッコリーニ(ピアノ)
ギイ・ダンカン(クラリネット
ジャン=マリー・ロンテックス(サキソフォン
ジョン・リーチ(シンバル)
ファビエンヌ・ブーリィ(ピアノ)
ジャン・マルティノン指揮
フランス国立放送管弦楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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