かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:ドビュッシー 管弦楽作品全集3

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリを御紹介しています。シリーズでお届けしている、マルティノン指揮フランス国立放送管によるドビュッシー管弦楽作品全集ですが、今回はその第3集です。

この第3集では、その殆どが初めは別の楽器のための作品ですが、管弦楽作品としても親しまれてきた作品が収録されています。4曲収録されているうち、純然たる管弦楽作品は「神聖な舞曲と世俗的舞曲〜ハープと弦楽合奏のための「舞曲」」だけです。

その他はむしろ、ピアノをやっている人にとっては垂涎の作品ばかりが並びます。「おもちゃ箱」「子供の領分」などは、まさにピアノ作品としてのほうがはるかに有名な作品です。この二つに関しては以前ピアノ作品としてこのブログでもご紹介しているものです。

で、実は3つのいわゆる「編曲もの」も、ドビュッシー自身がオーケストレーションしたのは「おもちゃ箱」だけで、「子供の領分」と「小組曲」はカプレ(キャプレ)の手による編曲なのです。ドビュッシー自身が編曲を手掛けた「おもちゃ箱」ですら、途中でドビュッシーが死去したため、完成させたのはキャプレです。

おもちゃ箱 (ドビュッシー)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%82%82%E3%81%A1%E3%82%83%E7%AE%B1_(%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC)

子供の領分
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%AE%E9%A0%98%E5%88%86

神聖な舞曲と世俗的な舞曲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%81%AA%E8%88%9E%E6%9B%B2%E3%81%A8%E4%B8%96%E4%BF%97%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%88%9E%E6%9B%B2

組曲 (ドビュッシー)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%B5%84%E6%9B%B2_(%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC)

つまり、この4曲の中で、ドビュッシー自身がオーケストレーションして完成させたのは、「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」だけ、と言う事なんです。では、なんでこんな編集をしたのか、です。

実は不思議なことに、このアルバムを全曲聴きますと、そのオーケストレーションが一連つながっているように聴こえるんです。なんでこんなことになるのだろうって思いますよね?そのためには、キャプレという人がどんな人だったのかを、紐解かなくてはなりません。

アンドレ・カプレ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%97%E3%83%AC

このウィキの記述によれば、つまりは、モーツァルトジュスマイヤーとの関係に似ているわけなんです。カプレはそれだけ、ドビュッシーの和声に理解を示した人だった、と言うことなわけです。だからこそ、それはドビュッシーが目指した和声とは完全には言えないものの、なぜか不自然さが見られないと言うことになる訳なんです。

むしろ、この編集は、ドビュッシーとカプレの関係性を中心にしていると言えるでしょう。恐らく、フランス、或は欧州の人であるならば、ああ、二人の友情なんだなと判るのではないかと思うんですが、日本ではあまりそこを言う人がいないんですよね。ドビュッシーほど、個性が強いため友人が離れて行った人はいないと思うのですが・・・・・

そんななか、まさに第九の歌詞のような友人として、カプレはドビュッシーと関係性を持っていた、と言う事にもなるのかもしれません。恐らく、ドビュッシーがカプレが晩年毒ガスによって胸膜炎になったことは知っていたはずです。「おもちゃ箱」のどこか終わったような終わらないようなフィナーレは、第1次大戦に従軍したカプレが頭にあって、それを娘エマにつたえたくてだったのかもしれません。

となれば、「おもちゃ箱」という作品は、フランスが如何に自由な国家であるかと言うことを、全世界に示したものであると言えるでしょうし、それを端緒として、フランスという国の素晴らしさを宣伝する意味合いも持っている編集だと言えるでしょう。日本でこのような反戦的な作品が、戦争が勃発したとして書けますか?与謝野晶子の「君死に給うことなかれ」ぐらいでしょう。それが今よりも自由がない時代に書かれたのはひとえに、彼女も武士的な部分があったからこそでしょう。そんな武士もいなくなった現在日本で、戦争が始まって反戦的な作品を書く人がいるでしょうか。

戦争は嫌だという意思表示ができる国、それがフランスであるわけです。それが共和制だという自負があるわけです。だからこそ、兵士はその自由を掲げる国を守るために、命を懸けて戦うわけです。日本で、そんな反対の人も大切にする国だから守るんだと言う人が、右側にどれだけいるのでしょうか。ドビュッシーの作品は、さすが共和制の国の作品という部分が詰まっているように思いますし、その作曲家の想いを大切にした友人であるからこその名編曲だと言えるでしょう。

だからこそなのでしょう、オケは所々アインザッツがやけに強い部分があります。勿論、そこは強くする部分だと思うんですが、例えば、「おもちゃ箱」などは原曲のピアノと聴き比べれば、クライマックスはやけに強めです。でもそれは、オケの団員の想いがそこで頂点に達しているからでしょうし、それを判っているからマルティノンもそのままにしていると言えるでしょう。こういう良い感情の流れは大切にするのがマルティノンの指揮だと思いますが、フランスものも実はドイツものと同じように精神性を持っている作品なんだと言うことを、エスプリを十分聴かせたうえで提示するなんざあ、さすが「粋な国」だって思います。




聴いている音源
クロード・ドビュッシー作曲
舞踊音楽「おもちゃ箱」
子供の領分(キャプレ編)
神聖な舞曲と世俗的舞曲〜ハープと弦楽合奏のための「舞曲」
組曲
マリー=クレール・ジャメ(ハープ)
ジャン・マルティノン指揮
フランス国立放送局管弦楽団

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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