かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:知られざるドビュッシー

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ドビュッシーの作品をご紹介していますが、今回は知られざるドビュッシーというアルバムをご紹介します。

ピアニストは実は前回と同じ中井正子女史。シリーズになっているようですが、この時は二つしか借りませんでした。

この音源は、それまで出てきていない曲が殆どとなっています。既出の作品は一曲目の「忘れられた映像」だけで、他は初めてのものとなっています。

そのうち、異稿が半分を占め、ドビュッシーの作曲の変遷を見ることができるよう工夫されているんですが、私は借りた時には、取りあえず聴いておこうといった感じでした。なぜなら、初めて聴く作品だったので・・・・・・

ピアノを弾く人にとってはとても素晴らしい内容になっていますが、聴き手にとっては、むしろ参考程度に聴いておくアルバムです。だからと言って聴くのは決して無駄ではなく、プロが作品にどのように興味を持ち、その結果を私たちに「自分の解釈」という演奏で持って、フィードバックしてくれているのです。後はどう受け取るかは、私たちにゆだねられています。

その、どう受け取るのかがとても楽しい内容で、後から現在の稿を聴いてみたりすると、あ、ここはもっとすっきりしているな、ここはもっと複雑になっているなど、楽しい発見がいくつもあるのですから、こういった内容はとても助かります。

それよりも、聴衆としての私が興味を持ったのは、現在稿を収録している一つである「おもちゃ箱」です。

おもちゃ箱 (ドビュッシー)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%82%82%E3%81%A1%E3%82%83%E7%AE%B1_(%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC)

そもそもは、ドビュッシーの娘エンマ(シュシュ)のためにと思い立ち着手した作品で、バレエ作品です。そう、ピアノ独奏曲ではないんです。後にオケ版へと編曲されますが、それは友人の手によって。ドビュッシー自身はオケ版へ編曲する予定でしたが、病に倒れ、亡くなります。

今日では、その友人であるキャプレによる版、つまりオケ版で演奏されることが多い作品ですが、中井女史は敢えてそもそものピアノ版を持ってきたのです。「月の光の降り注ぐ謁見のテラス」の直筆稿による演奏など、このアルバムは徹底的にドビュッシーの作品の「オリジナル」や「現行とは異なる」という点に焦点を当てたものになっていますが、この「おもちゃ箱」もその編集方針に沿ったものとなっています。

ただ、バレエ、もっと広く言えば舞踏作品は、オケばかりが伴奏とは限りませんし、特にそれは近代になって顕著です。その延長線上にあるのが、じつはフィギュアスケートです。あれは舞曲を使った舞踏作品の発表の場を、スケートリンクへと移したものと解釈できるわけです。ですから、点数をつける競技でありながらも、音楽が必ず付くわけで、選手たちはオケ作品もピアノ作品も使います。それは近代の舞曲が、オケだけはなくピアノ伴奏もあることからの影響なのです。

ドビュッシーはそれを踏まえて、ゆくゆくはオケで演奏させたかったのですが、まずはピアノ版で完成させたわけです。この演奏はその音楽史を踏まえて、ピアノ版で演奏しているわけなのですね。

となると、私としては、ピアノ版で踊ってほしいよね、って点に興味があります。この作品はオケ版で演奏されることが多い作品ですが、ドビュッシーが生きた時代はジャポニズムも流行した時代です。浄瑠璃のような、シンプルな演奏で人形を使う芸術があることがヨーロッパに知られた時代です。バレエと言えばオケ、という規定概念が覆るというか、抑々ヨーロッパにおいても、シンプルな伴奏の時代が有ったことを、例えば日本の浄瑠璃ですとか、あるいはジャワのガムランなどが、ドビュッシーに教えてくれたわけです。それはおそらく、フランス・バロックへのリスペクトへと繋がって行ったのではと思います。

ここに収録された作品の内、特に私がおもちゃ箱に興味をそそられたのは、作品自身が持つ経緯と構成によるものです。このおもちゃ箱は、ドビュッシー晩年の、円熟した作風を色濃く反映している作品ですし、私としては新古典主義音楽の影響すら見える作品だと考えます。自作、或は他者の作品からの引用が多い点もバロックの影響を感じますし、それはいずれショスタコーヴィチへと引き継がれていきます。

その点で、このアルバムに収録された作品はどれも重要な作品であり、聴きどころ満載だと言えます。演奏もアコーギクがとても気持ちがよく、なんらわざとらしくなく粋なのが素敵です。激しさがあまり見られない作品ばかりですが、かといって技術的には高いものが要求されており、近代ピアノ作品らしさがみなぎっています。その作品たちを、タッチなど高い技術で、壮麗、華麗、粋といったものをしっかりと表現し、非日常が日常に溶けていくような、しっとりとした時間を、聴くことで過ごすことができる演奏です。

日本人ピアニストだから・・・・・え、本当にダメ、ですか?聴いてからでも、評価は遅くないですよ。




聴いている音源
クロード・ドビュッシー作曲
忘れられた映像
月の光の降り注ぐ謁見のテラス(自筆稿)
6つの古代碑銘(ピアノ独奏版)
組み合わされたアルペジオのために(異稿
炭火の暖かさに照らし出された夕べ
「おもちゃ箱」アンドレ・エレによる子供のためのバレエ
中井正子(ピアノ、語り)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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