かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ドビュッシー 映像、版画、ピアノのために他

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ドビュッシーの作品群を取り上げていますが、今回はその第3回目です。

今回ご紹介する音源には、映像、わすれられた映像、版画、ピアノのためにの4作品が収録されています。これらの作品もドビュッシーを特徴づける作品と言えましょう。

第1曲と第2曲の映像第1番、第2番は、ドビュッシー印象派と言われるゆえんの作品だと言えます。実際には象徴主義的意味合いが強いんですが、和声は印象派的な色彩が強い作品です。

ドビュッシー : 映像 第1集
Debussy, Claude Achille : Images 1
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/706/

ドビュッシー : 映像 第2集
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/698/

映像 (ドビュッシー)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A0%E5%83%8F_(%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC)

ピティナとウィキとでは多少説明が異なるのがお分かりでしょうか。ピティナ印象派という視点で説明をしていますが、ウィキは象徴主義も入っていることをにおわせる説明になっています。その点で私は映像に関しましては、ウィキのほうがより親切であろうと思います。

そもそも、映像という曲名の所以は、作曲の題材が動画的なものであることから来ています。第2番ではさらに絵画的な点も加味され、実に意欲的な作品なのです。

その上で、印象派的な色彩をまとわせることで、そのテーマに焦点が当たり、演奏者や聴き手各々が、頭の中で想像することを求められます。それは音楽という情報の出し手と受け手の対話、そして自分自身との対話を意味するのです。映像という作品はそれだけ実に深い作品です。

その「音楽的深さ」をしっかりと説明している点で、ウィキの説明は優れているのです。あまりにも印象派という切り口だと、受け取れるメッセージが狭まってしまわないかな〜って思います。

第3曲目は、「忘れられた映像」。映像を作曲する以前にすでに、映像に匹敵する作品をドビュッシーは作曲していたのです。まるでテレビを見ているようなその音楽はすでに、完成していると言ってもいいくらいです。これも説明はウィキのほうが優れています。ピティナとしては珍しい。

忘れられた映像 (Images oubliées)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A0%E5%83%8F_(%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC)#.E5.BF.98.E3.82.8C.E3.82.89.E3.82.8C.E3.81.9F.E6.98.A0.E5.83.8F_.28Images_oubli.C3.A9es.29

ドビュッシー : 忘れられた映像
Debussy, Claude Achille : Images oubliées
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/3103/

ピアノを弾くときの具体的な参考という点では、さすがピティナだと思うんですが、印象派とくくってしまいかねないのがやや評価が落ちるんですよねえ。こういった時は二つには当たっておいたほうがいいと思います。

4曲目が「版画」。これはまさしく印象派というべき作品だと思います。その点でドビュッシーの作品の中では多少異色だと言えますが、これもインスピレーションを与えたのは音楽であったり、絵画だったりするので、まさしくドビュッシーらしい作品だと言えるでしょう。音楽という動きがあるもので「版画」として表現しようと言う、これも意欲作です。

ドビュッシー : 版画
Debussy, Claude Achille : Estampes
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/714/

版画 (ドビュッシー)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%88%E7%94%BB_(%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC)

最後に収録されている「ピアノのために」は、ドビュッシーが実は鍵盤作品作曲家達をしっかりとリスペクトしているという証拠と言うべき作品です。その上で、音楽はドビュッシーが目指した和声が使われています。

ドビュッシー : ピアノのために
Debussy, Claude Achille : Pour le piano
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/3106/

演奏するルヴィエも名ピアニストです。全集がない分、こういった名ピアニストたちの演奏を聴き比べる機会が与えられたことは、とてもよかったと思います。ルヴィエは印象派的なアプローチで全体的にゆったりとしたテンポを採用していますが、それでも生命力にあふれ、各々の作品が実はとても人間的であるということを示しています。ここに収録されている作品は全て、多少俯瞰と言いますか、遠くからアングルを引いて描かれたような作品ばかりですが、その「俯瞰」がしっかりと描かれておりながらも、どこかに人間の眼が存在していることが受け取れるのです。

それはピアノだから当たり前なんじゃない?とおっしゃられる方もいらっしゃるかもしれません。しかしながら、ドビュッシー以降は機械的な作品も出てくる中で、ドビュッシーの作品にはまだ人間の眼が存在することを教えてくれます。

ドビュッシーが生きた時代にはすでに、映画が発明されていました。このアルバムに収録された、特に「映像」は映画の影響を抜きには考えられません。だからこそ、単なる印象派ではないんですね、ドビュッシーは。その視点を持ちますとがぜん、音楽はたくさんのメッセージを持っていることに気が付くのです。ルヴィエもその点を重視して、しっとりと、私たちに考えさせながら聴かせるよう、ゆったり目のテンポを採用したとも言え。単に印象派という視点だけではないことにも気が付きます。これも全集がなかったことによって出会えた奇跡であろうと思います。




聴いている音源
クロード・ドビュッシー作曲
映像 第1集
映像 第2集
版画
ピアノのために
ジャック・ルヴィエ(ピアノ)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村