かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:中井正子 アール・ヌーボー・ドビュッシー

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、シリーズでドビュッシーの作品を取り上げていますが、今回はその第5回目。中井正子女史の演奏を取り上げます。

ドビュッシーのピアノ作品全集がない状況でまとめて借りたドビュッシーの作品群ですが、ここでピアニスト、中井正子さんの演奏が二つ続くことになります。この時、ほぼピアノ作品がすべて網羅されるように借りてきた関係で、様々な演奏を聴くことができたのは実に幸せな時だったと思います。

この音源で収録されている作品の中で、このブログで初めて登場するのは後半の12の練習曲でしょう。練習曲は様々な作曲家が残していますが、ここで中井女史は「映像」の二つと、練習曲の二つを収録している点が注目です。

映像はまるで風景を動画で見ているような、静かでかつそこに存在感がある演奏になっており、じっくりと名作を聴かせてくれます。その後で聴く12の練習曲も、和声的には時代をよく表している作品であることをしっかりと表現しています。

というのは、12の練習曲こそ、私はドビュッシーの先駆的作品だと思っているからなのです。それは、12の練習曲は所々、フランスバロック時代におけるクラヴサン(つまりは、チェンバロ)の演奏様式が取り入れられているからです。その上で、近代的な様式や、ガムランなどエキゾチックな要素も加わり、単なる練習曲を超えて、みごとな総合芸術となっているからです。

ドビュッシー : 12のエチュード(練習曲)
Debussy, Claude Achille : 12 Etudes
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/3112/

練習曲 (ドビュッシー)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%B4%E7%BF%92%E6%9B%B2_(%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC)

特に、ピティナの以下の指摘は非常に重要です。なぜならば、この作品が純粋にピアノのための練習曲となっていることは間違いなく、その上で芸術的価値も高いことを表わしているからです。

「練習曲でありながら、運指法が指示されていないことも特徴の一つであるが、ドビュッシーはこれを意図的におこなっている。つまり、演奏者の腕や手の構造には違いがあるため、各人に合った運指法を各自で追求していくこともまた、課題の一つになっているのである。」

この練習曲は実に、近代以降のピアノ作品の可能性を開いた作品だと言えるのです。モーツァルトの時代にはまだ貧弱だったフォルテ・ピアノが、20世紀初頭には見事にオーケストラにも引けを取らない楽器へと発達したことを意味します。そのための練習曲、なのです。

しかも、クラヴサンの奏法を取り入れると言う点にも、私は注目するのですが、なぜならば、これは明らかに新古典主義音楽だからです。ワーグナーに影響を受けたドビュッシーですが、しかしフランス風のものを忘れることもなかったのです。むしろワーグナーの芸術をしっかりと濾過し、心理学的に言えば境界線を引きつつ受け入れたことを意味します。特に作曲されたのは第1次世界大戦の真っただ中。後期ロマン派的な社会や政治がもたらした災厄を目の当たりにして、真の愛国心とは何かを真剣に問うた、一つの答えだったと言えるでしょう。

時折しも、19世紀末から20世紀初頭に掛けては、民謡など民俗音楽収集の機運が高まった時代です。ともすれば国家主義と結びつきやすい国民楽派に対して、愛国主義パトリオティズム)を標榜し、異議を唱えた作品と言っていいと思います。だからこそ重要なのです。

新古典主義音楽
予見者たち
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%8F%A4%E5%85%B8%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%9F%B3%E6%A5%BD#.E4.BA.88.E8.A6.8B.E8.80.85.E3.81.9F.E3.81.A1

このことが、私をして実はフランスバロックへと興味を持たせることになったのですが・・・・・それはまた、その時に。いずれにしても、ドビュッシーの芸術のコアな部分というのは実に多様で、それを音楽でいかに表現するのかがどの作品でも滲み出ていますが、この12の練習曲ほど、色濃く出ている作品はないと思います。

だからこそ中井女史も、練習曲と言っても技巧に走ることはせず、自らの技術をフルに使って、作品が持つ奥深さと多様性を味わい深く表現しています。時としてアコーギクは強く、タッチも多様性を持たせ、それが万華鏡のように作品を輝かせています。

その点では全集を借りないことも、時としてはやはり選択肢だなあと思います。一人の視点をじっくりと聴くことも大切ですが、こう様々な視点を自ら体験することも、むしろドビュッシーという作曲家の「多様性」を理解するのは必要だったかなと思います。もしそうなのだとすれば、県立図書館の収集時における判断は見事と言えるでしょう。下手な芸大図書館にも負けない、素晴らしい司書さんがいると確信しています。




聴いている音源
クロード・ドビュッシー作曲
映像第1集
映像第2集
12の練習曲
第1巻
第2巻
中井正子(ピアノ)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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