かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:マルケヴィッチ、ラムルー管の第九

今月のお買いもの、平成28年12月に購入したものを御紹介しています。今回はディスクユニオン吉祥寺クラシック館にて購入しました、マルケヴィッチ指揮ラムルー管の第九です。

やはり年末ですから、第九を買おうと思ったのですが、今店頭に出ているものは殆ど買うか借りるかしてしまっている感が半端ありません。後は大御所フルヴェンさんやトスカニーニあたりなのですが、これも図書館に行けば借りられると言う・・・・・よほどの珍音源くらいでしょうかねえ。

で、悩んだ挙句、マルケヴィッチ指揮コンセール・ラムルー管弦楽団のものを選んだと言う訳でした。フランスのオケの演奏は実は私としてはそれほど持っていません。図書館で借りてきたパリ管くらいです。その上、指揮者は、かつて「神奈川県立図書館所蔵CD」のコーナーでも取り上げた、マルケヴィッチ。

ちょっと面白い組み合わせだなと思ったのです。ラムルーの豊潤な響きにマルケヴィッチの端正な視点が入ったら、一体どうなるのだろう・・・・・

で、結果は一言でいえば、素晴らしいものでした。第九という作品のイメージががらりと変わると言ったら変でしょうか。全体としてはラムルーの豊潤な響きは決して失われていないにも関わらず、実に野性的な演奏なのです。

その上で、第4楽章は端正であり、いつも私が問題にするvor Gott!の部分もごく普通です。ですが、バスソロが始まる直前のユニゾンではヴァイオリンがやたら強調されており、それがまたとても美しい!

これは面白かったです。ただ、それがラムルー流、或はマルケヴィッチ流だと思ってしまうとどうなのだろうと思います。録音は1961年。もともとレコードだった音源です。ということは、かなりイコライザで作ってしまっている部分もあるってことなんです。かといって、完全に作っているかと言えば、最後のアレグロ・アッサイの部分はテノールがよく聴こえます。私はテノールなのでその音域は演奏の中から拾い上げて聴くことができるのですが、それを差し引いてもよく聴こえます。

と言うことは、イコライザでいじっているのに加え、そもそもよく聴こえるように録音している、例えば複数マイクを立てているとか、あるいはそのようにマルケヴィッチが指示しているか、ということになります。いずれにしても、その部分がなんと豊潤で美しく、ゆえに喜びを持って聴けることか!

自由とかも確かにその一つの要素ではありますが、この演奏のテーマは徹頭徹尾"Freude"(喜び)です。第九という作品が持つ一つの普遍性です。そしてその美しさと尊さです。それが喜びをもって表現されているのが、この演奏です。

部分でいえば変態演奏という指摘もできる演奏ですが、それは爆演系ではなく、むしろ熱演系と行っていいのではないでしょうか。バスソロの音符の付き方など、指摘すれば面白い部分はいくつもあるんですが、その一つ一つが総体として喜びにつながっており、それは魂、或は霊的な喜びです。その結果ともすれば荘重さは廃されていますが、決して壮麗さは失われていません。そこにこの演奏の素晴らしさがあります。

抑々、第九の歌詞である「歓喜に寄す」は、絶望的な状況において友人に助けられたシラーが、その答礼として喜びを伝えたものです。

フリードリヒ・フォン・シラー
生涯の親友ケルナー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%83%BC#.E7.94.9F.E6.B6.AF.E3.81.AE.E8.A6.AA.E5.8F.8B.E3.82.B1.E3.83.AB.E3.83.8A.E3.83.BC

このため、演奏として様々なアプローチがありますが、この演奏では助けて貰えた喜びに焦点が当たっているのです。これを単にイデオロギー的に自由という視点だけで見てしまうと、なんでこれほど精神性がないんだとか言ってしまいかねません。でも、私からすればこれほど霊的で魂からともに感謝している演奏はありません。ただ、そこにさらにいろんな要素を加えようとすれば、全体が崩壊する恐れがあります。それはさらにベートーヴェンの時代には、迫害という側面があったからで、どの切り口で行くのかは指揮者に課せられた使命であり、その結果が感動に左右すると言ってもいいでしょう。

決してよく響くとは言えないロケーション。合唱団はオラトリオも歌う合唱団ですがとても野性的です。でも、それが実にシラーの詩の意味を含有しており、素晴らしいものです。それこそ、表面的な美しさを狙った演奏が多い中で特筆すべき演奏でははないかと思います。

わたし自身、自分の第九観というものを見直すきっかけになりまして、素晴らしい経験でした。中古市場に出していただいた方に感謝です。




聴いているCD
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」
ヒルデ・ギューデン(ソプラノ)
アーフェ・ヘイニス(アルト)
フリッツ・ウール(テノール
ハインツ・レーフェス(バス)
カールスルーエ・オラトリオ合唱団(合唱指揮:エーリッヒ・ヴェルナー)
イーゴル・マルケヴィッチ指揮
コンセール・ラムルー管弦楽団
(Philips PHCP-20411)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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