かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:リスト ピアノ作品全集7

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、シリーズでナクソスのリスト ピアノ作品全集を取り上げていますが、今回はその第7集を取り上げます。

第7集は、ロッシーニの作品の編曲を取り上げています。このロッシーニ編曲集は第1集になり、まだ続くのですが、それだけロッシーニの作品を編曲しているという事になります。

え、リストとロッシーニ?と訝る方もいらっしゃるかもしれませんが、きちんとサール番号が付いていますので、リストが手がけた業績なのです。

ではなぜ、このような編曲が残っているのかと言えば、編曲年代はすべて1830年代と40年代です。つまり、リストが超絶技巧で音楽界にデビューした当初である、と言えます。作曲の研究も始めた時期でもあり、一つには作曲の技法の研究および発表の場としてだと言えるでしょう。

その上で2点目としては、ロッシーニが当時人気絶大な作曲家だったからだと言えるでしょう。リストの名声が高まることで、ロッシーニの作品の編曲も求められたわけです。恐らく、この第7集に収録された作品はかなり即興的な部分もあることから、リストが演奏会で弾くためという部分も大きかったのではないかと思います。

であれば、やはり聴衆のことを考えた時、人気作曲家の作品を編曲することは、リストが「食べていく」ために必要な事だと言えます。ゆえに、ロッシーニ作品の編曲がリストの行跡として残ったと言えるでしょう。

実の所、このロッシーニ作品の編曲は、「音楽の夜会」と「ウィリアム・テル序曲」とではジャンルが異なります。「音楽の夜会」は編曲となっていますが、「ウィリアム・テル」は「ピアノ・トランスクリプション」となっています。ウィキでもピティナでも同じなので、これは音楽学でこのように仕分けされていると考えていいでしょう。

トランスクリプションとは、単なる編曲ではなく、原曲の雰囲気を出すためにあえて原曲にはない音を加える作業の事です。つまり、「音楽の夜会」は原曲をそのままピアノで再現したものですが、「ウィリアム・テル」は原曲にはない音も書き加えられている、という事になります。ただ、私はこのリストの編曲に関しては必ずしもそのような文脈ではないだろうと思っています。

「音楽の夜会」の原曲は歌曲です。ですのでそれをそのままピアノにするのはあまり難しくはありません。ピアノ伴奏の中に旋律を入れていけばいいのですから。声部が2つしかないのでさほど難しくありません。ところが、「ウィリアム・テル」はもともとオペラの序曲であり、管弦楽作品です。多声部が存在するわけで、それをピアノだけで演奏するとなれば、原曲にある音符を端折らなくてはならない部分も出てきます。その「端折る」作業が入っているために、「トランスクリプション」というカテゴライズになっていると考えることができます。

ピアノは2つの手で演奏するものです。つまり声部としては2つしかないことを意味します。それでも、リスト以降の作品はまるで多声部あるように聴こえます。それがピアノという楽器の発展の歴史においてまた発展した、ピアノ作品というジャンルの歴史でもある訳です。

そういった発展の影に、このような編曲があり、その編曲によって様々な実験、研究が行われ、様々な作品が生まれて行ったことを知ると言う点で、これらの編曲作品はとても重要な位置を占めます。さすが全集の名にふさわしい収録だと思います。

演奏はケマル・ゲキチ。クロアチア出身のピアニストです。その意味ではリストの作品には親しみがあると言ってもいいでしょうが、風貌もそっくりな感じがします。

ケマル・ゲキチ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%AD%E3%83%81

一つ一つの音を大切にしているのが演奏からよく分かるのですが、その上でロマンティックさ前面の演奏は、リストという作曲家が音符を見ていないがしかし印譜一つ一つには魂を込めていたという点を浮びあがらせています。リストに対する尊敬があふれ出る演奏で、聴いていて爽快です。

「音楽の夜会」は原曲が歌曲であるせいなのか、ゲキチは丁寧かつ朗々とピアノを歌わせており、まるで始めからピアノ独奏曲として作曲されたかのようです。それはとりもなおさず、リストの編曲が自然とそのようになっていることを示している証左であるように思います。「ウィリアム・テル」は前半はまるでピアノ独奏曲ですが、後半有名な旋律が出てくる勝利のファンファーレの部分は壮大で、後年のベートーヴェン交響曲編曲を想起させます。それはリストが「交響詩」確立へも関係していると思いますが、ゲキチの演奏は自然とそのような音楽史の経緯を浮びあがらせます。

こういった演奏家を採用するのはさすがナクソスだと思います。県立図書館がなぜ他の全集ではなく、ナクソスなのかの一端が見えてきます。この音源はあくまでも図書館のライブラリなのです。図書館法に基づた素晴らしいチョイスだと思います。それはナクソスが図書館に入るだけのクオリティを持っていることを意味しますし、それはゲキチの演奏にも言えることなのです。




聴いている音源
フランツ・リスト作曲
ロッシーニによる編曲集�T
音楽の夜会(S424/R236)
�@約束
�Aヴェネツィア競艇
�B招待
�Cゴンドラでの小散歩
�D叱責
�Eアルプスの羊飼いの娘
�F別れ
�G魚つり
�H踊り
�Iセレナータ
�Jバッカナール
�K水夫たち
ウィリアム・テル」序曲(S552/R237)
ケマル・ゲキチ(ピアノ)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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