神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、リストのピアノ作品全集を取り上げていますが、今回はその第11集を取り上げます。元音源はナクソスです。
この第11集は主に編曲ものが入っていますが、かなり内容的には興味深いものが並んでいます。
まず第1曲目に収録されているのが、何とモーツァルトのレクイエム。全曲ではなくて、そこから抜粋して編曲されています。コンフターティスとラクリモーザ。面白いのは、コンフターティスは原曲ではかなり激しい部分もある作品なのですが、こうやってリスト編曲のピアノ作品として聴きますと、落ちついた楽曲になっていることです。リストの超絶技巧という刷り込みは、私自身はこの全集を聴いている限りでは想起しないんですが、リストの超絶技巧を比べているのかしらん?と思ってしまうくらいです。
ここで思い出すのは、全音版のヴォーカル・スコアで解説を書かれていました、今は亡き別宮貞雄先生(元中央大学教授)の、モーツァルトのレクイエムは和声的だという言葉です。確かに、こうピアノ作品に編曲されてみますと、和声的だなあと思います。それがオケと合唱になるとものすごいエネルギーがあるのに気が付かされるのです。
このリストの編曲はトランスクリプションではなく編曲で正しいもので、間違いなく原曲から殆どいじっていません。コンフターティスはリズムが実は難しい作品ですが、それもきちんとピアノ作品としてうつされており、何ら問題ないのです。でも、ピアノになってしまうと、ああ、確かに和声的だなあと納得するのです。
もしかすると、そのモーツァルト作品の不思議さに、リストも気が付いていたのかもしれません。作曲が1862年。丁度作曲に傾注していく時期に当たり、リストの作風が変って行く時期です。ベートーヴェンを信者として崇め奉っていたリストが、モーツァルトの存在を知って代わって行ったのかもしれません。あるいは、ベートーヴェンの作品にモーツァルトの影を見たか?
これを語り出しますと長くなりますので割愛しますが、特にベートーヴェンの第九には、モーツァルトの影が見え隠れするのです。リストがそこに気づいたのだとすれば、モーツァルトもやはり生前は当代随一のピアニストとウィーンでは有名だったわけですし、父レオポルトもそうやって売り出したのですから、リストが共感する部分はかなりあったことでしょう。
ただ、この作品、編曲であるはずなのですが、ウィキではトランスクリプションに入っています。うーん、それはどうかな〜と思います。ウィキのリストはネット上ではリスト作品としては唯一と言っていい(このレクイエムがピティナには入っていない!)ので、このあたりは訂正してもいいかもしれません。
次の「システィーナ礼拝堂にて」はこれはウィキがあっていてピティナが間違っているケースになり、珍しいパターンです。サール番号を付けた時に間違ったと言えましょう。いずれにしても私がカテゴライズでここではウィキを推すかと言えば、それは後半部分のモーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」にあります。
リスト : システィーナ礼拝堂で(アッレーグリ、モーツァルト)
Liszt, Franz : A la Chapelle Sixtine S.461 R.114
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/2251/
アレグリは聞いたことがないので言えませんが、モーツァルトに関しては何度も歌った作品なので断言できます。原曲通りではありません。ですから、ピティナのカテゴライズである編曲というのは間違っており、これに関してはウィキが正しいです。トランスクリプションです。もっと言えば、アレグリとモーツァルトの作品を上手につなげた、リストによる引用作品だとも言えます。
この作品も、成立が1862年で、何とこの作品は出版されておりそれが1865年。ピティナではアレグリの作品名を主に採用しており、それはウィキでも一緒ですが、元音源のナクソスは、このように表記しています。
「アレグリの「ミゼレーレ」とモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」によるシスティナ礼拝堂にて(S461/R114)」
そう、そもそもはアレグリの作品はミゼレーレです。二人の作曲家の素晴らしい宗教曲をリストがつなげて一つのピアノ作品に仕立て上げたのがこの作品です。それが全く違和感なく、初めから二つの作品が繋がるために生まれてきたのかと思うくらいです。それはリストの編曲能力、或は作曲能力の高さを物語ります。
それ以外の作品はトランスクリプションが並び、この第11集ではリストの超絶技巧はどこかへ行ってしまっています。しかし、後年の素晴らしい作品群が成立するための、学習時期だったとみれば、歌曲や合唱曲をピアノ作品へ編曲すると言う作業は、リストにとって大切な事業であったことでしょう。
そう、この第11集は明確に、リストの作風が変化していく時期にどんな作品が存在したのかを、私たちに明確にすることで、リストの「超絶技巧」というものの本質を気づかせてくれます。それは、発達著しいピアノという楽器で、どこまで表現できるかという、限界への挑戦であったという事です。
ピアノという楽器はそれだけでいろんなことが表現できる楽器で、そのように発達してきました。今やスギテツによって電車すら表現される時代になっています。そんな楽器を、リストは19世紀後半という時代において、目いっぱい使おうとした作曲家だった、と言えます。それが更に進んで、交響詩という新たな管弦楽のジャンルも確立するに至りました。それは、歴史における名ピアニストで作曲家である、モーツァルトとベートーヴェンを意識しており、さらにさかのぼればバッハも入るでしょう。リストのこれらの作品には、先達をリスペクトしつつ、それを凌駕しようと挑む姿が私には明確に見えてくるのです。
演奏はヴァレリー・トリオン。一音一音が明瞭であるにも関わらず、技巧的に聴こえずそこに人間の息遣いが聞こえてくるような演奏になっており、聴いていて爽快です。技術が地に足がついているのでしょう。見せびらかせることなく、音楽の本質をズバッと切ってみせ、私たちにお食べ下さいと、ステーキを切り分けて皿に乗せて来るようです。だからこそなのでしょう、これらの作品の本質が明確になっているのは。
こういったピアニストの選択は、さすがナクソスと驚嘆せざるを得ません。
聴いている音源
フランツ・リスト作曲
モーツァルト(1756-1791)レクイエムK.626より
1.コンフターティス(呪われし者どもを罰し)
ラクリモーサ(涙の日)(S550/R229)
2.アレグリの「ミゼレーレ」とモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」によるシスティナ礼拝堂にて(S461/R114)
ラッセン(1830-1904)
3.天よ、私の魂を解き放してください(S494/R173)
4.私は深い孤独の中にいる(S495/R174)
フランツ(1815-1892)
5.暴風雨の中彼は来た(S488/R162)
12の歌曲(S489/R163)
第1部 葦の歌 作品2
6.秘められた森の小道で Op.2 No.1
7.太陽が向こうに沈む Op.2 No.2
8.暗くなり Op.2 No.3
9.日没 Op.2 No.4
10.池で Op.2 No.5
第2部 3つの歌曲
11.いたずら者 Op.3 No.1
12.海の静けさ Op.8 No.2
13.使者 Op.8 No.1
第3部 4つの歌曲
14.夏になって Op.8 No.5
15.嵐の夜 Op.8 No.6
16.ざわめきとうなり Op.8 No4
17.春と愛 Op.8 No.3
レスマン(1844-1918)
J.ヴォルフの「タンホイザー」より3つの歌曲(S498/R177)
18.春が来た
19.酒宴の歌
20.あなたが私をじっと見る
デッサウァー(1798-1876)
3つの歌曲
21.誘惑
22.2つの道
23.スペインの歌
ヴァレリー・トリオン(ピアノ)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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